第2章 Bパート

 部室にいる全員からの視線を一手に受ける長門。だけど、なんらいつもと変わらない無表情を決め込んでいるだけだ。相変わらずヘッドホンからは音楽が漏れている。

 沈黙。

 部室にいる全員、誰一人として口を動かす奴はいなかった。長門からの返答を待っていた。次第に重くなっていく沈黙に聞こえているはずの長門の音楽や、遠くのブラスバンド部の下手な演奏が聞こえなくなってくる。

 部室が完全な静寂に満ちた。

 瞬間だった。

 長門の口から風船ガムが膨らんでくる。限界まで膨れたそれは乾いた音を鳴らすと、また主の口の中へと戻っていった。それに続くように長門が小さく口を開けた。

「涼宮ハルヒの能力について、情報統合思念体は出来得る限りの情報を集めることが目的。彼女自らが自己の能力をその意識下に置いている現状は特異であり、彼女の周辺環境における情報の変化は貴重なサンプル」

 いつものような難しい説明。だけど一つ分かった事がある。今の長門は間違いなく俺等とは対峙する立場にある。

 未来人、超能力者も表情がより硬くなる。

「現状を維持していった場合、情報統合思念体の進化に対して何らかの回答が得られる可能性は27.8%。これまでの可能性の中では特出して高い数値」

 長門はただ紙の上の文章を読むかのように淡々と、しごくいつもの様に小さく唇を振るわせた。

 くそ、やっぱり長門と敵対しなくちゃならないのか………!

 そう思うと無性に心細くなってきた。今まで長門に窮地を救われたことは何度かある。最悪どんな状況になっても長門がいればなんとかなる、そんな甘えが無かったわけじゃない。だけど、今回はそれがない。むしろ敵対するわけだから、ハルヒを止める俺たちを妨害してくるんじゃないのか?

 背中の汗が止まらない。

 くそ! 何だよこの状況! 大体、長門を相手に何か出来るのか? もちろん力的な意味でもそうだが、長門に対して危害を加えたりなんて想像が出来ない。………長門は俺達に対してそういう感情は抱かないのか?

 自問してみるが時間の無駄だったことに気が付く。今まで長門の考えている事とかが分かったことなんてないからな。

 俺は一つ深く息を吸うと乾いた喉を唾で湿らせた。

「長門、協力してくれなさそうなのは分かった。だけど、せめて妨害とかそういう事は止めてくれないか? お前と完全に敵になんてなりたくない」

 せめてもの提案、いや、願いだった。こんな絶望的な状況だ。これくらいの希望も叶えてくれないほど、神様ってやつは人に愛想をつかせてないだろ?

「そうですよ長門さん。あたしだって長門さんと戦いたくなんてないです。お願い、あたし達に涼宮さんの後を追わせて」

 懇願と説得を織り交ぜた朝比奈さんの言葉にも長門はいつもの無表情。

「あなたとどうこうなって無事でいられるとは思えません。僕もこのまま見逃してくれると非常に助かるのですが?」

 古泉にも同じく無表情。

 また部室に沈黙が蔓延り出した。

 く、それすらも無理なのかよ………長門!

 このまま膠着状態が続いていくのかと思い始めた時、またも長門の口からピンクのガムが膨らんで、破裂した。

「今、情報統合思念体によって、一つの可能性が算出された」

 いきなり的外れな事を口にする長門。

 地球人の三人はそれに対して等しく疑問符を顔に浮かべる。

「その確率89.66%」

 89%?? ………何の可能性だ?

「涼宮ハルヒを現状のまま放置した場合、情報統合思念体にランクAの危険が及ぶ可能性」

 長門の発言に、俺の思考回路は若干のラグを生んでいた。

 それってつまり………。

 ヘッドホンを付けた長門に部室にいる全員が視線を注ぐ。再度ガムを長門は膨らませた。

 パン。

「これは完全なるイレギュラー」

 ガムが割れると同時にその小さな声が確かに俺の耳に届いた。

「涼宮ハルヒの今の覚醒は情報統合思念体にとって望ましい形であるとは言えない。だから、私はあなた達が涼宮ハルヒを止めることに妨害等の工作を行うことはしない。むしろ私も彼女を止めるべき」

 長門はさっきと同じ無表情だった。だけど俺にはまったく別の表情に見えた。いつもの長門だ。それは他の二人にも分かったようで、緊張が緩んでいた。

 神様は人間の事を溺愛していると思ったね。



 あれからすぐに部室を飛び出してハルヒの捜索が始まった。

 長門の力でハルヒの場所を見つけようともしたんだが、何らかの力が働いて見つけることが出来なかったらしい。それもハルヒの力に拠るものなんだろうか。

 更に悪いことに古泉の情報によれば、やっぱり閉鎖空間は発生しているようで、今他の超能力者達がそれの対処に当たっているとの事だった。

 まったく、とことん周りに迷惑をかける奴だ。

 校内をしらみ潰しに探した結果、ハルヒは既に学校の外に出ていると考えざるを得なかった。ゴミ箱の中までしっかり探したから間違いないだろう。

 さすがに校外となるとその範囲はあまりにも広いので、二手に別れて捜索をすることにした。俺と古泉、朝比奈さんと長門のチームだ。

 ただ闇雲に街中を捜すのは効率が悪い。どこかハルヒが行きそうな所を重点的に捜していこう。なんつう提案をしたのは俺だったんだが、あいつの行きそうな所なんて検討もつかないし、逆にどこにでも行きそうな気がする。結果捜索方法は闇雲という形に自然となっていった。

