第16話 絶望的な希望

 崩れ落ちゆく城を眺めながら、アザミは口元に笑みを浮かべた。


「かかったね、兄様」

「かかったね、兄様」


 そんな彼の周りを無邪気に飛び回る双子。アザミが手をかざすとその掌に喜んで頭を差し出し、その慰撫を受けた。


「えへへ、僕たち偉いかな兄様?」

「うふふ、私たち偉いかしら兄様?」

「ああ、見事な手際だ」


 二人にとって兄からの労いは何よりも嬉しい褒美だった。そこに、人間たちを巻き添えに城を破壊したことに対する後悔は微塵も見られない。


「……だが」


 アザミが城の正門側に目を向ける。アコとナイトも兄の言葉の続きを求めてその視線を追った。


「少々仕掛けを作動させるのが早かったようだな」


 晴れてゆく粉塵の中に銀色に輝く球状の物体があった。毛糸玉のように幾重にも鈍色の糸が折り重なり、その中にいる者たちを落下・飛散する瓦礫から守り抜いていた。


「はぁ……はぁ……皆さん、ご無事ですか?」

「……助かったわ、レンカちゃん」


 それは、レンカのかずらだった。全員の無事を確認した彼女は、防御形態を解きかずらをブレスレットへ戻した。


「あ……」

「レンカ!」


 その直後、レンカの体が後ろ向きに倒れてゆく。慌ててキッカが後ろから受け止めるが、その顔は蒼白で全身に力が入っていない。


「まったく、無茶しすぎよ」

「……無茶をしなかったら、守り切れませんでしたので」


 だが、落下する大質量の瓦礫全てをかずらで受け止め、守りが崩れないようひたすら膨大な魔力を注ぎ続けていたために、彼女の魔力は底を尽いてしまっていた。

 それによる強制的な虚脱状態。しばらくは支えなしでは歩くことすらできない。


「でも、城に入る前でよかった……アキレアさんの声がなかったら圧し潰されていたはずです」

「フン。壁の中から軋む男が聞こえたんだ。あんな気味の悪い音、一度聞いたら忘れねえよ」

「――なるほど。アキレアの耳の良さに救われたか」


 たった一言で空気が凍り付く。一瞬でドラセナたちの緊張が高まる。

 見上げると、そこに人が浮いていた。太陽を背にしてなお、その紅き瞳は爛々と輝き、四人を見下ろしているのがわかった。


「アザミ……!」

「くく……かつての主君の忘れ形見に不敬だぞ、アキレア」

「ぬかせ! 魔王様裏切った奴に敬意なんざ抱くかよ」


 アキレアの姿が変わる。全身を灰色の体毛が覆い、その口は鋭く裂けて牙がのぞく。人狼としての正体をあらわにしてアザミに向かい合う。


「来るかアキレア。だが、素直に潰されていた方が幸せだったかもしれんぞ。裏から入り込んだネズミたちのように」

「……まさか」


 つい先ほどまで一緒にいた部下たちの顔が浮かぶ。もしドラセナたちが城に突入する前に彼らが行動を起こしていたとしたら――。


「くすくす。みんな死んじゃったよね、アコ」

「くすくす。みんな死んじゃったわね、ナイト」


 アザミの背から二人の少年と少女が姿を現した。いずれもその瞳は紅く、髪の色は輝くように鮮やかな銀色。そのあどけなさの残る容姿はマリーとの血の繋がりを否が応にも伺わせるほどによく似ていた。


