第3章 Aパート

 俺と古泉は陸上部顔負けの勢いで住宅街を走っていた。あくまで勢いだけ陸上部を凌駕しているのであって実際のスピードは並々である。ただ、こんなにも足を動かしたのは久々だ。

 もう少しで目指す場所が見えてくる。はずだったんだが、俺ら二人はスピードを落としてアスファルトを蹴っていた足を止めた。

 目の前に見覚えのある制服が見えたからだ。朝比奈さんと長門である。

 位置的に俺らの方が先に着くと思っていたんだけどな。

「長門さんの力でここまで一瞬で」

 朝比奈さんが俺の疑問に答えてくれた。なるほどそれなら納得だ。

「だけど、どうして急にハルヒの居場所が分かったんです? 長門の力で見つけることが出来たって言ってましたけど?」

 俺はもう一つの疑問も朝比奈さんに問うてみた。さっきの電話の話では長門がセットして忘れていたアラームが鳴り出したように、なんの脈絡も無く突然にハルヒの居場所を口にしたとの事だった。

「なんかジャミングがどうのとか言ってました。あたしにはちょっと難しい話で全部は分かんなかったんですけど、ずっとそのジャミングをどうにかしようとしてたみたいですよ」

 ジャミングって………ハルヒの力のことか? 本当に細かなところまで迷惑な奴だ。

「違う。涼宮ハルヒによる妨害行為ではない。現状の涼宮ハルヒにそのような力はない」

 俺と朝比奈さんの会話に介入してくる長門の頭には相変わらずゴツいヘッドホンが装着されていた。

 だったらそのジャミングってのは一体なんだったんだ? ハルヒじゃなかったら誰がそんな面倒な事をしやがったっていうんだ。長門でさえ手こずるような妨害を………。

 いや。と、ふと思う。

 むしろそんな事が出来る奴っていうのは限定されるじゃないか。

 嫌な予感が過ぎる。その時、少し高めの男の声が耳に入った。

「いましたよ。涼宮さんです」

 古泉が彼方を見据えながら口を開いていた。気にかかった予感は一先ず頭の端に置いて俺もその視線の先を追う。

 いた。俺達の目的地、長門の情報通りの場所にハルヒは立っていた。東中学校の裏門の前に。

 しかし、人の陰はハルヒの一つだけじゃあなかった。もう一つ、ハルヒと同じくらいの背丈の陰がハルヒと向かい合っていた。その陰とハルヒの陰は親しげに話しているようだった。

 ハルヒの知り合いか?

 だけどよかった。知り合いだろうと誰だろうと、話をしているんだったらさすがのハルヒも寝るだなんてことはしなかっただろう。最悪の事態は避けることが出来そうだ。

 俺達は裏門へと近づいていった。

 裏門が面している道路だけあって、広い道じゃあない。裏門というだけで暗いイメージがあるんだが、ここは実際に暗い。学校はもちろんなんだが、周りの住宅も寝静まったように静かだ。まだ寝るには早い時間だと思うんだが、地域でどこかへ出かけてるのか? 唯一闇を切り取っている等間隔で立てられた数本の街灯の光すらほの暗く感じる。

 そんな空間で談笑しているハルヒとその知り合いらしき人物にはとても違和感を感じた。

 もちろん、その二人に近づいていく俺ら四人も目立つ存在だっただろう。ハルヒの顔がはっきり見えるくらいの距離に近づくと、向こうがこちらに気付いたらしく、談笑はピタリと止んだ。隣にいたのは女子だった。その女子と一緒にハルヒもこちらを向いた。

「おい、急に飛び出していきやがって。お前を捜しまくったんだぞ」

 俺の呼びかけにハルヒはつまらなそうな顔を見せた。

「何よあんた達、ガン首揃えて。別に捜される覚えなんてないわよ。子供じゃないんだから」

 お前が普通の高校生だったらこんな思いはしてないんだがな。

「どうせみんなあたしの予知夢なんて信じてないんでしょ」

 ハルヒは睨むようにそう言うと、あさっての方に鼻先を向けた。未だ部室でのやりとりに遺憾を覚えている様である。さっきまでの様子で機嫌はいいように見えていたけど、決して機嫌が直ったわけじゃあないんだな。まぁ、もしそうなら閉鎖空間で巨人が今現在暴れているという事態には陥っていないか。

