腫れものに食まれた船

 無人 筋翼機きんよくきは胸のレンズで星棘ほしとげ湾の俯瞰像を送信していました。紺碧の湾では深紅の浮遊機雷が隊列を作っています。湾の入口側で最前列の浮遊機雷がひび割れ、背中から撃渾げきこん回路が刻印されたくさびを押し出しました。棘を絡ませた同列の個体たちも白くぬめったくさびを空に向けます。

「ガルムです、数は四十。ラタトスクの血の匂いを嗅ぎつけやがったのかな」

 煎塚いりづかの口惜しげな物言いを流線るせん通信で受けた二人の棘皮使いは、波の上を低速で前進しつつ武器を構えました。とうは骨の蔓が絡み合った塊を両手から提げ、浮橇うきぞりに跨った中尉は右手に槍を取ります。二人の襟元からつま先を包む棘皮鎧の骨片が逆立ち、装甲の裏打ち筋肉が張り詰めます。

「群れの中心に支援型がいます。結節点の融骨砲ゆうこつほうに比べれば可愛いもんですが、掠めたら棘皮鎧ごと排水溝の中身です」

 湯は腿のリントヴルム・エンジンを瞬かせ骨枝ほねえだのスカートを翻し、波頭から波頭へ跳び移りました。

「先輩、変な例えはよしてください。お姉様、ラタトスクは助かるでしょうか」

 湯はもぞもぞと動く骨蔓ほねづるの安全装置を外しました。行く手の海面から垂直に幅広の舳先が突き出ています。

「うん。ブイを通して送渾そうこんしてみないと分からないけど、最悪一度仮死状態にして沈めておくとか方法はあるはず。流れ弾を当てないように気をつけよう」

 中尉は手先で槍を一回転させます。浮橇の後部座席では枝を茂らせた中継ブイが行儀よく座っていて、その下では三日月型の骨鰭ほねびれを備えた尾が流線型の船体を推し進めていました。

「室賀。中尉殿の浮橇は小回りが利かないし、ブイが壊れたらこの出撃が無駄になる。中尉殿を常に意識して、付かず離れず戦ってくれ」

 煎塚から説明を聞いた湯は骨蔓を二つの塊に分け掌の管足からこんを送り込みます。左手の骨蔓は先端を振り回しながら互いを足場にして上へと伸び剣の形に、右手のものは四角く広がってから表面が螺旋状に縮み、盾の形に変形しましたり

「お姉様をお守りすればいいのですね。私の得意分野です」

 湯が頷き中尉の横顔を見ました。中尉の後頭部高めの位置で留めた亜麻色の髪が後方になびきました。

「頼もしいね」

 中尉は元々細い目を、湯の髪から反射する銀の光でさらに細くしました。

「もつ煮込みを追い払ってラタトスクを取り戻そう。あの揚陸艇もシブリングみたいなものだもの」

 二人が速度を上げると、ガルムたちのくさびが震え始めました。湯は目を閉じ、瞼の裏に棘皮鎧の視界を映します。くさびの撃渾回路に渾が集中し、励起れいき状態へと遷移せんいしてゆく様が見えました。回路が輝く碑文となり涙滴型の渾炎弾こんえんだんが降り注ぎます。湯は棘皮鎧の全身に走る水管を励起させ、骨蔓剣ほねづるけんの鍔から生成した疎密針そみつしんを刀身で加速させ発射しました。中尉も槍の穂先から放った偽雷ぎらいでガルムを焦がします。棘皮鎧自身の身体イメージを投影した術である疎密針と、棘皮鎧が持つ海への落雷の記憶を具現化した偽雷が交互にガルムの隊列を削ります。弾幕に混ざり始めた螺塩弾らえんだんが浮橇のフロントカウルに引っかき傷をつけたので、湯は前に滑り出し盾を触媒に棘皮鎧の非物質障壁を拡大します。後衛の曲射型ガルムが投擲した粗色弾頭が四発放物線を描きます。中尉は槍から軟氷輪なんぴょうりんを飛ばし放物線の頂点にあった二発の弾頭を切断しました。中尉の迎撃をすり抜けた一発は不発のまま海に沈み、もう一発は展開した非物質障壁に触れて起爆、赤紫の炎が湯の目の前で板状に広がりました。湯が炎を堰き止めている間に中尉は木の葉の形をした槍の穂先に渾を充填します。

