3.音楽室の変な奴

 さて。

 うちの高校は、小学校ほど歴史はないもののそれでも創立30年ほどになる、ドが付くほど平凡な公立高校だ。ついてる名前は地名だし、制服も冬は地味な紺色のブレザー、夏は少し明るい青のベストとボックススカート、男はスラックス。胸元を飾る濃い赤のリボンは好きだけど、朝急いでる時に結ぶのは結構面倒くさい。

 お勉強好きな方々はよその進学校に行っちゃっているので、うちの生徒はのんびりと学生生活を楽しんでいる。2年の夏くらいからは就職にしろ大学受験にしろ忙しくなるようだけど、私はまだ1年生だし。いや、今から考えておいてもいいか。

 で、学校にありがちなのがいわゆる七不思議。うちの高校にもそれなりに歴史があるおかげか、代々ちゃんと伝わっている。内容はやっぱりありがちな話ばかりなんだけど、最後の7つ目がねー。

 ちなみにこの高校には、ニーミの元になったあの石像はない。中学でも見てないので、最近の学校にはないのかな。撤去されたのかもしれないけど、変に口に出したらニーミが凹みそうな気がして聞けないでいる。


「……でね、ルーがまた夜中にやらかしたらしいんですよ。3年の男の先輩が聞いたとかで、3年生じゃ噂になってるみたいです」


 午前の授業も終わり、ただいま楽しい昼食タイム。私と校庭の花壇に並んで座り、弁当広げつつこういうネタを振ってくるのは、セミロングのふんわりした髪が羨ましい物心ついてからの腐れ縁である一橋いちはしみさき

 悪い子じゃないんだけど妙にオカルト好きで、丁寧語はいいんだけど何かっていうとその手の話ばかりしてくるのがちょっと問題かな。

 とはいえ、そのオカルト好きが私には助かっている部分がある。ニーミのことに関してだ。

 こいつはニーミを拾った時一緒にいて、お守りになるといいですねと言ってくれた張本人。そういうこともあって、ニーミのことはよく知ってる。付喪神だっていうのも、岬がいろいろ資料を調べて教えてくれた話だ。それまで石ころ自身、自分がどういうものなのか知らなかったんだから。


「また? ま、深夜なら不法侵入だろうけどさあ。どーせいきなり『運命』の頭やったんでしょ、じゃじゃじゃじゃーんって」

「らしいですー。そりゃ、驚きますよねー」

「あはは、まったくもー。少しは自粛してもらえるように頼んでみるか」

「本人としては防犯ベルのつもりなんですし、放っておいてもいいんじゃないですか?」

「そうかな。けど、騒々しい防犯ベルよね」

「その方が効果ありますもん」


 うふふ、と口元を押さえて岬が笑う。これは該当者を思い出しての笑いだろうな。

 話のネタになっているルーっていうのは我が校七不思議の1つ、音楽室に飾ってあるベートーベンの肖像画のことである。要は絵が夜中に抜け出してピアノリサイタルやるという、大変にベタなネタ。

 この手の話のお約束として本来人がいないような時間帯にしか動かないんだけど、住宅街の中にある学校ってことで聞いたことのある人は結構多い。

 なお防犯ベルの効果としては、数年前に校舎を荒らしに入り込んだ卒業生がスピーカーごしの大音量『運命』に腰抜かして逮捕された、という事件があった。新聞にも記事が載ったので、私も入学前だったけど知っている。

 慣れたご近所さんは『運命』がかかると、ああまた学校に不審者だと警察に通報するそうだ。今回はどうだったんだろう。


「でも珍しいよね、3年生が引っかかるなんて。ルーのこと知らなくても、七不思議を知らないわけじゃないんだし」

「そうなんです。警察さんのお話によれば、男性1人らしいってことくらいしか。詳しいことは先生に頼むしかないですかね」

三段壁さんだんへき先生かあ……それっきゃないかな」


 ああやっぱり通報されたかと考えつつ、私は岬の意見にうなずいた。学校内で情報を集めるには、生徒間の噂を拾うか教師から流してもらうかってのがパターンだ。その点、私たちは恵まれてる。

