第5話 全てを明かす時

 体が動かない。ぼんやりとしていて、夢なのか現実なのかわからない。

 頭の中で声がする。


 ――壊せ。


 私の前に誰かがいる。手が動いてその首を締め上げた。


 ――壊しなさい。


 目の前の誰かが苦しんでいる。

 やめて欲しいという気持ちとは裏腹に指にさらに力が入る。


 ――もっと暴れなさい。


 こんなことしたくない。

 大好きな人たちを傷つけたくない。


 ――あなたの大切なものを壊しなさい。


 嫌あああーっ!!




「私……何を?」


 跳ね起きたエリカは頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 今見ていたのが夢なのか、それとも現実にあったことなのかすらわからない。

 式典の最中、トウカらのいる貴賓席へ向かおうとしていたことは覚えていた。

 その後、何かがあった。確か誰かと――。


「大丈夫、エリカ?」


 そんなエリカの顔を誰かがのぞき込み、眼が合った。


「ひっ……!?」


 反射的にエリカが後ずさった。

 ベッドの隅で怯えて俯くエリカにマリーは優しく語り掛ける。


「大丈夫だよエリカ。怖がることなんてないから」

「あ……う……マ…リー?」

「うん」


 震えるエリカの手をそっと握る。

 その手から伝わるぬくもりに、エリカも落ち着きを取り戻し始める。


「大丈夫。大丈夫だから」

「うん……ありがとう」


 やっとエリカが顔を上げる。

 だが、その表情がまた曇った。


「ごめん、ごめんねマリー……」


 その首に刻まれた手の痕。

 自分の手で付けられたものであることはすぐに分かった。


「エリカのせいじゃないよ」

「でも……こんな酷いこと、私……」


 意識を失う前に聞こえた言葉のとおりだった。

 一番大事な友達を、敬愛する人たちに自分の意思ではないにしろ襲い掛かった。

 両親と祖父を失った彼女にとって、自分を笑顔で見守ってくれる人たちは何よりも大切な存在だ。

 それを自らの手で傷つけた。彼女にとって最も心が痛いことだった。


「大丈夫。ママたちのお陰でみんな無事だったんだから。エリカも気にしないで」

「トウカさんたちが?」

「うん」


 幸い、トウカが気付いたのが早かったこともあり、誰も大怪我を負うことはなかった。

 針が抜かれて以降の記憶がないエリカには、それが唯一の嬉しい知らせだった。


「……迷惑をかけたことと、お礼のために会いに行かないといけないですね」

「あー、今はちょっとやめた方が良いかも」


 疑問符を浮かべるエリカに苦笑しながらマリーは言う。


「お説教の真っ最中だから」




「……」

「……私がなぜ怒っているかわかるか、トウカ」


 事態が収まった後、オウカのいる第一部隊長室へとトウカは呼ばれていた。

 だが、トウカは床に正座させられ、オウカは腕を組んでいら立ちながら見下ろしていた。


「フロスファミリアの娘がバルコニーから飛び降りてはしたないなどと言うつもりはない」

「はい……」


 その瞬間はオウカも目撃していた。

 自分や国の要人らを助けるため、一刻を争う事態だったため仕方がないと思った。

 そもそも幼少から活発だったトウカはお転婆と言われていた。だから咎めるのは今更な話だ。


「怪我人もほとんど出なかった。お前の早い対処で事態も穏便に収まりそうだ。それについては陛下に代わり感謝を述べよう」

「はい……」


 オウカが何に怒っているのかトウカも気付いている。

 だが致し方ない状況だったこともあり、オウカも怒るに怒れないと言ういら立ちがあるのだった。


「まったく、私が何のために手柄を立てていたと思っているんだ!」

「ごめんオウカ……」

「あれほど目立つ行動は控えて欲しいと言っていたのに……今回の件でまたお前に注目が集まってしまっただろう」


 オウカが数々の手柄を立てた理由の一つには、世間の注目を自分に集めさせ、トウカの印象を薄くする目的があった。

 マリーに平穏な生活をしてもらうためにも、可能な限りオウカが目立つように立ち振る舞い、トウカは任務に協力してもその名前を表に出さないなどしていた。


「まあまあオウカ様。結果的にフロスファミリアの名声も高まったわけですし」


 行き場のない怒りを見せるオウカをキッカが何とか宥めようとする。

 だが、オウカの頭が痛いのはまさにそこだった。

 今回の件で錯乱状態にあった人々はその際の記憶を残していた。そのため、トウカが事態の収束に多大な貢献を果たしていたことは国民たちに強い印象を残してしまっていたのだ。