「室賀さん、貴方とご主人様のことで質問があるの」

 穂先を形作る多孔質の骨片から不規則な瞬きが漏れました。湯の盾が錐揉み回転する螺塩弾を斜め上へ弾きます。

「何でしょう」

 跳弾した弾を済んでのところで無人筋翼機が避けました。戦闘司令室のスクリーンが乱れます。二人が交わす流線通信は戦闘指令室の煎塚の受話器からも流れています。

「室賀さんはいつからご主人様のことをご主人様と呼んでいたの?複雑だけど父と娘なのでしょ」

 湯は非物質障壁の隙間を通して剣を細くほどいて伸ばし、波頭を破る突撃型の眉間を貫きました。引き抜いた剣を縮め水管の渾の流れを迂回させ、剣に送っていた渾を盾に回します。非物質障壁が肉眼でうっすらと見える濃さになってから中尉は水面に槍を突き、前方扇状の範囲を偽雷で沸騰させました。

「そのことですか。初めてご主人様とお呼びしたのは私が六歳の十二月九日、午後二時九分です」

 焼け付いた骨蔓の凝集を解き、麻痺して腹を空に向けたガルムに一匹ずつ引導を渡してゆきます。

「そんなにはっきり覚えてるの?」

 湯気が立つガルムの屍地帯で、湯は盾をほどき小振りな剣に編み直しました。隊列の乱れたガルムたちは舳先の手前に集合し、刃棘を皮膚から押し出します。朱色の藪の奥で、低い円錐形の体の周囲にくさびをぐるりと生やした支援型が旋回し、円錐の中ほどにある星型の砲口から渾の火の粉がこぼれました。

「はい、ご主人様の腕時計が目の前にありましたから。ご主人様に連れられて義肢工場へ見学に行ったときのことです。尤も、見学に赴く私にはまだ物心が芽生えていませんでした」

 中尉は偽雷の副作用で槍に生じたゼリー層をむしり取り後ろへ放りました。火花を上げる穂先に非物質障壁を円く広げ、振りかぶります。

「ということは——」

 湯は後ろへ跳躍し空中で膝を抱きました。棘皮鎧の筋力補正を瞬間的に高め、中尉は槍をしならせ丸まった湯を弾き飛ばします。

「はい。ご主人様を意識したときに物心がついたんです」

 多様な姿の個体がひしめくガルムの群れを飛び越します。支援型の巨体を前に両手足を開き腿のリントヴルム・エンジンを吹かして減速し、鱗骨うろこぼねと棘に覆われた体に肩から衝突し転げ落ちました。手足と管足で鱗骨を掴み制動をかけます。負荷に耐えかねた管足が次々と千切れ塩水が散り、長いものから平たいもの、丸いものや尖ったものの砕ける振動が背骨を揺らします。支援型の背面を帯状に均した末に、湯はスカートで棘に引っかかりました。

