僕の名前は「写楽」
若狭屋 真夏(九代目)
プロローグ このタイトルについて。
この原案となったのは篠田正浩監督の作品「写楽」に由来する。
といってもあくまでも「原案」であるのだからそこからインスピレーションを受けただけである。
東洲斎写楽が有名になったのは意外にも明治大正時代だった。しかも写楽を「発掘」したのがドイツ人である。
それから「写楽」は一躍表舞台に躍り出たが、たった10か月で消えていった画家だから謎も多い。
俳優のフランキー堺氏は写楽の研究を行っており、川島雄三監督が次は「主演の写楽」として映画を撮ると噂されたが川島監督が急逝してなされなかった。
川島雄三監督は「幕末太陽傳」の監督として知られている。
フランキー堺氏と篠田監督はその遺志を継ぎ「写楽」を完成させた。
これから始まるのは「もう一つ」の写楽像である。
なるべく読みやすく書こうと思う。
末文のなったが鬼籍に入られたフランキー堺氏と川島雄三監督にこの文章を捧げる。
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