 しかし、どうしたもんか。ハルヒを見つけることばかりに必死で、それから先、つまりは今のハルヒの妄想めいた勘違いをどう治めるか考えていなかった。

「もうあんた達に信じてもらわなくたっていいわよ。あたしにはカナちゃんがいるし」

 俺の思考を感じ取ったようにハルヒが続けた。その言葉に視線をハルヒから隣にいる女子へと動かしてみる。

 カナちゃん? ハルヒと一緒にいるこの子の名前か?

 カナちゃんと呼ばれた女子は背丈こそハルヒと同じくらいだが、面持ちは朝比奈さんに負けないくらい幼く可愛かった。左右で二つに結った髪型がより幼さを際立たせているように見える。

「どうも初めまして。ハルちゃんと中学校でクラスメイトだった水上香奈水よ。よろしくね」

 よろしくされてもな。申し訳ないが、今はあなたと親しくなっている場合じゃないんだよな。

 日も落ちているというのに、やけにハツラツな挨拶をしてくれた水上さん。しかし、声も容姿に劣らず小学生のような幼い感じの高い声だった。

 中学の時の同級生に久々に会っていたってことなのか。でもなんだ、さっきのハルヒの口ぶりからすると、この水上さんとやらにも予知夢話をして、しかもそれを彼女は信じたってことなのか? 世の中ハルヒと同調出来る奴ってのはいるもんなんだな。

「すまないが俺達はハルヒに急用があるんだ。ちょっとだけそいつを借りてもいいかな?」

「ちょっとキョン、何よその言い方! 人を物みたいに扱って!」

 お前だってよくやってるじゃないか。たまには相手の立場に立ってみろ。

 俺の言葉に身を乗り出して抗議するハルヒ。だけど、それを水上さんが左腕で制した。

「ほら、ハルちゃんにはやる事があるでしょ?」

 水上さんの言葉にハルヒはその身を抑える。その顔はまだ言い足りない言葉が多数ありそうだったが、同級生に促されて裏門を引き開けて中へと入っていった。

 なんだ? こんな時間に学校なんかにどうして………?

「ちょ、ちょっと待てハルヒ!」

 呼び止めて一歩踏み出す俺の前に水上さんが体を入れる。

「悪いけど、あなた達にハルちゃんの邪魔はさせないわよ」

 そう言って水上さんは薄く笑った。

 じゃ、邪魔ってハルヒは何かをしようとしてるのか………?

 俺を含めたSOS団団員は面を食らってしまっている。長門も動こうとしない。

 闇に溶けて行くハルヒの背中と、ツインテールの少女を見ているしか出来ない俺らを水上さんは見据えている。そして彼女も学校の敷地内へと飛び込んでいった。

 な、なんなんだあのツインテール娘は………? やっぱりハルヒと親しい奴ってのは変わり者が多いのかよ。

「行っちゃったけど………やっぱり追いかけた方がいいです、よね?」

 完全な向こうのペースに朝比奈さんの言葉に自信がない。当然ハルヒは追いかけなくちゃならないんだが、俺も調子を崩されて朝比奈さん同様追いかけるべき否か、変な迷いが生まれている。

