第12話 動き出した時間
あれは、七年前の事だった。
あの日のことはよく覚えている。
「ああああ!」
私の悲鳴と共に宙を舞った剣が床に落ち、それと同時に私も床に倒れ込む。
「痛い……腕が…腕が……!」
七年前のあの日。実戦訓練の最中に私は妹の剣を受け損なった。
右腕が無くなったかのような痛み。
不自然な方向に曲がった腕からは血が流れ出ていた。
「そんな、オウカ……何で」
トウカの手から剣が落ちる。私を見下ろす妹の表情は蒼白だった。
いつもなら私は彼女の攻撃を受け止め、返し技で勝っていた。でもこの日はトウカの技に私の反応が追い付かなかった。そして、不用意に腕でかばったせいで大ケガを負ってしまった。
「オウカ、しっかりして! オウカーっ!」
私に
あの子が私を目標として日々努力していたことは知っていた。でも、まさか前の鍛錬の日からここまで上達するとは思っていなかった。私がトウカの実力を見誤ったからこんなことになったんだ。だから気に病むことはない。このケガは自業自得だ。
もう剣は握れないと言われた。フロスファミリア本家に生まれた者として、戦う術を失う事は次期当主の座を失う事と同義だ。寄せられる同情。だが、私は諦めなかった。
むしろ私は嬉しかったんだ。いつも私に敵わなかった妹が、遂に私を超えるまでに上達したことを。
私にも目標ができた。必ず再起してみせる。そして今度は私が勝つ番だ。また追い抜かれる日も来るだろう。だが、それでいい。これからも妹と剣の腕を競い合っていける。そのなんと素晴らしいことか。
そう思えたからこそ、不屈の精神で腕の機能を取り戻すために頑張った。その光景はあまりにも痛々しい物であったからトウカには見せたくなかった。知れば必ず見に来る。手伝おうとする。そんな罪の意識を持つ必要なんてないのに、あの子は優しいからそうしてしまうに違いない。だから両親にはリハビリのことをトウカに黙ってもらった。
トウカが一人で鍛錬を続けていたのは知っていた。妹は私の帰りを待っている。そう思えたから頑張り続けた。
短い期間に私は腕の機能を取り戻した。回復した時は奇跡的と言われた。だが、私にとってはまだスタートに立っただけだ。
すぐに剣を取り、勘を取り戻すための訓練を始めた。しばらく会えない間に、トウカも剣の腕を磨いているはずだ。すぐに追いつき、追い越すためにも休んではいられない。
待っていろトウカ。お前を見返してやる。
そして、もう一度鍛え直して遂に私は妹に再戦を申し入れた。それなのに――。
「……ごめんなさい。私はあなたを傷つけたくない」
心に大きな穴が空いたようだった。
私は何をしていたのだろう。何のために辛い日々を乗り越えて剣の腕を磨いてきたのか。何もわからない。
妹は剣を捨てていた。
そして妹はフロスファミリア家を出た。風の噂に、名を変えて作家まがいの事をしていると聞いた。
フロスファミリアを名乗らない。それは家との関わりを断った事を示す。
――ああ、私の知ってるトウカはもういなくなったんだ。
もう……あんな楽しい日々は帰って来ないんだ。
「リハビリも、研鑽も……お前と言う目標があったからあの時は頑張れた」
呪詛の様な恨みの言葉を吐き、オウカは睨みつける。
「だが、全てを費やして努力したことが無駄になった。あの時の私の気持ちがわかるか!」
「違う……私はそんなつもりじゃ……」
そんなつもりじゃなかった。だが、その言葉が彼女に届くと言うのか。
オウカが一人でリハビリに励んでいる間、トウカはずっと一族の中傷に晒されていた。剣が握れなくなったのは罪の意識がそれによって強まったからだ。
オウカが帰って来ると、そのために努力していると知っていたらどれだけ勇気づけられただろう。どれだけ心の支えにしていられただろう。
だが、トウカは先に心が折れてしまった。
オウカが帰って来た時、トウカは剣を握れない程の罪の意識に打ちのめされていた。
オウカとトウカがともに
全ては自分のせい。自分が優秀な姉を越えようとしたからこんな事件が起こったとトウカは思い込んだ。そんな時にオウカが再起した。
彼女の再戦の申し込みを受けた時、トウカはその申し出を断った。それは剣を握れなくなっていたことに加え、オウカが負けたままだったことが許せないのだと思って恐怖してしまったからだ。
だが、結果的にそれは逆だった。
初めて知った姉の心中。それは純粋にもう一度トウカと技を競い、ともに高め合いたかっただけだったのだ。オウカは何も変わっていなかったのだ。
「ただ私は……お前ともう一度一緒に頑張って行きたかっただけだった。それをお前は!」
そして彼女のためにと、家のためにと思ってトウカがとった行動は全て裏目に出ていたことを知る。
家を出たのは争いを回避するためだった。だが、それによって全ての期待はオウカへ集中することとなる。比較される存在が居なくなれば今度は理想の存在へと育て上げようとする。そしてそれは終わりがない。
