第4話

今日最後の授業終わりのチャイムが鳴ってから早一時間、日も傾いてきてて誰からともなく帰り支度を始めて、校庭のベンチを立ち上がる。

「あ、ちょっと待って水筒水筒っと」

最後まで座っていた照葉ちゃんが自分のカバンを開けて中から水筒を取り出して、中のお茶をちょびっと口にする。それから水筒をしまおうとカバンの中を覗き込んで

「おっと、わすれてた」

と呟き、しまった水筒の代わりに何かを取り出した。

「えりみん、ごめんごめんすっかり忘れてたわ」

そう言って照葉ちゃんはえりみんちゃんにそれを差し出す。えりみんちゃんは急になんのことだといういぶかしげな顔をしていたけど、それを見て直ぐに納得する。

「ああ、これね」

「なんですか、それ」

ベンチに置いたままのスピーカーから七々ちゃんが尋ねる。

「ん、これ?DVDよ」

受け取ったディスクをひらひらと振って見せてえりみんちゃんは言う。

「今の時代、ブルーレイですよ。旧式ですね」

「悪かったな、旧式でー」

七々ちゃんの流れるような煽りに照葉ちゃんは立ち上がりながら答える。

「昨日えりみんと話しててさ。うちの両親、映画とか好きでちょっと前のやつとかDVD揃えてたんだよ。それで、えりみんが見てみたいっていうから」

「それで貸すって話になったのね」

「いやー、忘れないようにって昨日カバンに入れてたのすっかり忘れてたわー」

「…でもわたし、貸すのは今日じゃなくていいって言わなかったかしら?まあ別にいいけど。そういえば」

自問してから何か思い出すような仕草をえりみんちゃんは見せるけど、すぐに寧世ちゃんがその裾を引っ張って

「襟実、正しい。昨日、ちゃんとてるにそう言ってた」

「そ、そう。よかった」

寧世ちゃんに証言されてえりみんちゃんは思い出すのを止めて言う。

「え、そうだったっけ!?」

「なによ、そっちが忘れてるんじゃない」


第四話:日常と非日常


「じゃあちゃんと明日には返すわね」

帰り道を五人で話しながら戻って、いつもの待ち合わせ場所に帰り着いた。そこでえりみんちゃんが言う。

「明日ってすごい急だね…」

「そうそう、別にそんな急いで返さなくていいって。うちの親だってそんな頻繁に見直したりしないしさ」

わたしも照葉ちゃんもえりみんちゃんの宣言を止めようとするけど、当人が逆のそれを制して、

「大丈夫よ。わたしはね、レンタル店でCDとか借りる時はみんな一泊、可能なら当日でしか借りないのよ!」

なにそれ自慢されても困る…

「あの…旧作は借りれるのだいたい一週間って決まってると思うんだけど…」

「それでも次の日には返すわ!」

「もはや自慢じゃなくて単にもったいないよ!」

い、意固地になってるようにしか、聞こえない…

「まぁ、はやくに返してくれるならそれでいいけどさ。そもそもえりみんが借りパクしないことぐらいわかってるし」

貸し出す本人がそう言うならいいのかな一応。というわけでえりみんちゃんの明日返す宣言は受け入れられて、わたしたちはそこで別れた。


朝は七々ちゃんを迎えにいかなきゃいけないからえりみんちゃんには先に待ち合わせ場所まで行って貰ってるけど、わたしや七々ちゃんの家の方向とえりみんちゃんの家の方向は同じ。だから帰りはいつもの待ち合わせ場所から少し先まで一緒になる。