「初めて自覚した自分とご主人様と、義手が並ぶ製造ラインをはっきり覚えています」

 中尉からの援護射撃が続いているのを確認し、湯は弱く傾斜した背中をよじのぼります。周囲では中尉の生成した奪熱鎚だつねつついが着弾し、絶え間なく水柱が噴き上がり凍結していました。棘を断ち切り支援型の頂上に登った湯は、ウニ殻手榴弾を砲口に放り込みます。耳を塞ぎ海に飛び込むと振動が膨らみます。水面に出て動かなくなった支援型を認めると、骨蔓剣を振って水気を飛ばしガルムの掃討にかかりました。凍結と粉砕を繰り返す水面で、四方八方から飛びかかってくる生き残りを湯は近づいてきた順に解体します。五枚の鰭をしならせ飛び出してくる高速型のくちばしを剣先で弾いて捌きます。断片が着水したとき、ラタトスクに取り付こうとした多脚型の前で水面が破裂しました。湯は多脚型の顆粒に覆われた胴に穿骨棘せんこつきょくが食い込んでいるのを見て、リントヴルムの光条を引き波を跳び越えます。水面の上下に合わせ湯が振り下ろした左手の剣を多脚型は節くれだった三本の脚を交差させ受け止めました。右拳で関節を殴っても剣は食い込んだままで、水面を破りさらに七本の脚が剣を絡め取ります。盤状の胴を開き五対の鋏角きょうかくを向いて踏み込んでくる多脚型に、中尉が氷礫ひょうれきを叩きつけます。湯は剣から手を離し推力を反転、身長の倍の水深まで潜ります。束の間の静寂に見上げた水面は、海鳥が群れで狩りをしている現場に似て泡立っていました。湯は波の裏から多脚型の白い腹面を見つけ剣を胸元で構え浮上します。五本の遊泳脚の根元に差し込んだ切っ先から砕礫さいれきを送り込みむと、脚がたわんで弾けました。骨と皮をかき分け、湯はばらけた脚の中から剣を拾い上げます。

「中尉殿。室賀は4歳くらいまで人工子宮の中で育ったんです。成長の仕方が少し違うんですよ」

 煎塚が会話のフォローをしている間、中尉は湯の死角に回り込むガルムに錐雷すいらいを落としていました。紫電を受けたガルムが黒い焼き菓子となって膨らみます。

「ああ、ありがとう煎塚さん。ショックを受けた訳ではないから」

 錐雷の音に振り向いた湯は中尉に頷きかけると、両手の剣で次々とガルムを掬い上げます。鰭以外の推進器がないため空中では動けないガルムに続けざまに錐雷が落ちました。炭化した骨と皮を浴びながら湯は剣を横向きに咥え先をへし折ります。なまくらになっていた剣先を放って蹴り飛ばし、体腔たいこうに気体を溜め離水を試みていた気球型に命中してシャボンの泡が噴き上がりました。

「ただ、もし——」

 中尉は浮橇側面に懸架した加速筒かそくとうを肩に担ぎます。対棘皮弾頭の自律解凍を待っている間、湯は剣がガルムの皮膚に触れる直前に骨蔓から疎密針を密生させ、ガルムを引き裂き叩き潰していました。陥没した甲殻型の胸殻から剣を引き抜き、叫びます。

「ラタトスクの周りを見てください。何かが泳いでいます」

 舳先の下で身をくねらせる白い影が見えました。中尉は加速筒の発射を止め背中に背負い、湯からラタトスクへ至る進路上のガルムを焼きながら浮橇を駆りました。

「仕様書にありました。艤装ぎそうとは別に自律 潜骨鰭せんこつきを飼っていると」

 三匹まとめて貫いた湯の背中に爆薬を満載した自爆型が跳びつこうとしました。湯は肘から後ろへ管足を射出すると自爆型を掴み、体を回転させ低い軌道で放り投げます。波九つ分先で爆炎が上がりました。骨と棘のぶつかり合う音が満ちていた海に風の音が戻ってきました。