どこまでも尽きることのない一族の期待。それにオウカは応えようと一人で戦い続けた。
だが、いつも傍にいた妹がいない。いつしか支えを失ったオウカは次第に誰かを憎むことで心の安定を保とうとしていた。
大好きだった妹がだんだん憎らしい存在に変わって行った。自分一人に全てを押し付け、剣からも家からも逃げ出した。そんなフロスファミリアを捨てた妹を。
あの日、オウカがトウカを呼び出して戦おうとしたのは魔王討伐を前に確かめたかったのかもしれない。自分が追い求めた妹の実力がどれほどのものだったのかを。
だが、トウカは今でも彼女と戦えないままだった。そして、姉は妹を見限った。
「こんな奴に何を期待していたんだ」と、そうオウカは言った。その時までは、まだどこかで妹を憎み切れない気持ちが残っていたのだ。
「騎士団に入ったのも、お前との約束を守ろうとしたからだ」
だが、トウカは騎士にはならなかった。
名を隠し、作家として生活をした。
「手柄を立て続けたのも、もっと強くならなければと思っていたからだ」
それはあの日、トウカに敗れたから。
いつか超えようと思っていた存在を追い求めたから。
だがその目標はいつまでも満たされることがない。傷つき、戦い続けても終わりはない。
いつまでも終わることのない悪夢。とうにオウカの心は悲鳴を上げていた。
「どうすればいい。どうすれば私はお前を越えたと思える日が来るんだ!」
憎悪と憧れが混じり合ったオウカの悲鳴。
ここに至るまでの様々な思いが彼女の中から溢れ出す。
「あの日、お前と対峙してやっと分かったよ。私への自責の念で剣が持てなくなったことを」
「オウカ……?」
それはつまり、二度とトウカを超えることができないとわかった瞬間。
自分が憧れ、目標としていたものが崩れ去った瞬間だった。
「だからこそ、私は気づいた。お前がここまで堕ちたのは私の責任だ。私があの日、不甲斐なかったから。全てはお前を侮ったあの日が全ての始まりだったんだ」
子供の頃のたった一瞬、妹を侮ってしまったがために大ケガをした。
その結果、トウカは自責の念で剣を封じて家を出て行ってしまった。自分が家から追い出したも同然だった。
全ての発端が自分自身だった。その事実はどうしようもなく自分を
「だからこそ、私の手で始末をつける。お前のこの罪は私の罪だ」
オウカが剣を持ち上げる。その表情は前髪に隠れて見えないが、どこか泣いているようにも見えた。
「一つだけ、聞かせて」
「……何だ?」
トウカの言葉に、オウカの手が止まる。
「私を殺してその後はどうするの?」
「そこの魔族と魔物を倒し、魔王の娘の命を取る。それから……」
「それから?」
オウカは、それが当然のことのように言う。
「私自身に始末をつけるさ。妹殺しに最も相応しい末路だ」
「――っ!?」
トウカが両手を強く握る。それは、もっとも恐れていた答えだった。
「そうすればお前の裏切りも、私がお前を殺したことも、誰も知る者はいなくなる。私たちは魔王を倒す引き換えに命を落とした。それだけのことになる」
それが、フロスファミリアの名誉を守る最善の方法だった。
トウカが静かに目を伏せる。それはオウカにとっては彼女が素直に首を差し出そうという仕草に見えた。
「聞きたいことはそれで終わりか?」
トウカは何も答えない。その沈黙を肯定ととらえる。
オウカが剣を握る手に力を込めた。
「すぐ私も追いかける。今度はちゃんと待っていろ」
あの時言っていればよかった。そんな言葉をようやくかけることができた。
思い残すことはなかった。万感の思いを込めて、姉は妹へと剣を振り下ろす。
「そっか、それじゃあやっぱり――」
トウカが顔を上げる。その顔は笑顔だった。
「――私は、死ねないよ」
次の瞬間、固い手ごたえがあった――だが、オウカの剣は血に染まってはいない。
「……今、何をした?」
オウカの目が驚きで見開かれる。
手に残る強い衝撃と痺れ。何故、振り下ろした自分の剣が横にはじかれているのか。
いや、それはわかっている。トウカが剣を弾いたのだ。
だが、彼女を驚かせたのはそこではない。
どうしてトウカが抜けなかったはずの剣を抜いているのかという点だ。
「オウカ……私、やっと見つけた」
「……何だと?」
力強く剣を握るその手に震えはない。
立ち上がる彼女の目に宿る決意に揺るぎはない。
「私が、戦う理由」
トウカの覇気に、オウカは思わず後ずさる。
消極的で姉の顔色をうかがい、戦うことを拒んでいた彼女からは想像もしていなかった姿だった。
「私が死ねばオウカも、マリーも、みんなが死ぬ。それは、私が望んでいた未来じゃない」
「……勝手な言い分だな」
「お互い様だよ」
七年前、お互いに選択を間違えた。
トウカは、姉を気遣って家を出た。
オウカは、妹に心配させまいとして再起を伝えなかった。
それは相手を思ったことからなのに裏目に出て、結果互いの心に深い溝を生み出してしまった。