「よいしょっと」

わたしが七々ちゃんのスピーカーを持ち直すと、えりみんちゃんは

「朝からずっと持ってるんだし、これからは帰りぐらい替わる?」

「大丈夫大丈夫…先生からも言われてるし、要は慣れだよ慣れ…」

「いや腕ふるえてるし、全然大丈夫に見えないけど…」

「大丈夫ですよ、詩絵さんは強いのです」

「なんで七々の方が自慢げなのよ」

いっそのこと七々ちゃんロボットになって来てくれればいいのにとは思ってます。

スピーカーの底に腕を添えて、わたし達は歩き始める。

「あ、そうだ。七々ちゃん、帰ったらちゃんとメール送ってね」

「はーい、わかってますよぉー」

スピーカーからだるそうな声が聞こえてくる。まさか人に運ばせといて自分は眠くなってるんじゃないよね。

「ねぇ、なんの話?」

このスピーカーをどうしてくれようかと少し頭をよぎった辺りでえりみんちゃんが声を掛けてきてふっと頭から余計な考えがなくなった。

「えっと、なにが?」

「ほら、メールとかなんとか言ってたじゃない」

えーっと何の話してたんだっけ。粗大ゴミ回収車の呼び方だっけ。ああ、違う違う。

「あーっと、あれだよ。明日までの宿題!七々ちゃんのも手伝うからって資料は調べといてってね」

見かけによらず時間のかかる宿題で大変だったのをやっと思い出したわたしはえりみんちゃんに説明する。でも…

「えりみんちゃん、その宿題終わってるよね?」

成績もよくて先生たちの評価もいい、宿題だって忘れたこともないえりみんちゃん。副クラス委員だし。わたしたちと違ってもう終わってると思ったけど。

「そうか、そうだったのね…どうりで最近はないなぁと思ってたけど…」

急にえりみんちゃんは独り言を言い始める。

「ごめん二人とも、わたし時間がないから先に帰るわ。それじゃ、また明日!」

それだけ言い残して、えりみんちゃんはすごいい勢いで走っていった。

「えりみんちゃんもしかして、宿題終わってない…?」

「ですねぇー。あの感じは忘れてたみたいな」

「それと、七々ちゃん」

「なんです?」

「眠いからって家に帰ってすぐに寝て、結局メールを送り忘れるのは止めてね?」

「あ、はいごめんなさいです」


※※※

翌朝。もう日課になってるけど七々ちゃんを家まで迎えにいって、それからいつもの待ち合わせ場所に向かう。とりあえず、昨日の内に宿題は終わって一安心。そんな話を七々ちゃんとしてる内に到着。すぐに寧世ちゃんの姿が見えた。

「おはよー」

「ん、おはよう」

「おはようございます」

寧世ちゃんがいたのはベンチで丸く囲われた一本の樹の傍。わたしたちが来たのを見ると寧世ちゃんはわたしたちに見えるようにちょっと動く。何が、といえばベンチにいる人で、何を隠そうえりみんちゃんだった。

