第2章 Aパート
「ハルヒ………何を言ってるんだ………?」
これ以上にないほどに胸を張るハルヒを前に、俺は頭の中の混乱を鎮めるのに必死だった。
そんな俺にハルヒは満面の笑みを消して口を尖らせた。
「あんたも分からない奴ねキョン。いい? 予知夢よ予知夢。先の事を知る術を持ったあたしは、流行も株の動きも人の生き死にをも手に取るように分かるのよ。情報社会の世の中でこれほどまでに強い力は無いわ。世界を支配することだって出来るわよ」
ハルヒは言ってもう一度胸を張る。
そこで俺の脳みそはようやく事の全容を把握し始めていた。
なんつうか………俺の驚愕と焦燥感十年分を返せ。マジで寿命が縮んじまったじゃねぇか。
事のつまり、ハルヒは自分の
俺は顔から緊張の二文字を消し去って、肩を撫で下ろす。他の連中は未だに難い表情をしているが、直に思い過ごしだってことに気が付くだろうさ。あの長門ですら心成しか視線が鋭いように思えるのが少し面白い。
「そうだ、早速みんなにあたしのこの
ハルヒは長門と朝比奈さんに一瞥ずつ送ると、満足したように頷いた。
「見てなさい。全部あたしが見たとおりになるんだから!」
そう言うなり椅子を引き机に突っ伏す。
急に部室が静かになった。シャカシャカと長門のヘッドホンから音が漏れてくる。
なんだこいつは今から夢でも見ようっていうのか? のび太じゃあるまいし、そう簡単に眠れるわけないじゃねぇか。
呆れ顔を作っていると朝比奈さんと目が合った。彼女も苦笑いを浮かべている。俺も苦笑いを見せた。
古泉の横面も目に入る。しかし、こいつはまだ固唾を呑んで夢の世界に旅立とうとしているハルヒを見つめていた。もういつものスマイルに戻っていいんだぜ古泉。
「予知夢だとさ、全く人騒がせな奴だよな」
「ええ、これは問題ですね。こういう事態が待っているとは予想外でした」
俺の言葉にスマイル高校生は売りのスマイルを見せることなく、視線もハルヒに合わせたまま俺に返事をした。
問題だと………? 何が問題だっていうんだ?
俺はいつものハルヒの突拍子もない行動を揶揄したつもりだった。それが古泉の口から出た言葉で調子を狂わされる。
「何言ってんだよ古泉。ただの夢話だろ?」
「それが普通の人であればそれで済んだでしょう。しかし、その人が涼宮さんであるならば話は大きく変わってきます」
古泉の頬を一粒の汗が流れていった。
ハルヒだからなんだってんだ。夢くらいハルヒだって見るだろうさ。
「いいですか? 涼宮さんは、」
古泉が俺の耳元に口を近づけて何かを言おうとした、その時だった。
「あ~~もう! 全然眠れないわっ!!」
ハルヒがガバっと上半身を起こした。
そりゃそうだろ。眠くなるから眠るんであって、眠るために眠るってのは簡単に出来ることじゃない。
「馬鹿なことやってないで、いい加減目を覚ませ」
「目なんかずっと覚めてるわ。今は眠りたいのよ」
「そうじゃない。そんな予知夢があるだんなんて考えを改めろって言ってるんだ」
このハルヒの勘違いで長門は本を捨てて、朝比奈さんは猫化しちまってることは明白だ。ついでに古泉だってけったいな
俺は当然の事を言ったまでだった。
だけど、にわかにハルヒの表情が曇っていった。
「どういう意味よキョン………。あたしの予知夢を信じてないの? ちゃんとあたしは見たのよ。有希が音楽聴いてる姿も、みくるちゃんが猫耳つけてる姿も、今朝の夢で見た通りなんだから………それに昨日は、」
その顔はいつものただ虫の居所の悪い感じとは違うように思えた。でもその時の俺はそれについて頭で考えるよりも先に口が動いていた。
「そんなのただの偶然だろ? お前の勘違いだ」
瞬間だった。あからさまにハルヒの表情にショックの色が浮かび上がったのは。
「いけませんっ!」
それと同時に横から男の声が飛び込んでくる。他でもない、古泉が発した言葉だ。俺は突然の声にそちらの方に顔を向ける。そこにはスマイル高校生の珍しい焦り顔があった。
いきなりなんだよ。
そう思うか否か。今度は俺の体に突然の衝撃が加えられた。たまらずケツで床を踏んじまった。痛みに細くなった視界の端にハルヒの後姿が映ってすぐに消えた。どうやらハルヒの奴が俺を押しのけて部室を飛び出していったらしい。