「涼宮さんが今すぐ眠るということはないでしょうが、彼女を止めるのは早い方がいいのは確実ですからね」

 正論をのたまう古泉。

 釈然としないがまったくお前の言うとおりだ。あの水上さんとかいうツインテール娘の言うとおり黙って待ってやる事もないし、そんな時間もない。

 今やるべきことの優先順位を改めて確認する。

 ハルヒの暴走を止めなくちゃ大変な事になる。すぐそこにハルヒがいるんだから待ってる場合じゃないよな。

「とにかくハルヒの後を追おう」

 俺達も二人に続いて東中学校の裏門を越えていった。



 夜の学校っていうのはやっぱり気味の悪いもので、昼とはまったく受ける印象が違う。外観はいつも見ている北高のそれとそれほど変わるものではないんだが、真っ暗になった窓の連なりは異様だし、校舎や体育館の配置とかは全く違うので未知な部分の想像力が働いて余計な恐怖心も沸いてきやがる。

 そんな中でハルヒが消えて行った方へと向かって駆けていく。

 しかし、あいつは一体何を企んでるんだ?

 走りながらそんな事を頭の中で考えていると、校舎と体育館の間に人の陰が見えた。

 ハルヒか?

 俺ら四人はその陰に足を止める。さすがに暗闇には大分目は慣れていた。目の前にいる人物の姿は三、四メートル離れているがしっかりと見えている。

 ハルヒじゃなかった。ツインテールが特徴な水上さんが立っていた。

 なんとか追いついた………ってわけじゃないみたいだな。まるで待ち構えてたみたいに俺等の方を向いて立ちはだかっている。

「やっぱりついて来ちゃったのね」

 水上さんは溜め息を吐くようにそう言うと、肩をすくめた。

「ハルヒはどこですか?」

「どこでもいいじゃない。あなた達には関係ないし、わたしも知らないの」

 そんなわけないだろう。

 とは言っても無理やり聞き出すわけにもいかなし、俺はフェミニストじゃないが女の子をどうこうするつもりもない。となればこのツインテール娘は無視してハルヒを捜し出す方がよっぽど近道だ。

 俺は立ちはだかる水上さんを迂回するべく、彼女の脇をすり抜けていくコースを取った。

「邪魔させないって言ってるでしょ!」

 足を踏み出した俺に水上さんの声がぶつかる。

 瞬間だった。俺は足を止めさせられた。突然目の前に長門が出現したからだ。

追い抜かれた感じはしなかった。初めから俺の前にいたかのように俺に背を向けていた。

 瞬間移動でもしたのか? でも、なんでそんな事を………?

 突発的な長門の行動に首を傾げる俺。しかし、その瞬間、俺の目に異様な光景が映りこんできた。

 長門の目の前。ほんの数センチ程の間を開け、数本の鉄パイプが鋭く切り落とされた切っ先を向けて迫っていた。だけど、それ以上に目を疑うのはその鉄パイプが静止画のようにピタリと止まって宙に浮いている事だ。

 驚愕。目の前で起きている事態に頭が白くなる。ただその一方で、一欠けらの既視感が脳裏をつついた。

 ………これと似た光景、俺はどこかで見たことがあるぞ………。

「さすがは長門有希ね。現行の主観察員だけの事はあるわ」

 長門越しに声が聞こえてくる。水上香奈水だ。彼女の周辺には長門の前で浮いているような先端の鋭い鉄パイプが、数本宙に留まっていた。

 俺の中で水上香奈水がある人物と重なって見える。と、同時にある確信を持った。

 俺がここに来る前に感じた予感。それは当たっていた。ハルヒの捜索を邪魔していたのは多分こいつだ。そして、水上香奈水は人間じゃない。

「お前、長門と同じ情報統合思念体か?」

 俺の問いかけにツインテール少女はニコリと笑う。

「そうよ。わたしはそこにいる長門有希と同じ対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。あなた達からしたら宇宙人って事になるわね」

 やっぱりか。長門の力に対抗出来る奴なんて同じ情報統合思念体くらいしか考えられんしな。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 俺の後方からか弱い声が飛んできた。朝比奈さんの声だ。