 三段壁あきら。うちのクラスの担任教師で、マンションに住んでる岬とはお隣さん。こちらもニーミのことは知っていて、というか入学式及びお初のホームルームの直後に「水無瀬と言ったか。その、ポケットに入っているのは何だ」と聞いてきたのがきっかけになって何かと力になってくれる。

 先生はご実家の関係で霊媒師とかそっち系の能力も持っていて、幽霊や妖怪相手に『言って聞かない奴は殴る』人である。幽霊なんて実体がないはずなんだけど、どういうわけか先生は殴れるのだ。断言できるのは、目の前で地縛霊をストレート一発で殴り倒したことがあるから。

 なお、人間は「罰則規定や保護者周りで面倒になるから」基本的には殴らないとのこと。うん、体罰とか言われたらいろいろうるさいもんね。


「あ、そうそう。最近モーツァルトがしゃべり始めたそうですよ。今日は音楽室空いてるようだし、あいさつ行きます?」

「あ、マジ? そうだね、ルーの話も聞きたいし行っとくか」

「ですね。んじゃ、本日の『学校研究同好会』の活動は、新しい方とのごあいさつってことで」


 いきなり話が切り替わった。とは言っても、岬の中では多分話はつながっていると思う。さっきのルーの話からだろうなあ。

 音楽室の壁にベートーベンの肖像画と並んでいる、数名の作曲家の肖像画。その中の、ベートーベンの隣に貼ってあるモーツァルトのことを岬は言っている。

 ルーと知り合いになってからそっちも自己主張するんじゃないかって思ってたけど、やっと来たか。いつもいつも隣でやかましくしてたら、いい加減にしろとか言いたくなるだろうさ。

 んで、『学校研究同好会』である。私の所属クラブでもあるそれはまあ、要するにこの手の話を研究するという名目で設立されたクラブなわけだ。部員は私と岬、顧問はもちろん三段壁先生。つーかよく作れたな、と思う。




 というわけで放課後。今日は吹奏楽部の練習がないから、音楽室にいるのは私と岬とニーミくらいである。ああ、もう2人。


『まったく、何とかならないか。こいつがいるとやかましくてかなわん』


 外はねの髪、眉間にしわ寄せて難しい顔をしているベートーベン、じゃなくてルー。この呼び名は本人の希望だ。コワモテかまして可愛い呼び名を希望するなんてこいつ、絶対中身はベートーベンじゃない別の何かだ。


『よろしゅーに。僕のことは気軽に、あーちゃんと呼んでくださいな』


 そんでもってこちらが新人さんのモーツァルト、じゃなくってあーちゃん。こっちも中身が本人のわけがない。本人を知っているわけじゃないけれど、いくら何でもノリが軽すぎる。いいのかクラシック音楽家、ただし外見のみ。


「んまあ、その辺はどうでもいいです。お2人でじっくり話し合ってくださいね」


 岬は呆れ顔で、あーちゃんの言葉をさえぎる。お、絵の中のあーちゃんが顔をしかめたぞ。石の分際で食事するニーミといい、妖怪って結構器用なんだよねえ。それはともかく。


「ルー、話聞いたわよ。どうしたのさ」

『非常ベルの話か。その……あの生徒、学内であるにも関わらずハレンチな行為に及ぼうとしたのでな。ついつい』

「はれんち?」


 難しい顔で描かれてるルーの口から出てきたのは、いわゆる死語であった。はれんちってえーと、エロいとかいう意味だったっけ?