「今ので最後か。うんうん、頑張った頑張った」

 わしゃわしゃと湯の頭を撫でる中尉は浮かび上がってくる白い影を見下ろしています。

「ラタトスク付属の潜骨鰭が七匹。一匹怪我してる」

 骨節こつせつが連なった胴でぬるい水を押しのけ、身を乗り出した中尉の下に潜骨鰭たちが集まりました。どの個体も胸の穿骨せんこつ魚雷懸架器は空でした。

「この子、尾が欠けています。全長が他の子の半分しかない」

 湯はしゃがみ水面に手を触れました。指先から誘導臭を出すと、体の短い個体がせわしない泳ぎ方で寄ってきました。

「ラタトスクを守ってくれたんですね。大丈夫、ナグルファルで養生しましょう」

 潜骨鰭の頭胸殻をこつこつとつつく湯を見ていた中尉は、体を引き起こします。

「私はブイを浮かべておく。室賀さんはにょろにょろちゃんたちを連れてきて」

 掌をくすぐられ笑い声を上げる湯が返事をします。中尉は浮橇を舳先に寄せブイを下ろしました。水中で光り動くものがあり、中尉は顎に手を触れます。ラタトスクの管足と棘が動いていました。首を回し湾の奥を向くと、ヨルムンガンドの荊に覆われた凝澪こごりみお島の陸地があります。首都、星棘ほしとげ北西の谷に地形と見紛う大きさの肉瘤にくりゅうがそびえ立っているのが見えました。遠目に滑らかな半球体に見えるそれは荊より赤みが濃く鮮やかで、後ろに広がる濃緑の熱帯林と色と質感両方で対比を成していました。下部が湾にせり出していて波に洗われていて、前回の砲撃で使った砲身が岩礁に横たわっています。再び水の下を向くとラタトスクが櫛状に枝が生えた蔓で水面を仰いでいました。

「お疲れさんです、今回も完璧っすねー」

 通信を受け二人が顔を上げます。

「今迎えの骨鰭艇こっきていを送らせてます。偶然近くを通ったのがいたもんで」

 中尉は両腕の管足で潜骨鰭を釣り上げている湯を見て吹き出し、咳払いをしました。

「ありがとう。気が利くんだね」

 間もなく一隻の骨鰭艇が二本の尾鰭で泳いで来ました。後部座席に寄り掛かっていた湯の左胸が回転発光し、雑音の混ざる声でシグさんが話し出します。

「ふーーっ、やっと硬いものの上に立てるのね!」

 湯が目を丸くします。

「シグさん、どうしたんですか?」

 中尉は手首から自身の棘皮鎧に話しかけ、骨鰭艇の誘導を始めています。

「あのね、水面を歩くのは常に細かい制御が要るから疲れるの。喋る余裕もなかったわ。それにあんなややこしい武器まで使って。わたしが再循環器を使いこなせてなかったら三回は死んでたわ」

 湯は口に手を当てます。

「ごめんなさい、次は負荷を掛けないようにします」

 手の甲にまぶした砂粒が午前の太陽光を受け白く光りました。砂粒は二人の棘皮鎧の軟質部位に広くまぶしてあります。中尉は骨鰭艇と浮橇を繋ぎました。

「再循環器があると鎧の出力が違うよね。渾の節約にもなるし。さ、室賀さん帰ろう。シグさんも潜骨鰭たちも休ませてあげよう」

 返事をして湯は骨鰭艇に飛び乗りました。戦闘で体積が減ったとは言え骨蔓がかさばり、四人乗りの骨鰭艇の上は狭まっています。中尉も乗り込み腰を下ろします。潜骨鰭たちが吸盤で船底に貼りつくと骨鰭艇は泳ぎ出しました。湯は遠ざかるラタトスクの舳先を見ながら腰の後ろから碧剣へきけんを外します。