「あ、あなたが長門さんと同じ情報統合思念体だったら、どうしてあたし達の邪魔をするんですか? あなた達も涼宮さんを止める事を決めたんじゃないの?」

 朝比奈さんは腰を引かせながらも、その視線は強く水上香奈水を捉えていた。

 確かに朝比奈さんの言うとおりだ。部室で長門が情報統合思念体はハルヒの予知夢能力は危険と判断したとか言っていた。それで長門は俺達の敵に回ることはなかったんだ。同じ情報統合思念体だったらこの水上って奴もハルヒを止めなくちゃいけないんじゃないのかよ。

「涼宮ハルヒの鎮静化ね。確かにそういう指示はあったわ。だけどそれは上が決めたこと。わたしの意志じゃない」

 水上は肩をすくめて苦笑いを見せた。その時、ガラガラと甲高い金属音が響いた。長門の前で浮いていた鉄パイプが地面へと転がり落ちた音だった。

「あなたの意志は情報統合思念体に危機をもたらす可能性がある。即刻に我々への妨害行為を止めない場合はあなたを削除処理する」

 長門は更に一歩前へと出た。その彼女に水上は苦笑いを止めて、鋭い表情になった。

「分かっていないわね、長門有希。確かに今の涼宮ハルヒを放置していたら、わたし達にAランクの危機が九割の確率で起こる。でも、裏を返せば一割は危機が及ばない可能性があるのよ。これまで同様に涼宮ハルヒからいつまでも何らかの回答が出ないままだったら、わたし達は100%進化の鍵を掴むことが出来ない。これはつまり緩やかに死んでいくってことじゃない。同じ死ぬなら一割も生き残る可能性がある今の状況を逃すわけにはいかないわ!」

「それでも我々は今までと同様の観察を涼宮ハルヒに続けていくと決定した。今の涼宮ハルヒの力は我々が望む鍵とはかけ離れている」

「そう。でもね、今のあなたがそうしているように、わたしは三年間涼宮ハルヒの傍で彼女を観察し続けてきた。これは起こるべくして起こったこと。そのきっかけは何だってかまわないわっ!!」

 感情を露わにしている水上に対して、長門はいつもと変わらない無表情を見せている。とても二人が同じ宇宙人だとは思えない。

 そんな対照的な二人を見ている俺に水上香奈水が目線をよこしてきた。

「あなただって今の状況は喜ばしいことなのよ。あなた以前にその長門さんのバックアップに殺されかけたでしょ? それもわたし達の進化の鍵を手に入れるため。だから今の涼宮ハルヒを止めなければ、あなたの命が狙われる事はないのよ」

 言われてその時の光景が頭に蘇る。同時に体の芯がヒヤリとした。

 なんだ? 情報統合思念体はまだ俺を殺そうとしている奴がいるのか? 冗談じゃないぞ。あんなわけの分からない事で襲われるだなんて人生で一回あれば十分だ。釣りだって出る。

 確かに俺は高校に入ってすぐに命の危機に晒された事がある。ハルヒの情報爆発を起こすためだと言って俺を殺そうとしてきた奴がいたんだが、そこを長門に救われたんだ。

 その襲ってきた奴、朝倉と水上がさっきから俺には重なって見えていた。外見的には朝倉とは似つかない。だけど、彼女の放つオーラというか雰囲気が重なっていた。さっきの既視感もそのせいなのかもしれない。

 体の奥底から孤独感と焦燥感が入り混じったようなものが湧き上がってくる。魂をむき出しで曝しているようで物凄く心許無い。

「大丈夫」

 戦慄する俺にぽつりと気泡が割れたような声が届く。長門がおもむろに右手を水上にかざした。その声は妙に凛としていて、俺の戦慄が柔らかく消えていった。

「あなたは私が守る。だから、安心していい」

 長門………? 心配してくれたのか?

