第一章 遭逢
‐Ⅰ‐
「ねえ、若頭」
壁を背にうたた寝をしていると、上から少年の声が降ってきた。
寝ぼけ眼で空を仰ぐと、見張り台で双眼鏡を両手に持った茶髪の少年が、微動だにせずにじっとのぞき込んでいる姿が見えた。
「んー・・・?どうしたぁ、ヴォルフラム」
そう欠伸交じりに答えると、少年——ヴォルフラムは双眼鏡をのぞき込んだまま、ううん、と唸った。
「十二時の方向・・・——多分、『空イルカ』かなあ?こっちへ向かってきてるんだけど・・・」
空イルカとは、一般的に『デルフィーン・シフ』と呼ばれる二人乗りの小型飛行機の俗称である。細長い機体で操縦席と補佐席が縦に並んでおり、小型機最速のスピードと小回りが利くので、空を飛ぶ姿がまるでイルカのように見えることからその呼び名がついた。
ヴォルフラムは双眼鏡を外し、若頭と呼んだ青年を見下ろした。
「ぼろっぼろなんだ。あんな状態で飛べるわけないのに」
青年はその言葉にハッとしたように飛び起き、壁にある梯子で一気に見張り台まで駆け上がり、ヴォルフラムの双眼鏡をひったくった。
——双眼鏡を覗くと、外装が剥がされところどころ骨組みが露わになっているピンク色のデルフィーンがよろよろとこちらに飛んでくるのが見えた。
「ね?不思議でしょ?」
ヴォルフラムが横で首を傾げる。だが、青年には理由が解っていた。
「———渡り鳥だ」
「『渡り鳥』?・・・何言ってんの、若頭。あれ、空イルカだよ」
「馬鹿だな、鳥のことを言ってるんじゃないよ。『ヴァンダーフォーゲル』くらい知ってるだろう?」
「・・・え!?あ、あの、ヴァンダーフォーゲル!!?」
ヴォルフラムが驚きの声を上げて双眼鏡を横取りし、顔にぶつけんばかりに押し付け、再び食い入るようにしてデルフィーンを見つめた。
そして顔をほころばせ、ヴォルフラムは感嘆の声を上げる。
「あれが、渡り鳥の『タクト』・・・」
遠くに見えるそのデルフィーンはボロボロでエンジンが止まっているはずなのに、雲が機体を支えて運んでいるように見えた。
「すごいなあ・・・!俺、初めて見たっ!!」
「感動してるとこ悪いんだけどさ、急いでテオを呼んできてくれる?」
若頭の青年はにこっと微笑んでヴォルフラムに命令を下した。
「——渡り鳥を確保するよ?」
「は・・・はい!若頭!!」
ヴォルフラムは元気よく返事をすると、双眼鏡を青年に預け、梯子をすべるようにして降りて行った。
見張り台に残った青年は風になびく長い銀色の前髪を耳に掛け、目を輝かせて呟いた。
「——あれに、僕の故郷の仲間が、いる・・・」
———雲が迫ってくる、と思ったときには、上下左右の間隔がなくなっていた。
舌を噛むな、という忠告に辛うじて従うことはできたのは幸いだったが、アイリアは補佐席にしがみ付きながら前に座っているイルミンを呪った。
この幼馴染は子供の頃から勇敢、もとい、向こう見ずなところがあったが、今回ばかりは死を覚悟するべきだろう。
デルフィーンは小型機の中で最も装甲が軽い。それ故にスピードが出るのだが、こんなバンジージャンプに近い急降下など本来対応していないのに、いくら敵に狙われていたからといって何故こんな自殺行為を働いたのか。
———死にたくない・・・!!
アイリアは涙を浮かべ、旋回し続けるデルフィーンにつかまりながら、心の中で叫んだ。
すると、アイリアの両手が激しい光を放ち———瞬く間に周りの雲が四散し、辺りは青空に包まれた。
「——すげえ・・・」
イルミンは呆気にとられたように呟き、そしてそのまま空は視界の下になって、落ちていく・・・。
——否。
俺たちが、落ちている。
「う・・・うおおおおおおお!!?!」
思わず叫ぶイルミンだが、手元の操縦桿を動かしてもうんともすんとも反応しない。やばい、やばい、やばい———落ちる・・・!!
「———
アイリアが悲鳴交じりに叫んだ。
ふわっと機体が上がり、上下が正しい位置に直ったところで、雲が機体の下になり、支えた。
アイリアとイルミンは同時にほっと息を吐いた。
「あー・・・危なかった・・・」
イルミンが安堵の声をもらすと、これまでの鬱憤を晴らすかの如く、アイリアが半狂乱になってイルミンを責め立てた。
「イルの馬鹿!!死ぬかと思ったじゃない!!!」
「なっ・・・しょうがないだろ!?ああするしか逃げ道なかったんだんだよ」
「そうかもしれないけどほんとに馬鹿っっ!!」
「じゃあ、どうすりゃよかったんだよ!?あのままじゃどっちみち捕まるところだっただろうが!!」
「確かにそうだけど、結果的に助かっただけでしょ!?デルフィーン見てみなさいよっ!ボロボロよっ!?」
イルミンはアイリアの言葉に改めてデルフィーンを見た。
ピンクの装甲はところどころ剥がれ、骨組みがむき出しになっている。
「・・・ほんとに、怖かった」
アイリアがか細くそう呟いたかと思うと、そのまま静かになった。
ぐず、と後ろから嗚咽が聞こえてきたので、イルミンはバツが悪そうに補佐席を振り返った。
案の定、アイリアは泣いていた。
「・・・悪かったよ、ごめん」
イルミンは素直に謝ると、操縦席と補佐席の間に身を乗り出し、アイリアの頭を撫でた。
「ごめん、アイリア。お前のお蔭で助かった」
再度謝ると、アイリアは静かにこくんと頷いた。
その様子にイルミンはほっと息をつく。
そしてちらりと機内にある指針に目をやるが、針はクルクルと回り続けていて本来の役割を果たしていなかった。
「コンパスがいかれてる・・・。太陽の位置的に大体南は二時方向だとは思うけど・・・」
——ルーカス・ウェーバーを訪ねろ、と長は言った。
その名には聞き覚えがあった。子供の頃に一回だけ遊んでもらった記憶もあり、確か、渡り鳥を離れたのも「自由に空を飛び回りたい」というただそれだけの理由で、幼い息子を連れて旅に出てしまった。そんな男だ。
だが、10年も前の記憶なので、顔まで思い出せるはずもなく、その上方角も解らなくなったので、イルミンは頭を抱えた。
——でも、このまま何もせずに飛んでるわけにもいかないか。
イルミンはやっと涙の止まったアイリアの頬に手を当てた。
「・・・落ち着いたか?」
「うん・・・」
「近くの村に降りて休もう。疲れただろ?」
「そうね——」
そう、アイリアが短く答えた時だった。
「そこのお二人さん!よかったら僕の船で休んでいく?」
すっかり気が緩んでいたのか、一機のデルフィーンが傍まで来ているのに気づかなかった。
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