「ヒトデ子さんのことをお聞きしてもいいですか?」

 隣でお茶を飲んでいる中尉に尋ねました。

「いいよ。どんなことかな」

 中尉は水筒を置きます。

「ヒトデ子さんは今何をされてるのですか?」

 床板に偵察中の無人機の影が落ちました。南中に近づいた太陽が骨鰭艇の屋根を焼いています。

五叉ごさ渾媒こんばいをしてるよ」

 湯が膝を打ちました。

凝渾炉ぎょうこんろで働いてらっしゃるのですね。凝渾炉のある深さまではヨルムンガンドも根を伸ばしていないようですし、五叉は内陸だから尚更安全ですね」

 小魚の群れに差し掛かり潜骨鰭が網脚あみあしを拡げて餌取りを始めました。骨鰭艇も採餌孔の蓋を開きます。

「そう、だから私も安心しているの。凝渾機を見たことはある?」

 湯は首を横に振りました。

「そっか。あの機械は森で一番古いウミユリより大きくて、植物と動物を合わせたみたいだった」

 飛んできたミズナギウミシダが無人機を追い越したとき、骨鰭艇が前後に揺れて止まりました。

「故障でしょうか。鰭を見てきます」

 湯は右舷に足を掛けました。中尉は床板に手を着き立つと

「その必要はない。それとその位置、丁度いいから動かないで」

 振り向こうとした湯の手首を骨の環で繋ぎました。かちりと関節が締まります。

「え?」

 湯が体をよじると中尉は手首を掴んだまま逆の向きに動きます。

「お姉様、悪い冗談は——」

 言葉の途中で顔色が変わったのを見て中尉は

「裏切りとかスパイじゃないよ。この手錠も貴方なら簡単に引き千切れる。ガルムの死骸から出た雑渾ざっこんで通信は繋がらないから、無駄なことはしないで」

 湯の肩に手を置きます。瞼像けんぞうからシグさんに指示を出し骨環の強度を確かめた湯はうなじに冷や汗を滲ませました。

「何のためにこんな、少しおかしいです」

 中尉は湯の重心を奪ってうつ伏せに寝かせ

「あのね、名前で呼んで欲しいの。紗枝さえとか紗枝ちゃんとか。敬語も止めて欲しいしそれに」

 髪留めを外し腰に座りました。

「出来ればご主人様と呼んで欲しい」

 上下する背中をひと撫でし、手から管足を射出し碧剣を引き寄せました。

「落ち着いてください、ナグルファルに帰るまでが任務ですよ。空から無人機が見てますよ」

 広がった銀髪に溺れている湯の首筋に、碧剣を向けました。鞘が背甲に当たりこつりと音が鳴ります。

「落ち着いてるよ、大丈夫。偽の映像を流してある。諸々の記録も後で手を入れられるようにしておいた。この骨鰭艇も私の手配。落ち着いてないと出来ないでしょ、こんなこと」