驚いて声を出しそうだったけど、寧世ちゃんのしぃーっというジェスチャーでなんとか抑えられた。

「ど、どうしたの、えりみんちゃん?」

小声で訊ねると、寧世ちゃんは首を横に振る。

「さっき来た時、もう寝てた」

寧世ちゃんが来たから寝始めたわけじゃないんだ。

「つまりちょっとの間は公共の場で、しかも一人で居眠りしてた訳ですねぇ」

七々ちゃんも音量を落として喋る。多分スピーカーの方の調節はいらないみたい。

「…事件の香りです。触っても起きないのをいい事に通行人にあれやこれや…」

「なんでそういう話に持ってくの!?」

確かに不用心だけど!ちゃんと大きな音は立てずにわたしはツッコむ。

「とりあえず、しばらく寝かせとく」

寧世ちゃんの提案に乗っかって、わたしも七々ちゃんをベンチの上に置く。ていうか重かった。

「でも電車の時間結構ぎりぎりですよ」

「そういえば照葉ちゃんはどうしたの?」

いつもは寧世ちゃんと一緒に来るのに。しかももう電車の時間も迫ってるし。

「家出ていつも会うところ、てるがいなかった。むぅ、やっぱりてるの家に、寄っとくべきだった…」

「単に寝坊とかしてそうですもんねぇ、照葉さん」

この様子だと照葉ちゃんまだ来そうにないし、とわたしは七々ちゃんの隣に座る。

「あ」

同じように座ろうとした寧世ちゃんが何かに気付いて声を漏らし、そっとえりみんちゃんの前にかがんだ。わたしも覗き見てみると、なるほど口元からちょっとよだれが…

寧世ちゃんがポケットからハンカチを出してそれを拭こうとしたちょうどその時に

「あ、照葉さん来ましたよ」

そっちに目線を向けるとカバンを右肩に掛けた照葉ちゃんが

「ごめーん、遅れたー、寝てたー!」

と大声で走って来た!

「って、えりみんちゃん起きちゃう!」

「どうせすぐ起こすことになるんだからいいじゃないですか」

「でも起こし方っていうのがあるって!」

わたしは立ち上がって身振り手振りで照葉ちゃんに静かにするよう伝えようとするけど

「え、なんだって!」

ダメだ、さっきより声が大きい!

「悪化の一途を辿りますね」

「なんで伝わんないの!」

結局このやり取りを照葉ちゃんが木の下につくまで続けて、ちょうど寧世ちゃんがえりみんちゃんの顔を拭いてる時に、えりみんちゃんが起きてしまう。

「あ、れ」

で、間近の寧世ちゃんにびっくりして後退りしようとして後ろの樹に頭を強打。

「なにしてんの、えりみん…」

一番呆れた顔してたのが照葉ちゃんで、まあ照葉ちゃんが半分ぐらい悪いとは思うけど。

「目さましたらいきなり人の顔だったら驚くでしょ、普通…」

後頭部をおさえて抱え込むえりみんちゃんが呻く。

「あの、それよりみなさん、電車の時間がですね」

わたしたちは顔を見合わせて走り出した。


なんとか電車には乗れたけど、いつもの電車よりも遅い。つまり電車から降りて学校へは急いで向かわないといけない。

「ということですので、どうぞ頑張ってください」

「そうやって他人事みたいに言う。わたしたちが遅れたら七々ちゃんも遅刻扱いでしょ」

電車のつり革に掴まって揺られ揺られて電車は進む。前の座席の人がうつらうつらと頭を揺らしていた。それを見てわたしはえりみんちゃんに聞いてみた。

「それで、今日はどうしたの?」

えりみんちゃんは手すりに掴まって更に全体重をそこに預けて立っている。

「あ、うん。ほら今日までの宿題やらなきゃいけなかったし、照葉にDVD返さなきゃいけなかったし…」

「DVDはそんなに今日にこだわらなくても…」

「待って…」

わたしたちの会話に割って入って来た照葉ちゃんはつり革に掴まってない方の手で自分のこめかみをおさえる。

「宿題ってなに…?」

「てる、昨日宿題やってて寝坊したんじゃ、ないの?」

「…呑気にテレビ見てました…夜更かししました…」

「もうこっちは駄目みたいですね」

辛辣な七々ちゃんの言葉が照葉ちゃんを襲う。

「でもえりみん、えりみんだって!」

照葉ちゃんは期待をこめた眼差しでえりみんちゃんを見るけど

「わたしはちゃんと宿題終わらせたから」

「うぐっ、う、裏切ったな!」

「そもそも同類にしないでよ」

けだるそうに見えながらもきちんと照葉ちゃんに返してる辺り、えりみんちゃんも手慣れてるというかなんというか。

「宿題終わってからなんとか映画も見終わって、それで遅刻したらみんなに悪いから早めに待ち合わせ場所に行って待ってようと思ったら寝ちゃってたわ」

あくびをしてえりみんちゃんは話を終える。

「いやー、どっかの誰かさんとは大違いですね」

「なんか今日、あたしへの当たり強くない!?」

ちなみに七々ちゃんとそのスピーカーは座席の上の網棚に。

「それにしたって照葉ちゃんはともかく、えりみんちゃんが宿題を忘れるなんて意外というか、いつもはしないよね?」

「あー…それね…」

「そういえば、二人に、話してない」

半目で手すりに寄っかかるえりみんちゃんに続いて寧世ちゃんが話す。わたしたち、わたしと七々ちゃんに話してないこと?

