30-16 : 虚無と絶望に……灯る光(2/2)

 ――それは、250年前。


 ――“空白地帯”と呼ばれた、“宵の国”は極東国境外地域。


 濃い霧の立ちこめる広い広い平原に、たたずむものがいた。


 朝陽あさひに照らし出される真っ白な世界に、ひっそりと身を隠すようにして生きるものたちがいた。


 何ものも寄せ付けず。


 心を、その身にも似た堅い鎧の内に仕舞しまい込み。


 吹き抜けていく風と、時折降りしきる雨の中を。昼と夜を。夏と冬を。


 その繰り返しの中を、ただそうであるままに。


 百とわずかの同胞たちは、皆、世界の形を知らない。


 この霧に隠れた白い世界だけが、たたずむものたちにとっての全て。


 それはとても孤独なことだった。


 永い永い孤独。


 心にいた空白を、空白と分からないほどの孤独。


 霧にたたずむものたちは、そんな孤独と空白の中で、ずっと何かを求めていた。


 “それ”が一体何なのか――“それ”を与えられたことのないたたずむものたちには、自分たちの求めているものが一体どんな形をしたものなのかが分からなかった。


 そんなある日。


 霧の向こうからやってくる影を見た。


 ボロボロの殻をまとった、紫炎を光らせる人影が1つ。


 とても孤独な人影だった。


 ゆらり。


 ボロボロの人影が、霧越しに剣先を向けてくる。


 たたずむものたちは敵意を感じた。百とわずかの同胞たちの幾らかは、威嚇と警戒に身を低くした。


 人影が敵意をき出しにしているのは間違いなかった。間違いなかったが……それは今までにたたずむものたちが感じたことのない類いの敵意だった。


 剣先はこちらに向いているはずなのに、人影の敵意は、人影自身に向いているのだ。


 まるで目には見えない剣を、何本も自分で自分の身に突き立てているような――そんなかなしく冷たい敵意。


 小さな人影が抱えるそれは、孤独。



 ――ああ、その空白孤独……お前も、私たちと同じものを飼っているのか。



 たたずむものが、声にならない声でつぶやく。



「“果て”と呼ぶのなら……この場所が相応ふさわしい……」



 人影の声が、誰に向けられる訳でもなく、霧の中に吸い込まれていく。


 ついぞ揺れたことのない、たたずむものたちの堅い鎧の内の心が、わずかばかりその人影に興味を抱く。



 ――この白い地に、何を求めてやってきた。



 たたずむものが心の内に問いかけると、人影がそれに応じるようにして独り言つ。



「……さぁ、始めようか……“終わり”を……」



 ――なるほど。その空白孤独に、終わりを求めているのか……。



 ――いいだろう。お前の内に、面白いものが見れた。岩のようなこの心に、いつぶりかの細波さざなみが立った。



 ――私たちが、何を求めているのかは分からないままだが……お前の求める“終わり”、この私がくれてやろう。



 そうしてたたずむものは独り得心すると、白い霧の中から人影の前に姿を現した。



「……」



『……』



 両者が、初めて互いの姿をまじまじと見る。


 ……。


 ……。


 ……。



「……『――』……」



 人影ゴーダの口が、何か、言葉の形に動いた。


 ……。



 ――何だ?



 たたずむものには、彼のその言葉の意味が分からなかった。


 ……。



 ――何だ……“それ”は?