朝比奈さんのハルヒを呼び止める声が続けて聞こえてくる。
「ぃつつ………まったくなんなんだよあいつは」
「これは大変マズイ事になりましたよ」
打ち付けたケツを摩りながら立ち上がる俺に古泉はポツリと言った。
「また閉鎖空間か?」
毎度毎度ちょっと機嫌が悪くなるとすぐこれだ。あいつだってもう高校生なんだから、ちょっとは大人になってもいいと思うんだがな。
心の中でぼやく。だけど、事態は俺が思っている程単純なものではなかったらしい。
「それもありますが、閉鎖空間に関して言えば僕達でなんとか出来ます。問題はそこではありません」
「どういうことなんですか………?」
いつもとは違う古泉の様子に朝比奈さんも不安な声を溢す。
「今回の僕や朝比奈さん、長門さんの変化は確実に涼宮さんの
何が違うって言うんだ。あいつがこんな事が出来るということ自体、未だに信じることは難しいが、こんなことが出来るのはハルヒしかいないんだから、あいつの所為に間違いないだろうが。
「これは僕の推測なのですが、今回の現象で恐らく涼宮さんはそうあって欲しいという願望は抱いてはいないと思います」
願望は抱いていない? あいつは自分の望みを実現させる能力があるんじゃないのか。もし望んでいないならどうしてこんなあからさまな変化が起きてるんだよ。
眉間に皺を寄せるばかりの俺を置いて古泉は講釈の続きを話した。
「正確には意識ある望みを持たなかった、ということです」
説明になっとらん。長門もそうだがこいつももう少し分かりやすい説明が出来ないんだろうか。
「夢ですよ。先ほど涼宮さんが予知夢を見たと言っていました。恐らく、彼女は昨晩夢を見たんだと思います。僕が超能力を使い、朝比奈さんがネコミミを付け、長門さんが音楽を聴いている夢を。そこで目覚めた時に思ったわけですよ。今日学校に行ったら団員達は自分が見た夢の通りになっている、とね」
「それはさっきのハルヒの話を聞いてれば大体想像がつく。でもそれほど重大な問題か? いつものあいつの迷惑行動の一環だろ」
正直俺は古泉がここまで焦っている理由が掴めない。確かにあいつにコロコロ姿形を変えられたら溜まったもんじゃないが、そこまで切羽詰るほどじゃないだろう。
「そうであればよかったんですがね」
煮え切らない返事を繰り返す古泉。
だから何が問題なのかはっきり言えってんだ。
「いいですか? これまでの涼宮さんの行動は非現実的な願望と現実的な論理思考とのせめぎ合いから起こるものでした。つまりどんな無茶な願望でもそこには涼宮さんの意思が存在していたんです。ですが今回の現象はそれには当てはまらない。彼女は予知夢を見る事が出来る力が自分にあると思っている。もちろんそれは彼女の特殊な力による後付けでその夢の通りに現実を変えているのですが、そこに問題があります。夢というのは自分が見たいと思ったものだけ見れるというものではありません。時には見たくないような夢を見るときがあるでしょう。でも、そんな夢も涼宮さんは実現させてしまう。そうせざるを得ないんです。彼女は予知夢を見たと思うんですから」
「あ………それじゃあ………!」
古泉の説明に朝比奈さんの表情がにわかに硬くなる。そしてそれは俺も同じだった。古泉が危惧している事態が見えてきたからだ。
冗談だとしたら笑いのセンスは欠片もない。
「じゃあハルヒがもし………もしもだ、誰かが死ぬ夢を見ていたら、そいつは死んじまってたかもしれない、ってことなのか?」
「もっと大きくいえば、世界が滅亡する夢を見てしまっていたら、今の僕達はこうしてはいられなかったでしょう。これはもう一種の暴走ですよ」
古泉のいけ好かない顔に影が差す。世界の滅亡という言葉に朝比奈さんは顔を青くして今にも倒れそうだ。俺も背中に気持ち悪いくらいに汗をかいている。
なんつぅ綱渡りな状態なんだ。ハルヒが今度どんな夢を見るかだなんて誰にも分からない。もしかしたら明日には世界が終わってるかもしれない。くそ、全くふざけてやがる。
舌打ちをする。が、そこで今自分が思った事に間違いがあることに気が付いた。
ハルヒの暴走が次に起こるのは明日とは限らないんじゃないのか? そうだよ! 何も寝るのは夜になってからとは限らないじゃねぇか!!