「ちょっとその前に。もう駅つきましたよ」

「話は後、まずは学校へ走る!」

「だ、誰のせいでこうなったと思ってるのよ」

「それについてはごめんなさい、もうしません!」

いつもの音の後に電車のドアが開いて、わたしたちは一斉に走り出した。


紆余曲折の後、あとは学校まで一本道。

「や、やっぱり…重いよ、七々ちゃん…」

「気にしてるんですよ、これでもー」

「七々ちゃん自身の重さじゃないじゃん!もっと軽いのか、せめて取っ手つきのしてよ!」

「善処します」

「それはしないやつ!」

ダメ…こうやって文句言ったりするだけ余計に疲れるんだ。もう黙々と七々ちゃんを運んだ方がはるかに楽。

「でも、なんとか、間に合う」

確かにこの調子なら寧世ちゃんの言う通りチャイムに間に合いそうだし、多分もうちょっとスピードゆるめても大丈夫かも。

と思ってたら、えりみんちゃんがさらに加速して前に出た。

「どうしたの、急に!寝不足で疲れてると思ってたのに」

「あれは多分、でも駄目だえりみん、それ以上は!」

必死の形相で照葉ちゃんが腕を伸ばした途端、前方でえりみんちゃんがこけた。

「えりみーん!」

でもすぐにえりみんちゃんは立ち上がって、また走り出した。そして

「えりみんちゃーん!」

また転んだ。今度はそこで動かなくなる。

「大丈夫!?どうしたの!?」

駆け寄って声かけると、えりみんちゃんはなんとか上半身だけ起こして、

「わたしは…もうダメ…」

どうしよう、燃え尽きた人の台詞を言ってるよ、まだ今日始まったばかりだよ。

「とりあえず、学校まで、運ぶ」

「まあそうだけど、どうすっかねー」

意外と冷静な二人にわたしは驚いて、

「え、これ、救急車とか呼んだ方がいいんじゃないの!?」

「えっとねー、それやったら多分怒られるんだわ」

照葉ちゃんがそう言って、寧世ちゃんも頷く。二人が言うなら大丈夫…なの?

「今こそ、詩絵さんの力を使うときです」

地面に置いた七々ちゃんが言うにはつまり、わたしがえりみんちゃんを運ぶ?

「イエスです。日頃わたしを運んで鍛えられた腕に足腰。今役立つとき!」

というわけで七々ちゃんを二人に預けて、わたしはえりみんちゃんをおぶる。

「日々の善行はいざというとき役に立ちますね」

「うん、そうだね」

「わたしのお陰ですね」

「うん、そうかもね」

なんだろうこのもやもや感。

「よーし、いくぞー」

ちなみに七々ちゃんを交代で運ぶ二人よりわたしの方がはやく学校についた。あれ、わたしもしかして力持ちキャラとして確立し始めたの…?え、そんな称号いらない。

教室についてえりみんちゃんを席に座らせる。そのままえりみんちゃんは机に突っ伏した。

「保健室行った方がいいと思うんだけど…」

その机を囲うようにわたしたちは立って見守っていた。正直えりみんちゃんの状況はただの寝不足に見えないし。

「朝礼まで、時間ある。さっきの話の続き」

「そういえばわたしたちに話してない事があるんでしたっけ」

「そう。襟実の力のこと。襟実は自分のものを“落とす”」

落とす?それはもう特殊能力とかそういうのじゃないような…

「正確には取り除く、ってところだけど」

ちょっと顔を覗かせて本人が答えた。大丈夫なのか聞いたら、とりあえずは、と答えて自分で話を引き取る。

「物を落として失くしたりもするし、今日みたいなことも」

「今日も何か落としたの?」

「今日は…あれだ、注意力とか平衡感覚かな?」

照葉ちゃんがすごい突拍子もないことを言い始めて、落とすって物じゃないの?と思って本人を見てみれば頷いていた。

「さっさと駆け抜けてとにかく学校に着こうとしたけど…」

「間に合わず撃沈」

「ぐぅ…」

やれやれと照葉ちゃんは首を横に振ってるけど、ちょっと待って意味がわかりません。七々ちゃんは、七々ちゃんもわかってないよね?