 湯の左胸に光が灯り

「計画的な犯行ねぇ。準備の前にすべきことがあったんじゃないかしら」

 波は穏やかで、潜骨鰭たちが船底に胸殻をぶつける音が床を通して聞こえます。唇を噛んでいた湯は

「お姉様、それは職権乱用です」

 首を上げました。襟装甲が首筋に当たります。

「そうだね。お昼ご飯何にしようか」

 中尉は碧剣を膝に置き湯の顔にかかった髪をよけ、脚を組みました。

「もし本当に止めて欲しいと思ったら、瑞雲ずいうんは氷をさえずる、と大声で言って。声が出せなかったら床を連続して叩くのでもいいから」

 シグさんはふーん、と言ってから

「手枷といい安全性は考えてるのね。賢しいこと」

 感心して発声器を点滅させました。中尉は眉を動かしましたが返事はせず

「室賀さん、貴方にとって私が遠慮なんて要らない相手だと、教えてあげる」

 脚を組み替えました。風で椰子の葉葺きの屋根がかさかさと鳴ります。中尉が後頭部からうなじに触れ、湯は体をすくめました。

「被虐趣味があるなら隠さなくていいんだよ。ご主人様にお仕置きされることとか、考えていたんじゃない?ずっとお留守番なんて自虐的な気持ちがないと出来ないと思うの」

 湯の手首で骨環にひびの入る音がしました。中尉は横目で湯の顔色をうかがいながら、碧剣の鞘の装飾を指でなぞります。

「こんな人が尉官というのは驚くべきことね。棘皮鎧に対して棘皮使いが不足してるからかしら。島の警備も薄いし」

 碧剣を床に突き中尉が発声器を睨みました。

「シグさんは黙ってて。私のヘルくんを見習ったらどう?」

 中尉の胸で発声器が輝線を灯します。

「お褒めにあずかり光栄です」

 言い争いの間喘ぐのを堪えていた湯が、真顔で振り仰ぎました。

「私がご主人様の話になると弱いことは、分かりやすいですか?」

 中尉も真顔になり手を下ろします。

「初対面ですぐに分かったけど前に何かあったの?」

 スカートの骨越しに中尉が湯の尻を触ります。湯は床を向き目を閉じました。

「誘拐されそうになったことがあって、人攫いにご主人様のことでからかわれたんです。もう気にしてないですけど」

 碧剣が床に落ちました。

「冗談だよね?」

 紅潮していた中尉の唇がみるみる青くなります。

「本当です」

「本当よ」

 湯とシグさんが同時に返事をしました。中尉はこめかみを押さえて立ち上がり屋根の支柱を握りました。

「私、とんでもないことを」

 中尉は腰が軽くなりもぞもぞと身をよじる湯を見下ろし、かぶりを振り続けていましたが

「本当にごめん、すぐに取るから」

 膝をつき震える指で骨環に手を伸ばします。解錠までに鍵を二回落としました。腕の自由を取り戻した湯が起き上がり

「お姉様、人攫いのことはもういいですから——」

 振り向くと中尉は両手で顔を覆い肩を震わせていました。

「泣ーかーせーたー。姉恋人のこと泣ーかーせーたー」

 発声器を満面に輝かせシグさんが囃し立てます。

「今の中尉の気持ちを代弁するわ。『ああ、我が愛しのシブリング。わたしはあなたの心に触れようと焦るあまり封印された扉をこじ開け、深い傷を抉ってしまった。こんなことをしたらもう側にはいられないよね。今までありがとう。でも、どうか最後にもう一度だけあなたの温もりを——」

 湯は目尻を吊り上げ回転する花びらとなった発声器を見据えます。

「シグさん姉恋人とかちょっと本当に黙ってもらえますか。先ほどのお話だと棘皮鎧には余剰が多いそうですが?場合によっては衣替えも検討しますよ?」

 発声器が消灯しました。湯は三回深呼吸をします。

「紗枝ちゃん、こっちおいで」

 言い終える前に中尉は湯の膝に突っ伏し腹に頭を押し付けていました。

「あらあら、甘えん坊さんだ」

 湯は目を細め中尉をあやします。床の下では尾切れの潜骨鰭が新たな尾が芽吹き、落ち着きなく泳ぎ回っていました。

「ヒトデ子さんのことで、何か無理をしていたんじゃない?」

 膝枕した中尉の頭を撫で湯が尋ねます。中尉は骨環を指先でいじりながら軽く背を丸めました。

「うん」

 骨環を握り潰しました。屋根から落ちた光の筋の中に骨の塵が浮かびますが、すぐに吹かれて散ってゆきます。

「もうすぐ結婚して外国に行ってしまう」

 割れた骨環を腰にしまい膝を引き寄せます。

「喜ばないといけないのに」

 湯はうんうんと頷き中尉の耳をこねていました。風の匂いが変わり蒸し暑くなってきた頃、天井の蓄光 粘菌ねんきんの網目を見上げていた湯は膝を向きました。中尉は管足でたぐり寄せた碧剣を腹の上で転がしています。鞘と鎧が、湿った石同士が当たる音を立てました。

