第拾壱章
ー拾壱ー
引き続き、十月六日
早朝に目覚めた識也だったが、その日は登校するのを止めた。思っていたよりも時間が残されていない事に気づいたからだ。
どういう訳かは分からないが、前に過去に遡った時は日付は十月五日、つまりは識也が殺される三日前だった。今回、識也が自殺したのは二十一日。優に二週間は遡っている。しかし戻った日付は一日進んでいる。
遡れる時間がどれくらいなのか、何を基準に決まっているのか識也には知る由もない。そもそも、人が時間を遡るなど人智を超えた出来事だ。自分如きが理解することなど出来ないだろうし、何より自分にとって今大切な事は遡った事実であることは間違いない。
とはいえ、時間の猶予を考える事もまた大事なことだ。識也は寝間着にしているジャージから外出用の私服に着替えながら考えを巡らす。
最初が五日で今回が六日。であるならば、次にもし死んだとしたら七日に覚醒するのだろうか。根拠は無いが、もしそうであるなら無闇に死ぬことは出来ない。失敗したからといって死んでも九日以降に戻ってきては意味がないのだ。楽観は許されない。識也は、自分に残された死亡回数は多くても後一回だろうと推定した。
だからと言って、識也とて進んで死にたいと思ってはいない。なので長くても五日間、出来れば三日間で未来を殺した犯人を見つけなければならない。
「……いや、それだけじゃダメだ」
見つけるだけでは不十分。確かな証拠と共に警察に捕まえて貰わなければならないのだ。そのために情報は余りにも不足し、目的を達するための方策を考える時間は幾らあっても多すぎる事は無いのだ。
識也は登校を諦め、限りある時間を有効に使うことにした。
「……よし、これで大丈夫か」
鏡の前で自分の顔を見て緩やかな笑みを浮かべられていることを確認した。
何にせよまずは可能な限りの情報を集めなければならない。そのために昔から世話になっている人と会いに行くのだが、余計な疑念を抱かせてはダメだ。相手も識也の趣味は理解しているが、到底受け入れられるものではないのだから。今後も「特殊な趣味を持った無害な少年」との認識を抱き続けてもらわなければならない。
緊張を解すため軽く頬を叩き、識也はアパートの部屋を出た。徒歩で駅に向かい、電車に乗っていくと住宅街から多くの商業ビルが立ち並ぶ区域に辿り着く。平日の午前も遅い時間だが多くのビジネスマンや、着飾った若い女性が乗り降りしていく。そうした様子を快速電車の中から二十分も眺めているとビル群は遠く離れ、電車の乗客の数も減って年配の女性の草臥れて椅子に座った姿が主になっていった。
電車が停止してドアが開く。開いたドアの前で待つ乗客の隙間を抜け、改札を通過して地上に出る。太陽は空高く、十月に至ってもその有り余るエネルギーを地上に注ぎ続けており、識也はその眩さに目を細めた。
平日でも駅前は活気に溢れていた。通常の会話の声であっても耳をつんざくほどで識也は落ち着かない。それでも我慢して辿り着いた駅から十分も歩けば川辺りに作られた公園に辿り着き、そこで識也は人心地ついた。
自動販売機でジュースを買い、冷たさが喉を滑り落ちる。ますます太陽は張り切っているようで忌々しい。額に滲んだ汗を拭いながら時計を見ると、すでに待ち合わせ時間は五分ほど過ぎていたが相手の姿は見えない。そも、急に会いたいと言い出したのはこちらだ。向こうの都合を無視してのお願いであるし、そこを棚上げして怒りを抱くほど識也は厚顔ではないつもりだ。
「おーい、識也ー!」
遠くから大声で呼ばれて識也が振り向くと、そこには長袖のワイシャツを肘まで捲り上げた体格の良い男が手を振っていた。
「功祐さん!」
「久しぶりだな! 元気にしてたか!?」
功祐、と呼ばれた男は手を上げて歩み寄るとニカッと笑みを浮かべて識也の肩を強く叩く。その痛さに識也は年相応の笑みを浮かべてみせた。
「痛いですよ、功祐さん」
「悪い悪い。久々に、しかもお前の方から直接会いたいと言ってきてくれたのが嬉しくてなぁ。嬉し過ぎてすぐに署を飛び出してきたんだが、途中で事故渋滞に捕まっちまった」
しっかりとした人で本来なら常に頼りとしたい人ではあるが、ここ数年は識也が人付き合いを避けていた事もあって疎遠気味であった。
「すいません、ずっとメールばかりで。今日も急に呼び出しちゃって。刑事って忙しいんでしょ?」
「いいのいいの。俺たちゃある程度時間に融通が効くからな。それに、こう見えても刑事ってのは書類仕事が多いんだ。偶にゃ外に出て新鮮な空気を吸わなきゃやってられねえよ」
そう言うと功祐はキョロキョロと近くを見回すと、設置してある灰皿の方に歩きながらタバコに火を点けた。
「相変わらず不良刑事ですね」
「ばっかやろう。仕事なんてもんは適度に息を抜きながらじゃねぇとやってられねえもんなんだよ。特に俺らみたいな人様の死体を見る機会が多いとな」
「『仕事三割、休憩七割』ですか?」
「そーそー。それが仕事を長続きさせる秘訣ってな。よく覚えてんな?」
「昔からの功祐さんの口癖ですからね」
「そっか。ま、そうは思ってても実際は仕事十割、とならざるを得ない時もあるんだがな」
「そんなものですか」