「つまりえりみんさんのは、物でも感覚でも何かしらを一時的に落とすってところですか」

あー、わかってるっぽい。

「昨日宿題のことを忘れていたのもそういうことですね?記憶を落とした、と」

「ちょっと違う。記憶そのもの、じゃなくて、意識して思い出すこと、の方を落とした」

「それって違いなくない?」

わたしも思っていたことを照葉ちゃんが言う。それに七々ちゃんは丁寧に返す。

「おつかいを頼まれてたのを放課後には忘れて帰って、家で思い出すとします。それは記憶がなくなっていたんじゃなくて、意識にのぼって来なかったとかそういうのなんです」

「そもそも記憶自体が、なくなってるなら、忘れてたとか思い出したとか、言えない」

そっか、わたしたちの話を聞いてえりみんちゃんは思い出したわけだから、宿題があったことはどこかで覚えていて、それを意識していなかっただけなんだ。

「というか、なんでわたしの方が照葉さんより理解してるんですかね」

「むしろ転校したばかりで色々知ってるそっちの方がすごいと思うんだけど!」

「わたしは七日先生に話は聞いてましたからね」

あれ、わたしは聞いてないんだけど。

「で、でも、えりみんちゃんのが一番大変そうだね、その力、だっけ?」

とりあえずなにか言っとこうと不用意にそんなコメントをしたら

「それは違う!」「心外ですね」「そんな、ことない」

「「「あたし(わたし)(私)の方がもっと酷い!」」」

えー、そこ張り合うところじゃない!