「紗枝ちゃん」

 中尉は湯を見上げます。滴り落ちそうな形を留める蓄光粘菌が天井から下がっています。

「次はどんなことする?」

 座って湯から水筒のお茶を受け取り飲むと

「ソフトなのにしようか。ごめんね、シグさんの言う通り焦ってた」

 水平線を向いたまま答えました。

「遠慮は要らないからね?」

 湯に頭を撫でられて中尉が苦笑を浮かべます。外から水をかく音が聞こえ骨鰭艇が緩やかに前進を始めました。中尉を軽く抱擁して湯が髪留めを拾ったとき、背後で大きな音が響きました。並泳してきた潜骨鰭が一斉に船底に隠れます。

「お姉様、この音」

 湯は立ち上がり、湾に接してそびえる肉瘤の方を向きました。

「うん、ラタトスクが沈められたときと同じ」

 中尉が立つと二人の頭蓋骨を下顎から頭頂部へ、流線通信が震わせました。

「もしもーし。お、繋がったかな」

 雑音の曇りが晴れ煎塚の声がします。

「すんません、しばらくお二人を見失ってました。そっちからも見えてますね?」

 煎塚のいる戦闘司令室では、肉瘤が映るスクリーンの前で職員たちが立ち上がり、各部署に連絡し、操作盤を叩いていました。

「はい、結節点がよく見えます。どこか痛ましい光景ですね」

 湯は中尉の右手を握りました。肉瘤の表面が五裂に割れ、白い軟組織が染み出します。盛り上がった軟組織は真紅へ変色して固まり、後から押し出されてきた新たな軟組織の圧力でひび割れます。戦闘司令室のスクリーンが渾振反応フィルターに切り替わると肉瘤全体に撃渾回路が刻まれている様が映りました。

「まあそうだけどな。あんなでかい砲身を使い捨てにするとは贅沢だよなあ」

 煎塚は溜息をついて机の書類を見ました。船団の修理費を示す数字が並んでいます。

「予想より早かったね。ナグルファルの修理は間に合いそう?」

 中尉は組織の厚みが増してゆく結節点を注視したまま、左手を耳に当てました。

「撃ち合いは無理です。前回喰らったときに神経をリンクさせてたおかげで部長は起き上がれない状態ですし」

 結節点が新生させている砲身の芽は、沖合の海鼠かいそ船団を捉えていました。

「お姉様」

 湯が肩を震わせます。中尉が右手を取ろうとすると湯は勢いよく顔を上げました。

「私、俄然やる気が出てきました。武者震いが止まりません」

 中尉は唇の端を上げます。

「ええ、私も。あの中に飛び込むなんて血が滾るよね」

 二人は舷から離れ床に図を描き、かしましく戦術と装備の相談を始めます。

「何かあったんすか?お二人ともダウナーなキャラでしたよね?」

 煎塚は返事を待っていましたが、二人の熱のこもった語り合いが止みそうにないので送話器を置きました。船団外縁から乗組員が旗を振り、骨鰭艇の誘導を始めます。

 骨鰭艇はナグルファルの横腹に開いた船渠せんきょへと進入し、潜骨鰭たちは蜂の巣型の格納庫に入ってゆきます。湯が骨鰭艇から降りると医療キットを背負ったオーメさんが埠頭で脚を畳んでいました。湯がただいまと言い前腕に触れるとオーメさんは管足で湯の袖を引きます。中尉に後から行くと言いついてゆくと、荷揚げされたコンテナの一角でオーメさんは管足を止めました。湯は

「これはラタトスクに艤装するはずだった機械類ですね」

 胸の前で手を握り辺りを見回すと、気忙しげに管足を振るオーメさんとともにその場を後にしました。機械類のコンテナの奥には食料品のコンテナがあり、干物の箱に乗った干し果物の木箱が揺れています。揺れ続けたために木箱はずれてゆき、落下しました。無人の船渠に破裂音がこだまし釘付の蓋が外れます。ぶちまけられたパック詰め干しリンゴを水色の爪がまさぐります。マニキュアのすっかり剥げた爪が眼鏡を探り当てました。


つづく

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