頭にさっきのハルヒの行動が過ぎる。
あの時、ハルヒが眠っちまって、世界が滅ぶ夢を見ていたら………!!
瞬間、体の血の気が一斉に引いていった。今血管には血が一滴も残ってないんじゃないかと思わせる程だ。
「おい! 今すぐにハルヒの奴をどうにかしないと! 放っておいたらいつ眠るか分かんねぇぞ!!」
俺は部室を飛び出していったハルヒを追うべく、ドアノブに手を伸ばした。
「待ってくださいっ!」
しかし、その行動は古泉の声で妨げられてしまう。
「何言ってんだお前は! 大体事の重大さに気が付いてるなら説明する前にハルヒを止めろよ!!」
そこまで分かっていながら口だけしか動かさない古泉に俺は怒りを覚えた。しかもハルヒを追おうとする俺まで止めて。
俺は古泉を睨み付けた。だけど、当の古泉と視線がぶつかり合う事はなかった。こいつは俺の方には目を向けていなかった。調子が崩れた俺はその視線を追ってみる。そこには、音楽を聴いている宇宙人がいた。
「事は涼宮さんを止めればいいという単純なものではなくなっているのです。そうでしょう? 長門さん」
長門? そういえばこういう説明は本来長門がすべき役回りのはず。こいつだって古泉と同じ事を、いや、古泉以上に事の重大さは気が付いているはずだ。それが一言も口を開いていない。元々口なんて数えるほどしか動かしてこなかったが、必要な事はちゃんと言っていたはずだ。それがどうして今回は無口を押し通しているんだ?
いつもの長門より輪をかけて無口な長門に俺は戸惑いを覚える。もしかして中身の方もハルヒの奴に変えられてしまっているんだろうか? でも、そうだとしてもそれはハルヒをどうにかすれば済むはずだ。
「も、もしかして………でも、そんなのって………!?」
眉間に皺が寄る俺の横で思い出したように息を呑む朝比奈さん。普段はくりくりと可愛い両の瞳を大きく見開いていた。
「何か思い当たる事があるんですか?」
尋ねる俺にしかし朝比奈さんは古泉同様俺を見ることなく、長門にその視線を固定して動かなかった。
朝比奈さんまで一体どうして。
そんな事を口に出そうとした時だった。俺より先に朝比奈さんが口を開いた。
「長門さんの目的………確か涼宮さんの情報を集めることですよね。自分達の進化の鍵が涼宮さんにあるからだとか………。それって涼宮さんの能力の事でしょう?それに今曲りなりにも涼宮さんは気付いている。これって長門さん達の勢力にとっては望ましい出来事なんじゃないですか?」
朝比奈さんは固唾を呑んだ。ハルヒの暴走を聞いた時とはまた違う緊張を顔に走らせている。それは古泉も同じだった。俺も古泉が何を思って動かなかったか、いや、動けなかったのかを察してきた。
「そう、暴走とは言いましたが、これは彼女の能力の覚醒であるとも言えます。あなた達情報統合思念体の目的を達するには好都合だ。つまり、僕達とあなた達とは利害が反するという事になってしまいます」
俺も長門から目を離せないでいる。
つまり、長門は俺達の敵になっちまうってことなのか………?
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