「あたしなんて、お化け屋敷に入ったときに顔のパーツがちょうど透明になって、逆にお化け役の人を驚かせたんだぞ!」

「知らないよ!」

「わたしは誰かに運ばせないと満足に移動もできないんですよ!」

「それ運んでるのわたし!」

「私、見たくないもの見える。ほら、この教室の後ろの隅に…」

「そういうの聞きたくないから!」

わたしは耳を塞いでかがんで思う。ともかくこの不幸自慢大会を終わらせなくては。一つはわたしの不幸だったけど。

「ま、まあみんなの大変さもわかったから、今はとにかくえりみんちゃんのサポートをしなきゃ」

立ち上がってわたしはえりみんちゃんの手をとってみんなに言う。

「筆記用具とかは貸せばなんとかなるとして、移動教室とか実験、調理実習は…今日なかったよね?」

「教科書、私が見せる」

「よし、それで早速だけど、今日の一時間目は…」

「体育です」

「え」

「あ、ホントに体育だ」

一番はじめに一番大変なやつがきた。


とりあえず着替えて体育館へ。えりみんちゃんの体操着はなくなってなくてよかったけど…あれもしかして体操着忘れて見学してた方が本人のためだったような…

授業の始めは例のごとく七々ちゃんのスピーカーから流れる音楽に合わせた体操から。わたしたち三人はえりみんちゃんに何があってもいいように周りに陣地どる。

「大丈夫なの?やっぱり見学してた方がいいんじゃ…」

わたしが声をかけるとえりみんちゃんは冷や汗で額を濡らしながら

「そんな大した理由でもなしに休むなんてできないわ」

「いや十分たいした理由だよ!?」

真面目を通り越してもうただの頑固だよ…

「わたしはこの体育という時間をなんとしても乗り越えてみせる!」

えりみんちゃんが宣言したときちょうど体操は前後屈で、やる気をみせた後にクラス全員が後屈する。そしてえりみんちゃんは

「ぎゃあああ」

「照葉ちゃん大変だよ!えりみんちゃんが腰を、腰をやってしまった!」

「ご老人かよ」

今日の授業は体力テストの残り。持久走が残ってなかったのは救いかな。

「た、大変だ寧世ちゃん!えりみんちゃんの使った器具がどんどん消えていくよ!」

「先に、反復横跳びとか、から」

そして最後の種目としてやったのが立幅跳び。

「先生!えりみ、じゃなくて湖上さんがマットに足ひっかけて後ろに倒れて頭打ちました!」

「せんせ…わたし、まだやれます…」

「いいから保健室に行きなさい」


結局みんなで保健室へ。えりみんちゃんは保健室の先生にベッドの上に寝かされて、その保健室の先生もわたしたちの担任の七日先生を呼びにいった。

「やっぱり無理するもんじゃないですね」

椅子の上に置かれたスピーカーから七々ちゃんは言う。

「ここまでひどくなったのは久々だったから…」

体の力を全部ベッドと枕に預けて、ふうと溜息をついてえりみんちゃんが答える。

「そういえばえりみんって落とすとしても多くて二三個だったっけ」

確かに転校してきてから今までえりみんちゃんが自分の力で困ってるのなんて見たことなかった。てっきり他人にはわからないようなのかと思ってたけど。

「ちょっとした物なら対処は簡単で、例えばプリントなら一枚じゃなくてコピーして二枚持って来ればいいだけ」

上半身を起こしてそう話すえりみんちゃんの首にさっと髪が降りてくる。

「襟実、かんざし」

かんざしがなくなって、それでえりみんちゃんの髪がほどけた。

「ほらね、普段ならかんざしは絶対になくさない。わたし、首に髪がかかるの嫌いだし。やっぱり今日は体調が悪いみたいね」

自分の額に手をあてて熱をはかるようにするえりみんちゃん。

そっか、わたしには普通に見えていてもえりみんちゃんも、みんなもどこかでやっぱり大変で、しかもそれは普通ならちょっと体調悪いだけでもがたっと崩れちゃうんだ。

「でもかんざしないんじゃ、髪もうっとおしいだろうし、何か代わりのものがいるな」

「わ、わたし、わたしのほらヘアゴム貸すよっ」

頭の後ろに手を回してわたしはポニテの根元からヘアゴムを外そうとすると、えりみんちゃんは首を横に振る。

「大丈夫よ、代わりがあるもの」

「代わり?」

「そう、このシャーペンでね!」

「それはダメだよ!」

しばらくはベッドで横に眠るということで髪はそのままでいいということになった。わたしたちはもうすぐ次の授業だし、そろそろ教室に戻らないと。

「それじゃ、あたしたちは戻るけど、ちゃんとえりみんの宿題はせんせに出しとくよ」

体育の後に、教室に置きっぱなしもあれだからと照葉ちゃんが保健室まで持って来たえりみんちゃんのカバンから、今日の宿題を取り出して照葉ちゃんは言う。

「ええ、おねがいね」

「お願いされました」

「ではえりみんさんも安静にしててくださいよ」

「お大事に」

「また、次の休み時間、来る」

「うん、ありがとう」

保健室を出てわたしたちは教室へと歩き出す。

「そういえば保健室の先生戻ってきませんでしたね」

「多分、七日先生、捕まらなかった、とか」

「なるほど、呼びにいったんだったね」

それにしてもなんで呼びにいったんだろう?風邪とかじゃないし、保健室の先生が何かできるってわけじゃないんだろうけど、なんで七日先生?