「そんなもんよ。人生ままならねぇってな。それよりもお前、今日は高校はどうした?」
「サボりですよ。功祐さんと一緒で」
「そっか! まあ、高校生だってちったぁサボりてぇ時もあるわな。で、だ」
快活な笑い声をあげていた功祐だが、タバコを吸い終わると川の方を見ながら識也に一枚の紙を手渡した。
「お前から頼まれたやつだ。時間が無かったから簡単にしか調べられんかったが」
そこに書かれていたのはリストだ。二十名分ほどの人物名と性別、それに住所他、雑多な情報が雑な字で書かれていて、加えて数枚の写真のコピーも一緒に入っていた。
写真は白黒だったが、よく見ればそれが人の遺体を撮ったものだと分かる。一つは多数の切り傷が刻まれた男性の写真、そしてもう一つは首から先が切断されていて、頭部自体も損壊が激しく男性か女性かも判別が難しいほどだった。
「左から順に今現在この市で確認されている行方不明者または容疑者不詳殺人事件の被害者の性別と住所、それと発覚した日付だ。住所は遺体発見現場な。名前は流石に勘弁してくれ。
その二つの遺体は同じ現場で見つかったものだ。損傷がひどいせいで分からんだろうが首しか残ってないのが女だ。体の方は未だ見つかってない」
「分かりました。ありがとうございます」
「言っとくが」
「分かってますよ」識也は慣れた手つきでポケットからライターを取り出すとタバコに火を点ける。「証拠は残しませんから」
識也は功祐と同じように川辺りの柵に肘掛け、そして紙を眺め続けた。
咥えたままのタバコが先端からジリジリと燃え尽き、灰が重力に逆らって長くなっていく。それが限界に達し、根本近くまで灰に変わって川の中へと落ちていったと同時に識也はタバコを手にとって先端をメモに押し付けた。
火が接した部分から白い紙が黒く変色していく。同心円上に焦げが広がっていき、半分以上が燃え始めたところで識也は川へその紙を放り投げる。風に乗ったそれは空中で全体へ燃え広がり、川面に落ちる頃にはすっかり燃え尽きてしまい、水の流れでバラバラに分解されてやがて消えていった。
「もう覚えたのか?」
「ええ、まあ」
「相変わらずすげぇ記憶力だな。コッチときたら覚えた端からすぐポロポロと落っこちちまって嫌んなるっぜ。若いってのは羨ましいねぇ」
「得手不得手の問題ですよ。俺には功祐さんみたいに誰とでも仲良くなれるようなコミュ力はないですから」
「そこまでお前に抜かれちまったらいよいよ俺も立つ瀬がねぇよ」
カッカッ、と功祐は嫌味のない笑い声を上げた。
だが手元のタバコが根本まで達しているのを認めると笑うのを辞めて、新たな一本に火を点けて大きく吸い込んだ。
「なあ、識也よ」
「なんですか?」
「言い辛ぇんだが……こういうのはもうコレっきりにしようや。いい加減俺も上の眼を誤魔化すのがシンドくなってきた」
「……そうですか」
「お前にゃ前に事件解決の借りがあるし、姉さんの件でも何もしてやれなかった。お前が外に興味持ってくれるなら、姉さんや義兄さんの死から立ち直ってくれるならと思ってお前の、その、趣味にも理解しようとしてきたつもりでもある」
「借りだなんて、アレは偶々記憶があっただけですよ。それに、母の件でも功祐さんのおかげできちんと見送る事ができました。功祐さんが気に病む事なんてないですし、俺の趣味が他の人に理解してもらえるとも思ってませんから」
「いや、別に俺はお前の趣味にどうこう言うつもりはないんだ。ただ、刑事が事件の情報を外部に漏らすなんざ、本来なら絶対にやっちまっちゃダメな事だからな。個人的には遺体探しのついでにでも何か事件解決に繋がるアイデアを閃いてくれたりゃ助かるって気持ちもあるんだが、危ない事に首を突っ込んで貰いたくねぇっていうとこもある。お前の頭の良さや勘の鋭さに信頼は置けるしな」
「買い被り過ぎですって。俺にはそんな小説の名探偵みたいな能力はありませんよ」
「お前は謙遜しすぎだ。もっと自分に自信を持てって」
自信なんて、持てませんよ。心の中で識也は吐き捨てた。
自信など持てようはずもない。何もかもを間違い、一度は大切なものを失ってしまった男だ。川面をじっと見つめ、記憶とともに激しく泡立ち始めた想いを必死で抑える。
それに――
「識也?」
「……ああ、すいません。少し考え事してました。
功祐さんのお話は分かりました。すみません、好意に甘えすぎてしまって、今までご迷惑をお掛けしました。それと、ありがとうございました」
「止せよ。頭なんか下げんなって。俺の方こそ力になってやれなくて悪い」
「功祐さんの方こそ止めてくださいよ。そんな風に頭下げられたら俺も頭が上げられないじゃないですか」
互いに頭を下げ合う事を二人して笑い飛ばす。
そうして一頻り二人で笑い合った後、功祐は自分の腕時計を見遣って「うげっ!」と叫んだ。
「やっべぇ! 十一時半から会議だった! ワリィが、んじゃあな!」
「ええ、頑張ってください」
「おう! お前も無茶はすんじゃねぇぞ! それと、
「大丈夫ですよ」
走り去る功祐を見送りながら、識也は小さく呟いた。
――どうしようも無い時は、最悪……
識也の拳が強く握りしめられた。
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