 救国の英雄姉妹はいまだ健在。フロスファミリアの名声は高まり、王国も盤石であることを示すことができるなど良いことずくめのために緘口令を敷くこともできない。

 結局、一時は収まっていたトウカの評判もあっという間に王都中で復活してしまった。

 数年間を要して積み上げてきたものが台無しだった。


「今回の件で、トウカ様にも勲章が授与されるのではないかと噂されていますね」

「勘弁してくれ……」


 勲章などもらって勲功を示せば、次に有事があった時に出撃を期待される。

 そこで手柄を立てればまた次。もはや平穏な生活に戻ることは許されない。


「今回の件は居合わせたトウカが協力をしただけであって騎士としての活躍ではない。したがって勲章の必要はない。そういうことで通す」

「うう、ごめんオウカ……」

「苦しいが仕方ない。関係各所へは私が頭を下げてまわる」


 こうなればかつてのような姉妹の不仲を持ち出す必要もあるかもしれない。そうオウカも考えていた。だが、それを使えばトウカの家に行くことははばかられる。マリーもそれは望まない。

 つい、オウカはため息を漏らす。


「まったく、難しいな。魔王の娘を守るのは」

「オウカ、それ禁句」

「……すまん。気が緩んでいた」


 キッカとレンカが周囲に人気がないか確認してはいるものの、どこで情報が洩れるかわからない。

 城内ではなおさら発言に気を遣わねばならない。


「そう言えば、みんなが錯乱した原因ってやっぱりあの針だったの?」

「他に考えられる理由がない以上、他に考えられないというのが騎士団の結論だ」

「そっか……それじゃあ」


 オウカも目を伏せる。

 今回、仮に魔力を用いて事件を起きたとすれば認めなければならないことがある。


「我々の魔術理論で言えば説明がつかない三つ以上の術式。それに加えて関わった者全ての心を踏みにじるようなやり口。が関わっていると見るべきだろうな」


 数多くの任務に出ているオウカには覚えがあった。

 膨大な魔力を用いて己の享楽のために力を振るい、人々を絶望に叩き落すやり方は長らく人間たちが恐怖に怯えていたものだ。

 ある時は圧倒的な魔力で都市を焼き尽くし、ある時は幻覚を見せて住人の同士討ちを誘い、人々の足掻く姿、翻弄される姿を面白がる。

 人の心と言うものをとことん利用するその手口は何度見ても怒りを沸かせる。


「まさか、オウカ様……」


 キッカもその意味するところに気付く。

 彼女らが知っているのは無邪気な笑顔を見せる優しい少女の姿。だが、本来それこそが異端なのだ。


「やはり……そうなのですね」


 レンカの言葉が重く響く。

 遂に来るべき時が来たのかもしれない。

 圧倒的な魔力を誇り、人間が魔術によって対抗できるようになるまで人の天敵とされていた存在。


「ああ。式典会場に魔族がいたということになるな」

「やっぱり……そうなんだね」


 トウカが目を伏せる。


「報告では怪しい黒装束の女が目撃されていたそうだ。その場所から考えてエリカ嬢に手を下したのもこの者だろう」

「事実、事件後にその行方は知れていません」

「目撃者も王都内にはいませんでした」


 ノアが見せたことがある影に溶け込むようにして消える魔法。

 あれならば侵入を図るには非常に有用で、警備の眼をかいくぐることは容易だろう。


「いくら封鎖したところで、内部に簡単に入られるとすれば厄介極まりないな」

「今度、ノアに対策を聞いてみる。マリーを守るためなら協力してくれると思うし」


 オウカも頷く。あちらもあまり魔法の情報は漏らしたくないだろうが、今回ばかりは王国の存亡やマリーの存在を隠すためにも譲るわけにはいかない。


「もうすぐマリーの誕生日だし、来る頃じゃないかな」

「そうか……トウカ、マリーの事についても話がある」

「……本当の親のことだよね」

「……ああ。魔族がこの国を狙っているかもしれない以上、マリーに全てを話す時ではないかと私は思う」


 それはつまり、マリーが覚えていない両親の立場のことを打ち明けるということだ。

 だが、それは自分たちが“魔王を倒した英雄”と呼ばれていることについての問題。つまりマリーの親殺しと言う誤解が生じてしまう。

 故に、五年前のあの日にマリーを保護した経緯を全て話す必要がある。


「……ちゃんと受け止めてくれるかな」

「大丈夫さ。確証がある」

「確証?」

「何だ、わからないのか?」


 訝るトウカにオウカは呆れ交じりに微笑みを返す。


「私たちの自慢の娘だぞ。きっとわかってくれる」

「そうだね……うん」


 五年間、彼女たちは精一杯マリーを育てて来た。そして、たくさんの苦労もあったが、たくさんの愛情を注いだ。

 だからこそ、悪い方向へ行くという不安はなかった。

 喧嘩をするかもしれない。だけど最後はちゃんとわかってくれる。そんな確信があった。

 そして、キッカとレンカもそんな家族を見て育ったからこそ、明るい未来以外はあり得ないと思うのだった。

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