 あの長門が動揺していた俺の気持ちを察して、気を遣ってくれたのかと思うとなんだか不思議な気持ちになる。

 だけど、さっきまでの不安は嘘のように消えていた。

「頭が固いのね、長門有希。じゃあ、守ってみなさいよ! 出来るものならねっ!!」

「水上香奈水をイレギュラーと判断。削除処理を行う」

 二人の宇宙人は同時に動いた。

 水上は再度周りに浮いていた鉄パイプをこちら目掛けて飛ばしてきた。長門もさっき防いだ鉄パイプを飛ばして応戦する。

 直後、互いにぶつかり合った鉄パイプが耳障りな金属音を鳴らしてひしゃげた。見事に鉄パイプは全て地面に落ちていった。

 その鉄パイプが落ちる音、それが鳴り響いた瞬間、すでに長門は水上の懐に飛び込んでいた。

 流れる動きで右足を水上に叩き込む。が、寸でのところで水上が身を引かせて長門の回し蹴りは空を切るに留まった。

 俺は今目の前に起こっている事態に息を呑むしか出来ないでいる。いくら二人が宇宙人だったとしても、見た目は完全に人間、しかも華奢な女の子だ。異様としかいえない光景だった。

「やるじゃない。伊達じゃないってところかしら? でもね」

 水上は言うなり両腕を空へと向けた。瞬間、校舎と体育館の窓ガラスが一斉に破裂していく。

「後ろの人間がガラ空きよ!」

 刹那、水上の言葉で彼女の後ろにある校舎がキラキラと光った。まさかと思う暇も無く、ソレがこちらに向かってくる。割れたガラスの無数の破片が。

 あんなもんどうしろっていうんだよ!

 叫ぼうとした口が開いた瞬間にしかし、目の前が一瞬歪む。そしてこちらへと降って来たガラス片群は、俺に降り注がれること無く避けるように明後日の方へと散って行く。

 気が付けばまた近くに長門が立っていた。今のも長門が防いでくれたのか。

「一人で攻撃も防御もだなんて忙しいわね。しかも、三人も守らなくちゃいけないんでしょ。だけど、これだけ広範囲に防護シールドを張っていたら、それだけで手一杯なんじゃない?」

 ガラス片の雨は未だ止むことを知らない。だけど、ツインテール宇宙人は追撃の様子を見せている。さっきの鉄パイプがまた水上の周りに浮き始めた。

「これで終わりよ、長門有希っ!!」

 これは、さすがの長門もヤバイんじゃないのか!? あの時と違って今は俺ら地球人三人を守りながらってのは厳しいだろ!

 水上が笑った。

「では」

 その時、後ろから場にそぐわない悠長な声が聞こえた。

 目の前が一瞬赤くなる。同時に赤い光が水上に向かって飛んでいった。

 水上もその赤い光弾に気が付いて、周りに浮かせていた鉄パイプで壁を作る。赤い弾はその壁にぶつかると、派手な爆発を見せた。

「な、何なのっ!?」

「二対一ではどうでしょうか?」

 やっぱり悠長な声だった。その声に自然と目が向いてしまう。この嫌味な声は聞き間違えない。古泉だ。

 なんだ? 今の攻撃は古泉がやったのか?

「涼宮さんの妄想がこんな形で役に立つとは思いませんでしたよ。神人以外でこの力を使う場面なんて想定してませんでしたからね」

 古泉の右手には次の攻撃用の紅弾が浮いていた。

 そういえば、ハルヒの所為で古泉は通常空間でも神人に通用するような超能力が使えるようになってたんだった。

「そんな………!?」

 予想外のところからの攻撃に動揺を隠せない様子の水上。その動揺をSOS団の宇宙人は見逃すことはしなかった。

 次の瞬間、ツインテール少女の懐に入った長門は、膝を曲げて腰を落とし肘を突き出した型を取っていた。その長門の肘は見事に水上にヒットし、校舎の壁までその体を吹き飛ばした。