 当然あてもない捜索は時間ばかりが浪費されていき、ハルヒは見つからないまま、空の色も闇に染まってきていた。

 一応当てずっぽうに思い当たる場所を捜し切った俺達は、駅周辺にまでその捜索範囲を拡げてきていた。

 ここまで来ると長門に呼び出された公園やハルヒの東中学を思い出す。そこで朝比奈さんと長門は公園方面を、俺と古泉は東中学校方面を捜索することにした。相変わらず当てはない。

 そんな中幸いなのは未だ世界はいつもの姿で回り続けているということだ。まだハルヒは眠りにはついていない、もしくはけったいな夢を見てはいないって事なんだろうな。

 しかし、どうして急に予知夢だなんて事をあいつは言い出したんだ?

「その原因は昨日にあるのでしょう」

 完全に日の落ちた線路沿いを進む男二人。電車が通らないとかなり暗い。

「まぁ、あいつも予知夢に気が付いたのは昨日とか言ってたから、昨日何かあったんだろうってのは想像がつくがな。そのきっかけってのが分からん」

 ハルヒだって今まで夢を見たこともあるだろう。そしてその夢が偶然にも現実と似通ったりなんて事がなかったとも思えない。

「本当に心当たりがありませんか?」

 急に足を止めた古泉が意味ありげな事を言う。俺も足を止めて超能力高校生と向かい合った。

 お前には何か思うところがあるってのか?

「いいですか? 涼宮さんがああなってしまったのは、あなたに原因があるんですよ?」

 俺は眉根をひそめる。

 責任転嫁もいいところだ。俺が何をしたっていうんだよ。

「昨日、涼宮さんに起きたことを思い出せば自ずと答えは絞れてきます。恐らく、僕のおつかいであなたと隣町へ行った事が原因でしょう」

「そんな事でハルヒは予知夢を見れるだなんて勘違いをしたっていうのか?」

 そんな事を言い始めたらあいつと話をする事すら出来なくなっちまうじゃねぇか。俺だって夢でSOS団の連中といつものような放課後を過ごしてる光景を見た事がある。普段の生活が夢に出るなんて事はよくあることだろう?

「買い物に行ったこと自体が涼宮さんに予知夢があると思わせたわけじゃないと思いますよ。あなたが涼宮さんに言ったじゃないですか」

 何をだ?

 検討がつかない俺は一向に顔が明るくならない。古泉はいつものように肩をすくませると息を吐いた。

「デートですよ。あなたは昨日買い物に行くのをデートだと言って涼宮さんを誘った。それが彼女に歪曲した予知夢の力を与えてしまったんです」

 横の線路を電車が走り通る。騒音と閃光が俺に降り注いだ。

 言いがかりだ。

 そう言われれば確かに昨日あいつの頭を冷やすためにそんな文句で買い物に連れ出したが、本気でデートに誘ったわけじゃないし、冗談だって事はわかるだろうが。俺自体今の今までその事は頭の中から消えていたくらいだ。

「昨日涼宮さんはホームルームの時に居眠りをしていたんでしょう? 恐らくその時にあなたとデートをしている夢を見たんですよ」

 その後で俺が冗談でデートに誘っちまったからハルヒは勘違いを起こしたってのか? それこそ冗談だぜ。こんなの単なる偶然だ。

「涼宮さんはあなたに好意を持っている。しかし、彼女はその事を表には出していないように見えます。もしくは、無意識にそういった感情が表に出ないように抑圧して意識しないようにしているのでしょう。だから率直にそんな夢が見れたこと、現実にあなたからデートに誘われたことは、彼女にとってとても喜ばしいことだった。だけど、それを嬉しいと感じたらあなたへの好意を認識してしまうことになる。そこで彼女は夢で見たからあなたがデートに誘ったと、それで仕方なくデートをしているんだと思うようにしたのでしょう。そこで予知夢という形に収まった」

 なんでお前にそんな事が分かるんだよ。

 そう睨む俺に古泉は嫌味なスマイルを見せて「見ていれば分かります」と答えた。

 もしそうなら日々の俺の笑顔ももう少し多いはずなんだが、そんな実感は皆無だ。

「まったく、どうしてあいつはそんな面倒な思考を繰り広げているんだか………」

「恥ずかしいんじゃないですか?」

 そんな可愛げがあいつにあるのか疑わしい。

 そんな事を思った時に、ズボンのポケットがブルブルと震えた。手を突っ込みソレを取り出す。マナーモードにしていたケータイが震えていた。開いたディスプレイには朝比奈さんの名前と電話番号が映し出されていた。

「どうしました朝比奈さん?」

「今大丈夫ですか?」

 言葉は丁寧に訊いてきているが、その声は明らかに焦っていて急を要しているのはすぐに分かった。とするとその内容にも察しがつく。

「涼宮さんの居場所が分かりました」

 思った通りだった。

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