ep.03 鬼神

ステーキを食べ終えた兵陰(ヴェイン)が、しきりにあくびをしている。


海衝(カイツ)は、”短刀術"の教科書を開いて、ベッドに横たわっている。


「まだ短刀術をやってるのか?」


「うん」


「上達したか?」


本を逆さにして、兵陰に向き合う。


「相変わらずだね。今日も貝紋(ガイモン)教官に叱られたよ」


なにい、と唸る。


「あいつが叱れるような立場かねえ……いっちょぶん殴って分からせてやろうか?」


「止めておきなよ。ただでさえ兵陰、怖がられてるんだから」


「そうか。しかし、アレだな」


と、言って変な顔を作った。


「ホント、お前ら兄弟って全然違うよな」


くすりと微笑む。自然にこぼれてしまった。


「それはそうだよ。兄さんは激しい人だから」


だよなあ、教官連中なんか皆ビビッてるもんなあ。と言って、変な顔をより一層曲げていった。



――――鬼神の馬裟羅(バサラ)


それが海衝の兄が、この施設内で呼ばれている別称である。


そのまま鬼や、鬼神と呼ばれたりもする。


その名の通り、馬裟羅はまさに鬼神のごとく強いのだが、ただそれのみをもってして呼ばれているのではなく、この通り名には正式な所以があるのだ。


この施設に住まう生徒達は、皆、それぞれ身体に”特殊な手術”を受けている。


中には簡単な人体の強化だった者も居れば、身の毛もよだつような人体実験を施された者も居る。


それは例えば、人間の領域をはるかに越える視力・聴覚を与えられたり、脳や内臓、体の一部を有機機械と取り替えたりサイバネティックス化されたりと、一概には纏められない。


個人差や個体差に依る部分がおおきいのだ。


そしてごく稀に、特定の生物の細胞に人体が拒否反応を示さない非常に特殊なケースが存在する。


馬裟羅がまさにそのケースである。


馬裟羅には、”鬼の細胞”が移植されている。



「不思議なもんだ。同じように育ったのに、兄弟ってのはこんなに違ってしまうもんなのか」


二人が施設に来たときからの幼馴染である兵陰は、よくその話をする。


「兄さんが特別なのさ。たった数年で、一足飛びにAランクだろう?万年Eランク止まりの僕とは、似ても似つかないさ」


「お前、勘が良いからもっと伸びると思うんだがなあ」


「そんな事はないよ。僕は兄さんや兵陰とは身体の作りが違うし、第一、その勘が実戦で活かされるとも限らない。やっぱり、僕は僕なりのやり方でいくしか無いのさ」


そんなモンかなあ、と呟いて、兵陰は席を立って大きく伸びをする。


「さ、そろそろ俺も部屋へ戻るとするよ。見つかったらまた色々と面倒だしな」


にっと笑って、兵陰は窓辺へと歩み寄った。


たとえ友人や血縁者でさえ、無断で他の生徒の部屋に出入りするのは固く禁じられている。


「また”壁を渡る”のかい?」


「俺にとっちゃどんな壁も歩道と大差無いよ、快適なもんさ。明日は任務だし、早めに寝るか」


任務。たしか、Cランク以上になると実戦があるのだ。


それは隠密や諜報、工作、扇動など、必要に応じて多岐に渡る。そして上位のBランクにもなると、もう一つ項目が追加されるのだ。それは――――


「ああ、新しい任務だね。何をするんだい」


「はは、お前の兄さんが得意なやつさ。”暗殺”だよ」


「暗殺……」


特に抑揚をつけない、兵陰のいつも通りの喋り方だったが、


海衝の耳には、なぜか最後の単語だけが切り取られたかのように何度もこだました。



(暗殺ってのは、まず自分の心から殺してしまうみたいだ……)



この言葉は誰から聞いたものだったか。海衝の頭の中で、よく知っている声が響く。


思い出せない。何故だ。良く知ってる声の筈なのに。



「そ、そうなんだ。それは、悲しい、ね……」


まて、違う。何だそれは。自分はそんな風に思っていなかった筈だ。


確かに昔は、そういった仕事に嫌悪感や罪悪感を感じてはいたが、頭のどこかでは(仕方がない、当たり前)という風に区切りをつけてきたではないか。


なのになぜ、今更こんな言葉が出るのだ。偽善。偽善者め。


「あ、ち、違うんだ兵陰……」


見ろ、兵陰が視線を向けている。意にそぐわぬ事を言うからだ。こんなの海衝の言葉じゃない。海衝らしくない。断じて海衝では――――


「お前らしいな。悲しい、か……」


窓から吹き込む風が、教科書のページをめくる。


「やっぱりお前は昇格できないな。お前は”優し過ぎる”」


そう言い残して、兵陰はどこか困ったような顔をして部屋から出て行った。



しばらく放心して窓辺に立っていたが、やがて窓を閉め、ブラインドを引いてベッドへと戻る。


今夜は冷えるらしい。引き出しから毛布を一枚取り出す。



(暗殺ってのは、まず自分の心から殺してしまうみたいだ……)


思い出した。


それはいつか、馬裟羅が悲しそうな目をして、自分に語った言葉だった。








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