 急に辺りがシンとなる。

「やった………のか?」

 誰にいったわけでもない俺の言葉に古泉が答えた。

「どうでしょうね。ですが、もしそうなら長門さんがまだ警戒しているはずはないので、安心は出来ないでしょう」

 確かに長門は水上が吹き飛ばされた校舎の壁をじっと見ていた。だけど、立ち込める煙以外、動くものは見当たらない。

「今のうちに涼宮さんを捜しに行った方がいいでしょうか?」

 俺と古泉を交互に見る朝比奈さんは頭のネコミミをひょこひょこ動かしながら提案した。

 確かにハルヒの奴は何かを企んでいる、しかも過激派宇宙人に喜ばしい事をだ。見つけるのは早い方がいいだろう。

「そうですね。じゃあ、お二人で捜してきてください。僕は長門さんを援護しています。安全になったら追いつきますよ」

 確かにそれがいいかもしれない。あの水上って奴はかなりの力を持ってるっぽいしな。長門一人に任すよりも、せっかくここにけったいな力を使える超能力者がいるんだ。二人でやったほうが安心出来る。

「じゃあ、俺達はハルヒの奴を捜しに行きましょう」

 俺達地球人は示し合わせたように頷くと、それぞれ動き出した。古泉は長門の許へと近寄り、俺と朝比奈さんは煙を上げる校舎を大きく迂回するように奥へと駆け出した。

 結構足止めされちまったけど、まだ間に合うんだろうか? でも、未だ世界は事もなしだ。間に合うことを信じるしかないな。

 一抹の希望を胸に闇へと身を投じる。だが、

「そう易々と通すわけ無いでしょ?」

 長門と古泉を背中に大分距離が離れたところだった。だけど、その幼い感じの、それでいて恐怖を感じずにはいられない声は俺と朝比奈さんのすぐ後ろで生まれた。

 まさかっ!?

 振り返る。しかし、その動きは途中で止めさせられてしまう。

「キョンくん、危ないっ!!」

 背中に力が生まれる。俺はその力に流されるままに地面へと転んでしまった。しかし、背中がなんとも柔らかく暖かい。見れば朝比奈さんが俺にしがみつくように、一緒に地面に倒れていた。

「外しちゃった? うまくいかないもんね。でも大丈夫、次は貫くわ」

 転んだ俺と朝比奈さんを見下ろす水上は、俺らに向けて右手をかざしていた。その手には蠢く光が集束していた。

 いつの間に近づかれたんだ!? 長門と古泉が二人で警戒してたはずだろ?

 立ちはだかる水上の後方に目を配る。そこでは疑わしいことだが、長門と古泉が二人掛かり水上と戦っていた。俺の視界には今水上が二人いる。

 それは、反則だろうが………!

「じゃあ、これであなた達二人は終わりね。さようなら」

 水上の手にある膨れた光が瞬間的に凝縮する。それは一際強く輝いた。

 くそっ!! こんなところで死んじまうのかよ!? せめて、せめて朝比奈さんだけはっ!!

 俺は自分の体を盾にして朝比奈さんを守ろうと体を起こした。分身できるような宇宙人の攻撃が俺の身一つで防ぎきれるとは思えないが、威力くらいは落ちると思う。てか落ちてくれ。最期の男の意地なんだからな。

 体を朝比奈さんの上に覆わせると、覚悟を決めた。

 一時後、水上の光が俺を貫く。事はなかった。いつまで経ってもそれらしい痛みが来ない。まさか痛みを感じるまでもなくすでに死んじまってるのか?? しかし、朝比奈さんの温もりは感じているのでまだ死んではいないんだろう。じゃあなんでだ?

 俺はゆっくりと顔を上げた。

 目の前では未だ水上が俺を見下ろしていた。ただ、その体が少し変だ。テレビの画面にノイズが走ったように、水上の体の一部が歪んで見えていた。

「あらら。思ったよりやるわね。力を分けてたら本体がダメになっちゃいそう」

 自分の歪む体を覗く様に見ると、残念そうな表情をした。

「後ちょっとだったんだけどな。でも、結構足止めは出来たし、あなた一人くらいが行ったってどうにかなるもんじゃないわね」

「………お前はハルヒに何をさせようとしてるんだ?」

「別に。やるのはハルちゃんよ。わたしはきっかけをあげただけ。今の彼女の能力を増大させるきっかけをね」

「何だよそれ………?」

「詳しくは自分で見るのね。わたしは本体に戻らないと。じゃあね」

 俺の問いには答えることなく、水上の分身は掻き消えていった。

 視界の向こうではまだ激しいバトルが繰り広げられている。

 そうだ、朝比奈さん!