『はい、夜中に男の子と女の子がここで話してはったんですけど、男の子が嫌がる女の子の肩に手ー伸ばしはりまして、どさっと押し倒さはりまして。で、ルー先輩がじゃじゃじゃじゃーん、とかまさはったところで女の子はいなくなっちゃいましてん』


 あーちゃんもルーに同調する……って、何で関西弁!? まさか、モーツァルトはモーツァルトでも浪花の方か!? いや、それは後だ。この際妖怪の口調なんか気にしてられるか。

 だけど、何かおかしいな。岬も眉をひそめてる……ああ、そうだ。お昼に岬から聞いた話と食い違う点があるんだ。


「あれ? 噂じゃ男の先輩1人って……ねえ」

「はいー。女の人がいたなら、もっとにぎやかに噂してると思いますし」

『だよなあ。夜中の学校で男子生徒と女子生徒、肝試しデートとか言いそうだ』


 ポケットの中から器用にはい出してきたニーミも、私と岬の意見に賛成してくれる。夏の夜に肝試しデートか……この学校でやったら、きっと暖房が欲しくなるぞ。七不思議諸氏、面白がって参戦してきそうだし。


『しかし、我らは制服を着用した女子を見ている。そうだろう、あーちゃんよ』

『はいな。きれいな長髪の女の子でしたわ』


 ルーとあーちゃんがお互いに視線を合わせ、うんうんとうなずき合う。少なくともあーちゃんのことを好いてないっぽいルーがその相手に同意を求めるくらいだから、2人の話に嘘はないのだろう。すると。


「あー。跡形も残さず消えたとかいうんなら、もしかしてその女の子、あんたたちの同類?」

『かもしれんな。あいにくワシはそういう方面の感覚にうとくてな、すまん』

『僕もごく最近自意識持ったばかりですさかい、よう分かりませんわ。すんません』


 あ、著名な作曲家・ただし外見のみに謝られてしまった。うーむ、分からないものはしょうがないか。ニーミだって、岬が教えてくれるまで自分の正体を知らなかったわけだしね。


「そっか、ありがとね。……で、その3年生か女の子、どっちかの顔か名前、分かる?」

『あ、僕、女の子の名前覚えてます。男の子が彼女のこと、よつやくん言うてました』

『ワシは男の方なら。何しろ今の生徒会長だ』

「よつや、ですか?」

「生徒会長……って、ええーっ!?」


 女の子の名前は知らない。けれど何でまた、その相手が平凡な高校に在学している理由が分からないほどの飛び抜けた脳みそを持ち、既に大学の推薦も決まってるって噂のある生徒会長なんだろう?


『秋野、知ってんのか?』


 ニーミが私の顔を見上げている、ように私には思えた。そりゃ、ただの石ころが見上げてるとか言ったら普通の人は妄想か擬人化かと思うのだろうけど、私はこいつの母親だからそのくらい分かる。そういうことにしておいてほしい。妄想だったら気分的に嫌だ。


「生徒会長の方ならね。ほら、入学式の時、生徒代表であいさつしたでしょう。あんたも声くらいなら聞いてるはずよ」

『あ、あのにーちゃんね。了解了解』


 ニーミの頭と思われる部分を指先で突っつきながら教えてやると、ちびすけは納得したようにうなずいた。ほんとに暫定頭部がぴこぴこ動いたんだから、うなずいたんだろう。

 ちらりと岬に目を向けてみると、大変分かりやすくワクテカ顔だった。調べる気満々だな、と分かりつつも一応確認をしてみよう。


「……岬。調べてみる?」

「当然ですよ。差し当たって、三段壁先生から情報引っ張ってきますね、後はメールで」

「そうね。頼むわ」


 やっぱりね。ともかく、事情が分かったところで後は岬に任せて、今日は家に帰ることにした。ルーもあーちゃんも、情報ありがとうね。

 しかしまあ、ニーミを拾ってから3年と少しになるけれど、特に高校に入ってからこの手の事件が周囲でよく起きるようになってしまった。まあ妖怪であるニーミが引きつけてるってのがお約束なんだろうけど、このちんちくりんな石ころに何ができるんだって思う。


『……かーちゃん。オレ、迷惑かなあ?』

「ばーか。しょうもない心配すんな」


 だから、私はその石ころをぴんと指先で弾いた。おっと、ピアノの下まで転がってっちゃったな、自力で出てきなさい!

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