そんなことを聞いてみようと隣を歩く照葉ちゃんに目を遣ると、なんかすごい悪い顔をしてた。

「ど、どうしたの…?」

「いやさ、えりみんは保健室で寝てるわけだし、多分今日宿題を出さなくても怒られないじゃん。つまり無理して今日、えりみんは宿題を出さなくていい」

「うん、うん?」

「だからこの宿題をあたしのものとして…」

外道が、外道がここに…!それであんな悪魔の声を聞いた人みたいに悪い顔してたのか!

するとわたしが止める間もなく、ふっふっふと邪悪に笑う照葉ちゃんの頭の後ろの方を何かが直撃した。そのまま前のめりに倒れる照葉ちゃんをよそにわたしたちが後ろを振り返ると、保健室のドアを開けてえりみんちゃんが飛び出していた。ちなみに倒れた照葉ちゃんのそばにはかんざしが転がっていた。

えりみんちゃんはこっちに歩いてきてかんざしを拾うと、それでうつぶせの照葉ちゃんの背中を一突き。

「どうせこんなことじゃないかと思ったわよ」

「ご、誤解だ…小粋な、小粋なジョークだって!」

あれ?さっきわかれた別れたときにはあんなに疲れてたのに、今はこんなに元気というか…しかもあのかんざしってさっき失くしたってやつじゃない?

「まったく…これじゃあおちおち寝てもいられないし、照葉を見張らないといけないわね」

えりみんちゃんは立ち上がって、拾ったかんざしでさっと髪を結う。手慣れてるなぁ…鏡もなしにできるもんなんだっけ。

「なんというかいつものえりみんさんに戻ってますね」

腕で抱えた七々ちゃんが言うけど、まったくその通りでわたしもびっくりしていた。わたしたちが出てから保健室でいったい何が…

「おーい、湖上、もう大丈夫なのかー」

後ろから声がして、振り返ると段ボールを抱えた七日先生が保健室の前に立っていた。呼ばれてやっと到着したみたい。

「あ、はい。もうすっかりです。この照葉をしっかり見張ってないといけなくなったので。照葉がちゃんと先生に怒られるまでは」

えりみんちゃんに名指しされてうっと顔に出す照葉ちゃん。

「ったくなんだよ…わざわざ来たってのに」

先生は空いた手で髪を掻く。

「ていうかえりみんさん、なんで急に本調子になってるんです?」

七々ちゃんがそう尋ねると代わりに先生が答える。

「湖上の力はコントロールこそできないが、抑える事はできる。端的に言えば、自分にとって大事なことがあるときには力は発動しないってところだな」

「つまり今回は照葉ちゃんを見張るっていう目的があって、それが大事だと本人が思ったから、治ったってことですか?」

「治ったってことはそうだったんだな」

えりみんちゃんはそれに頷く。

「ほら、あたしのおかげで治ったとも言えるじゃん!」

いわずもがな、えりみんちゃんの手刀が飛んで行った。

「ま、大丈夫そうなら帰るわ。さっさと教室戻れよー」

先生がそう言って引き返そうとするのを七々ちゃんが

「ということはその段ボールの中は先生の仕事か何かで、えりみんさんに何か仕事を与えて力を抑えつつ自分の仕事を手伝わせる算段だったんですね」

あ、逃げた。

「まったく、ロクな人がいないですね」

「うん、うん」

寧世ちゃんにも頷かれて照葉ちゃんはうっと目を逸らす。

「ほら、授業に遅れるし、戻るわよ」

立ち上がった照葉ちゃんの手からぱっと自分の宿題を攫って、それを持って来たカバンに入れるえりみんちゃん。それについて歩き始める、寧世ちゃんと照葉ちゃん。

「ん、どうしたんです?詩絵さん」

不意にすぐ近くから声が聞こえて、抱えてたのも忘れてて、わたしは思わず驚いて声を上げてしまう。

「いやあ、そんなにびっくりすることもないでしょう。ほら三人とも行っちゃいましたよ」

「う、うん、そうだよね。いこっか」


わたしは教室に向けて歩き出す。結局わたしは三人に追いつくことはできなかった。

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