 俺は自分の下で未だ倒れている朝比奈さんを抱き起こした。

「大丈夫でしたか朝比奈さん?」

「ぅうっ!!?」

 朝比奈さんの華奢な体が一瞬小さく跳ね上がった。そして左腕を庇う様に右手をそこに当てた。

 どうしたんだ? さっきの水上の攻撃でどこか怪我でも………?

 俺の手が朝比奈さんの左腕を掴んでいた。そこに目が行く。何か濡れたような湿った感覚が手から伝わる。

 っ!? な、んだ?

 校舎と体育館を繋ぐ通路の蛍光灯の光に濡れた手を照らしてみる。その手は気持ち悪くなるくらい真っ赤に染まっていた。

「朝比奈さんっ!?」

「だ、大丈夫………ちょっと擦り剥いたくらい、だと思う」

 とても擦り剥いた程度の出血量ではない。強がっているのは目に見えて明らかだ。ハルヒに生やされたネコミミも力なく垂れている。

 くそ、さっきか、さっき水上が現れて朝比奈さんに倒された時か。あの時水上の攻撃から俺を守ってくれてこんな酷い怪我を………!

「今、手当てしますね!」

 手当てといっても薬やらがあるわけじゃない。加えて俺はそんな応急処置の知識があるわけでもない。以前受けた保健の授業をもっとしっかりやっていればよかったと激しく後悔した。とりあえず、持っていたハンカチを傷口に押し当てる。

 朝比奈さんから漏れる苦痛の声にハンカチを押し当てる力が緩まる。

 そうだ、長門だったらなんとかしてくれるかもしれない。

 激しい戦いの音が響いてくる方へと目を向ける。

 ダメだ。長門も古泉も水上を相手にとてもこっちへ来れる様子じゃあない。どうしたらいいんだ………!

 思案を巡らせる俺だが、そう簡単にいいアイデアは浮かんでこない。焦りばかりが先行する。

 そんな俺に朝比奈さんの右手が触れた。

「キョンくん、あたしは平気だから涼宮さんのところに行ってあげて。きっと涼宮さんもそうして欲しいって思ってるから」

 馬鹿なことを言う。涼宮の事は確かにどうにかしないといけないことだが、今はあなたをどうにかしないといけないでしょう!

「今ここで涼宮さんを止めないと、大変なことになっちゃう」

「ですけど!」

「大丈夫よ、あたしこれでも未来で訓練は受けてきたんだもん」

 更に無理をして強がる朝比奈さん。

「それに、あなたがいたら使える物も使えないよ」

 そう言われてハッとする。

「未来の、道具ですか?」

「ふふ………禁則事項ですよ」

 言っていつものような笑顔を作ろうとする。それでも苦しそうな表情には変わりない。だけど、そんなセリフが出ること自体、ケガを治す何かしらの未来的道具があると考えられる。

 それなら俺はすぐにでもここから消えたほうがいい。これ以上は朝比奈さんに無理をさせられない。

 それに。と、思う。俺は朝比奈さんが大人になった、もっと未来の朝比奈さんにも会っている。てことはここでは朝比奈さんは助かるということだ。

 未来的道具の存在を感じて少し心に余裕が出来た表れだった。朝比奈さんが無事でいられると確信出来る一番の根拠じゃないか。

 俺はそれでも当てていたハンカチを朝比奈さんの腕に縛ってから立ち上がった。

「分かりました。俺はハルヒを捜しに行きます。朝比奈さんも、無理はしないでくださいね」

 俺の言葉に朝比奈さんは笑顔で小さく頷いた。

 俺は学校の更に奥、校庭の方へと駆けていった。

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