「でも残念だね、アコ。もうちょっとで全員潰せたのに」

「そうね、ナイト。もうちょっとで全員潰せたのに」

「……まさか、私たちを潰すためだけに城を潰したって言うの」


 キッカが問う。少人数で編成された部隊を潰すためだけに拠点一つを犠牲にするなど、行動が割に合っていない。

 だが、双子は意外とばかりにきょとんとした顔をする。


「当然だよ、だって遊びだもん」

「当然よ、だって遊びだもん」


 ケタケタと耳障りな声で双子が笑う。その人を小馬鹿にした笑顔がどこかマリーを思わせてキッカの癇に障る。


「そういう奴らよ、楽しむためなら損得なんて関係ないの」

「……こんな奴らがマリーの血縁だなんて」


 キッカがマリーの名を口にした瞬間、アザミたちの表情に少し変化が見えた。

 鋭い視線をキッカとレンカに向けると、アザミが口を開く。


「女。その言い方。マリーと関わりの深い者のようだな」

「そうよ。マリーは私とレンカと一緒に育った姉妹みたいなものよ」

「姉妹だって、聞いたアコ? 魔族と人間がだよ」

「姉妹だって、聞いたナイト? 魔族と人間がよ」

「種族の違いなんか関係ない! マリーは私たちの妹で、オウカ様とトウカ様の娘よ、あんたらみたいな奴らの仲間じゃない!」


 キッカの叫びが山にこだまする。その言葉を黙って聞いていたアザミだが、アコとナイトがにやけた笑いを彼に向け、そこで静かに口を開いた。


「……よくわかった」


 アザミが掌をキッカとレンカに向ける。その瞬間、キッカは彼と目が合ってしまった。

 その視線に射抜かれるような錯覚に、キッカの全身に悪寒が走る。その眼は、鮮やかな彩色に比べてあまりにも深い闇をたたえていた。


「お前たちは、いてはならない」


 間髪入れず、その手から巨大な魔力の塊が放たれる。力の凝縮の動作が無かったにもかかわらず、キッカと、彼女が支えているレンカ二人を飲み込むほどの巨大な一撃だ。


「しまっ――」


 一瞬の視線の交錯にキッカは反応が遅れる。だが、魔力弾は彼女らに炸裂する前に空中で突如爆発した。


「そうはいかないわよ」

「ドラセナ隊長!」

「この二人はマリーちゃんのためにも、絶対に殺させるわけにはいかないわ」


 次の矢をつがえ、アザミに照準を定めてドラセナは弓を引く。


「聞かせてもらえるかしら。貴方たちの目的は何? 魔王の息子が、ただ王国を引っ掻き回すだけで終わるつもりはないんでしょ」

「……」

「式典で要人を狙い、トウカたちを狙ってマリーちゃんを連れ去り、村を襲撃して……貴方たちは、いったい何をしたいの?」

「父は、この世界を手にしようとしていた」

「……?」


 噛み合っていないようなアザミの返答に、ドラセナは怪訝な表情を浮かべる。


「だが、志半ばで人間に討ち取られた。魔の王と称した者が人間に敗れたのだ……私は魔族が優れた存在であることを示したい。そのためには、魔王を倒したこの国が存在していては不都合なのだ」

「だけど、いくら魔王の子と言っても、兄妹四人でどうにかできるほどこの国は甘くないわよ」

「くくく……四人だと?」


 肩を震わせてアザミが嘲笑う。その姿に言いようのない不安をドラセナは感じた。


「危ねえ、避けろ女!」

「っ!?」


 風を切る音にいち早く気づいたアキレアが叫んだ。ドラセナも反射的に跳ぶ。その直後に二人が飛び退いた場所へと炎弾が降り注ぐ。


「ここにいる魔族が我々だけと言った覚えはないぞ、人間」


 周囲の木々の影が歪な形を成す。長さが変わり空に伸び、平面であった闇は立体となり人型を形作る。

 現れた魔族の数は七人。この場にいるアザミらを含めて十人の魔族がドラセナたちを取り囲んでいた。


「タイミングが良すぎる……潜んでいたってわけね」


 ここに至り、あまりに人間の固定概念にとらわれすぎていたことにドラセナが歯噛みする。

 彼女らは城の中の罠を警戒していた。しかしアザミらはその城を罠の道具とした。さらに狙いすましたような魔族たちの登場。あるいは偵察隊が魔物を追っている時には既にマークされていたのかもしれない。


「これだけではない。あと一週間もすれば我等率いる魔物の群れが西からこの国を襲撃する手はずになっている」

「なっ!?」

「東のこの地に目が向いている今、果たして王国は対処できるかな?」

「……何でそこまで教えるの」


 恐らくは生かして帰す気がないからだ――そう、四人が息をのんだその時、アザミがにやりと笑い、手を挙げた。


「え……?」


 さも通れと言わんばかりに、魔族らが突然王国へ続く道を開けた。意外な行動にドラセナは呆気にとられる。


「何のつもり?」

「お前たちにも希望を与えてやろう。見事、切り抜けられたのなら王国へ報告するがいい」

「……どういうこと?」

「舐めたマネしやがって……」


 だが、アキレアは何かを察していたようで、牙を剥き出しにしてアザミを睨みつけていた。


「てめえら、俺たちで遊ぶ気だな」

「対等なゲームだよ。ねえ、アコ」

「対等なゲームよ。ねえ、ナイト」


 双子が無邪気に笑う。だがその笑顔はあまりに残酷で、嗜虐的だ。


「ルールは単純だ。お前たちは逃げるだけ。我々は百数えたのちにお前たちを追う。我々に殺される前にこの山を下り、森を抜けることができたなら、そこから先は追わないと誓おうではないか」

「……平等に見せかけて理不尽ね。そっちは魔族と魔物全員。こっちは四人じゃない」

「強制ではないさ。だがこの場で殺されるよりはよほど分がいい話だと思うが?」


 殺そうと思えば今すぐにでも殺せる。だが、彼らはそれをあえてしない。人間の命など自分たちの意思で自由にできるということを誇示するかのように、わざと彼女らを解き放ち、そして皆で追い込み狩る楽しさを味わおうとしているのだ。

 明らかに舐められている。それがわかるだけに歯がゆい。だが、この戦力差を覆すだけの力がない。キッカもレンカも己の無力さがあまりに悔しかった。


「レンカちゃん。どう、走れる?」

「はい……まだ魔力切れの影響はありますが、何とか」

「……やるしかないわね」


 覚悟を決め、ドラセナを先頭に走り出す。脇に控える魔族たちは当然のことの様に手を出そうという素振りを見せない。だが、彼らが見せた出走前の馬を値踏みするような視線には屈辱すら感じた。


 どの獲物が、狩り甲斐があるかな――そんな声が聞こえてくるようだった。

 そして、彼女らが去ってしばらくの時が経ち、魔族の首魁が高らかに告げる。


「さあ、ゲームを始めようか」

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