第8話 出戻り

新潟の冬は寒い、とは現代の頃の友達に言われた事だが、俺個人としては実際東京の冬の方が寒かった気がする。気温は確かに東京の方が高いかもしれないが、新潟は冬になると雪が多いと言われる豪雪地帯であり湿気は非常に高い。その為気温が低くても暖かく感じるのかもしれない。しかし東京の冬は非常に乾燥している。

湿気が無い分冷たい空気が少しの風で肌を刺す、そんな状況が一層寒さを感じさせているのかもしれない。


何故こんな事を感じているのかと言うと、今まさに俺の目の前では滾々(こんこん)と空から雪が降っているからだ。


それなのに今の俺の服装は下着に羽織るもの一枚と言う至って軽装。現代でこんな格好は東京の冬では考えられなかった服装であり、実家のあった新潟ではこんな服装の人はそれなりに居た。冬の体育の時間は半ズボンなど普通だったのが影響し、寒さに対して耐性が出来ているのかもしれないが。


「前にも言ったが、雪。お前やっぱりオカシイよ、何でそんな薄着で寒くないんだよ」


後ろでは寒さに震える虎千代の姿があった。

林泉寺に来てから初めての冬を迎えている虎千代は薄着での冬と言うものを過ごしたことが無いのであろう。春日山城では何かしらの暖房的な物を用意し、厚着をしていたに違いないがこの寺にはそんなものはない。

あったとしても火鉢が関の山だ。


「それはあれだよ、普段の鍛錬の賜物かな」


「嘘付け、一体いつそんな鍛錬やっていたんだ。鍛錬をやる時間なんか無かったじゃないか」


「いやいや、結構毎日やっているじゃないか。境内の掃除に食材探しに野山を駆け回り、それに精神統一と言う名のお金の管理。ほら、立派に鍛錬しているじゃないか」


「いや、それ俺の作務と大して変わらないじゃないか。寧ろそれなら私のやっている作務の方が体力的にも精神的にも鍛錬と言えると思うのだが」


確かに言われた通り作務をやっている方が体力手にも精神的にも鍛練していると言ってもいいかもしれない。しかし俺のやっている中でも野山を掛け巡り食材を探す事、これは非常に体力を付けるにはいいものなのだ。

百聞は一見に如かず、とはよく言ったもので実際に経験した者にしか分からないだろう。東京の都会で育った野を駆け山を駆けた経験の無い者がどれほど想像してもその大変さは理解できない様に。


緩やかな時もあれば急勾配の所もある。現代の山々でも手入れされていない山が多いのに、戦国のこの世では人の手が入っている山など皆無。ぬかるんだ場所も断崖絶壁も存在する。そんな山を野草や山菜を探しに駆けるとなると腕力や脚力に加えて嗅覚や触覚も自然と鍛えられる、立派な鍛錬となるのだ。

寺男としては何の役にも立たないのだが。


「それよりも虎千代様、この前追い出されていたけど結局戻って来れたんですね。もう戻って来ないのかと思ってましたけど」


「いや、正直私もあの時はどうなるかと思ったのだが何とか事なきを得たよ。これも父上が和尚様にお願いしてくださったお陰だ」


今更ながらに昨日の事の様に思い出す出来事である。

先日の事だった。林泉寺の住職である天室光育和尚が春日山城へと登城し虎千代の実の父である城主の長尾為景に直接訴えた事があったのだ。


虎千代は修行に全く身が入っていない。虎千代には僧は無理だ。だからもう寺(うち)では面倒は見切れない、引き取ってくれ。


直接そう訴えたそうで、これは史実の通りの出来事であった。


直後虎千代は荷物をまとめ和尚に林泉寺を追い出され春日山城へと戻って行った。その後ろ姿は何処か寂しそうで、でも何処か楽しそうであったのを俺は覚えている。追い出された時の兄弟子たちの喜びようと言ったらなかった。

しかし数日後の事、突然虎千代は和尚に連れられて戻って来た。


兄弟子たちが愕然とした表情でこの世の全ての呪っているような形相をしていた。でも俺はやっぱりな、と思っている自分が居ることが分かった。

そもそも上杉謙信は7歳から14歳の元服までをこの林泉寺で過ごしたのだ。それなのに途中で寺を追い出されていたらこの事実とされていたことは虚偽であったという事になってしまう。

確かに歴史とは研究が進めば進むほど常に変化するものである。


一つ有名なのは『桶狭間(おけはざま)の戦い』である。

1560年6月12日、尾張国をわりのくに桶狭間で起こった織田(おだ)信長(のぶなが)が全国に最初に覇を唱えた戦である。

世間一般的には僅か2000あまりの兵士で今川(いまがわ)義元(よしもと)率いる今川軍25000に奇襲をかけてこれを討ち破った、と言うもの。


しかし実際は奇襲もしていないし戦ったのは25000もの兵士ではない。全ては偶発的に起こってしまった事。


確かに今川軍は全軍集めると25000であったが、信長が実際戦ったのは5000あまりの今川義元率いる本軍。しかも沓掛城(くつかけじょう)から出てきたばかりの軍としての隊列も何も出来ていない、戦はまだまだ先だと思っている気の抜けた兵士たち。しかも今川義元は戦の掟ルールをしっかりと守って旗幟(きし)という自分の存在をしっかりと周囲に知らしめる幟(のぼり)を立てて。

そこを織田信長率いる2000の兵士が大雨の中、正面から強襲をかけて次々と首級を討ち取って行き、遂には総大将の今川義元の首を討ち取ったのだ。織田信長は劣勢だった自軍を一時的でも優勢にしようとそれが敵の本軍であったと知らず、敵の先発隊だとばかり思ったまま。


つまり何が居居たのかと言うと時代が変われば歴史は変わるという事である。


そして虎千代はこの寺に帰って来た。つまりそれは修行に身を入れて頑張るはずではないのかという事である。


「じゃあそんな為景公の為にもこれからは修行に一層身を入れて頑張るんだな」


「いや、無理だ。私は兵学にしか興味はない。修行なんてやってやれん」


さも当然とばかりに呆気らからんと言い放った虎千代の表情は何処か満足げ。

懲りたはずなのに虎千代はやっぱり虎千代だった。

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