「私のしたことは取り戻せない。だからどれだけ恨まれても、蔑まれても構わない。でもこれだけは譲れない!」
剣をオウカに向ける。あれだけ己をとらえていた鎖がまとわりつくような感覚はもうない。
迷いを捨て呪縛から解き放たれ、心が宿った剣を遂に彼女は取り戻す。
「誰も死なせたくない。立ち向かわなくちゃみんなを守れないなら、私はこの剣をとる。そしてオウカを止める!」
「
オウカが剣を構える。そしてトウカも同様に構える。
同時に二人は駆け出す。その動きは鏡に映したように全く同じ、共に学んだフロスファミリアの型。
「だが、剣を捨てた七年間の差は大きいぞ!」
「そんなことないよ。だって私は――」
二人の剣が激突する。
再会した日と同じように互いに打ち合わせた剣は火花を散らして離れる。
「――剣を、捨ててなんていなかったんだから」
その剣はトウカの手の中に。今度は宙へと舞い上がることはない。
全くの互角。王国最強の騎士と言われたオウカの一撃と全く同質の威力を、トウカは放っていたのだ。
「捨てて……いなかっただと」
言葉よりも雄弁に、それを証明するものがある。
剣を通じて伝わる衝撃。それはあの日、オウカの手に残った痺れと同質のものだった。
それは決して偶然や気のせいなどではなかった。間違いなく、目の前の妹は自分に勝るとも劣らない実力を持っていることをオウカは理解する。
「やっぱり私はトウカ=“フロスファミリア”だったよ。家を出てからも剣は捨てられなかった」
「……この七年間。鍛錬を続けていたというのか」
「誰かと戦うことはできなかったけどね」
オウカは戦慄が走った。
相手もおらず、ただ一人で黙々と剣を振るう日々。それを七年間という途方もない間、いつ報われるかもわからないその鍛錬を彼女は続けていたというのだ。その事実は、初めてオウカを恐怖させる。
「……答えろ。魔王の娘にそこまでこだわる理由は何だ?」
「約束をしたから」
トウカから返って来た意外な言葉に、オウカは思わず聞き返す。
「約束だと?」
「マリーに花畑を見せるって」
それは、二人が交わした小さな約束だった。
しかし、マリーにとっては初めて外に出るという大きな願い。
無垢な心を持つあの子の夢を叶えてあげたいと思った。
「だが、魔王の娘であるという事実からは逃れられない。放ってはおくことはできないぞ」
「大丈夫だよ。私がいるから」
そしてその純粋さを、笑顔を守ってあげたいと思った。
「貴様が?」
「私がマリーを育てる。人間の脅威になんてさせない」
迷いのない。まっすぐな瞳だった。
いつもなら一笑に付すようなトウカの言葉。だが、オウカはそれを正面から受け止める。
「人と魔族が相容れないものであるという世界の認識をわかった上で言っているのか?」
「人間と魔族、どちらかが滅びる結末じゃない。一緒にいる未来だってあるかもしれない。マリーは、私にそう思わせてくれた」
マリーと共にいた時間はほんの僅かだったが、人と魔族の隔たりは感じなかった。トウカが接したあの子は、どこにでもいる普通の女の子だった。
それならば、共にあることはできるはずだ。お互いを大切に思う気持ちに、種族の違いはないのだから。
「下手をすれば人と魔族の双方にとっての争いの火種だぞ」
「でも、上手くいけば人と魔族を繋ぐ架け橋になるかもしれない」
アキレアはトウカを信用すると言った。ノアはマリーを託すと言った。ならば、共にある未来も無理ではないのではないかと。
「時間はかかるけど、不可能じゃないと思ってる」
「……そうか」
そしてオウカは剣を再び構え、トウカをまっすぐ見据える。
「お前の気持ちは分かった。だが、私にも引けない理由がある」
その目は先程までの殺気に満ちたものではなく、一人の人間としてトウカを、妹を見つめていた。
「ここに来るまで、多くの人が、部下が命を懸けてくれた。私は彼らに報いなければならない」
魔王討伐は叶わない。だが、その眷属たる娘が残っている。
自らを慕い、信じてくれた人々のためにもオウカは止まることは許されない。
「わかってる……だから、決着をつけよう」
トウカも姉に応えて剣を構える。
無垢な魔王の娘を守るために、新たな未来を掴み取るために。
そして、大好きだった姉の命を守るために負けるわけにはいかない。
「お前が自分を通すというのなら、私を倒せ。私も全力でお前を倒しに行く」
もはや私怨にとらわれた剣ではない。
心技体が一つとなり、己の信念として振るうオウカの剣。
「負けないよオウカ。だって――」
そして、高め続けた剣技と体術を、折れぬ心で支えるトウカの剣。
二人の距離が次第に近づいてゆく。
「――私は、この手でみんなを守るって決めたんだから」
剣を放ったのは同時だった。
それは七年ぶりに始まる姉妹の真剣勝負。
七年前に分かたれた二人の道が、遂に交差した瞬間だった。
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