 ***



 ゴーダの“魔剣”に心臓を貫かれたベルクトの身体から、光の粒が舞い上がっていく。


 ちょう鱗粉りんぷんのような。粉雪のような。美しく光り輝く粒子。


 光の粒はやがて集合していくと、それは人の形を成して、ゴーダのよく知るベルクトの姿がそこに浮かび上がる。



 ――ゴーダ様。



 光の粒でできた両腕をゴーダの首元に回して、ベルクトが主を優しく抱擁する。


 心の底から、親愛を込めて。



 ――250年前の、あの日。私たちは、貴方あなたと出会えて、幸せでした。



 ずっとそうしたかった我慢を今だけは解いて、頬ずりする。



 ――貴方あなたは、私たちがずっと欲しくて、けれどそれが何なのかずっと分からなかったものを、あのときのたった一言で、全て与えてくれました。



 光の粒でできている身体は、声を出すことができなかった。だからベルクトは、ゴーダに身を寄せるその仕草で、精一杯の感謝を伝える。



 ――ありがとうございます……私たちを、貴方あなたとともにいさせてくれて。



 そして光の粒が、ベルクトの形を崩し始める。次第にかすんで、霧散していく。



 ――だからこれが……250年がけの、私たちから貴方あなたへの、ご恩返しになりますように。



 ……。


 ……。


 ……。



 ――ゴーダ様……大好きです……私たちは、貴方あなたのことが、大好きです……。



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――私たちに、生まれて初めて「名前」をくれた、貴方あなたのことが。世界で一番、大好きです……。



 ……。


 ……。


 ……。



「さぁ……――」



 ……。



「――こうか」



 兜を失った“魔剣のゴーダ”が、漆黒の騎士ベルクトの残したひび割れた兜を被る。


 そして――“黄昏たそがれの魔”の胎内に、まぶしい光が輝いた。



 ***





「――はあぁぁぁぁぁっ!」



 “黄昏たそがれの魔”の後頭部を駆け上がりながら、シェルミアが叫ぶ。


 彼女の駆ける“黄昏たそがれの魔”の表皮から、先端に鎌のような爪を付けた人の背丈ほどの細腕が何本と生えてくる。それらをエレンローズとともに斬り伏せながら、シェルミアは走り抜ける。


 異形の細腕が群れを成して、シェルミアの眼前に迫る。


 が、それを前にして、彼女は恐れも不安も抱かなかった。



 ――『シェルミア様!』



 その背中を押すように、エレンローズの声が聞こえる。


 耳にではなく、胸の内に直接届いてくる声で。



 ――『ここは、私に!』



 エレンローズの、“守護騎士の長剣”の剣閃。弱さと絶望を乗り越えてきたその剣筋に、寸分の迷いもありはしない。



 ――『行って、下さい! “改竄剣かいざんけん”のところへ!!』



 左腕の封魔の義手に、ドンと背中を強く押し出された。守護騎士のありったけの想いを預かり、シェルミアが跳ぶ。


 足下に、“黄昏たそがれの魔”の額に開いた巨眼が――その瞳の奥に、“改竄剣かいざんけんリザリア”の真っ黒な剣身が見えた。



「ああぁぁあああっ!!」



 両手に握った一振りの剣を、空中でシェルミアが振り上げる。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――欲シイ……。



 それは“改竄剣かいざんけんリザリア”による揺り戻し。同じ時の繰り返し。


 シェルミアの影に潜んだ“原初の闇”の泡沫ほうまつが、“運命剣”の起動するその瞬間に合わせて、ウゾリとうごめく。



 ――使エ……“運命剣リーム”ヲ。開ケ、我ガ前ニ、“次元ノ海”ヲ。



 シェルミアが、振り上げた両腕を振り下ろし――。



 ――“未来”ヲ、闇デ、塗リ潰ス……。



 ……。


 ……。


 ……。


 そして彼女は――“運命剣リームを、手放した”。



 ――……ナニ……?



 ……。


 ……。


 ……。


 “運命剣リーム”は。


 その古剣の形をした魔導器の力は、誰もが使えるものではない。


 それを振るうことができるのは、「運命を切り開ける者」のみ――どんなに心砕けても、魂の根元だけは絶対に砕け散らない、どうしようもなく、諦めの悪い者のみ。


 そんな者にだけ、“運命剣リーム”は世界を見せる。


 あの万華鏡のように広がった未来を。


 現実として生まれ落ちる以前の世界を。


 それを収束させるのは、“運命剣”の力ではなく――


 ……。


 ……。


 ……。



「ゴーダ卿ぉぉぉ!!」



 “運命剣リーム”を宙に投げたシェルミアが、声の限りに叫ぶ。


 改竄かいざんされる以前の記憶を持っているはずもなく。


 同じ時の繰り返しが、繰り返されないはずもなく。


 ならばなぜ、その結末が変わったのか。


 ……何のことはない。


 そこは既に、“違う未来”だったというだけのこと。



貴方あなたに――託します!!」 



 世界を収束させるのは、“運命剣”の力ではなく――未来に向かう、人の想い。


 ……。


 ……。


 ……。


 光が。


 ガシリッ。と、シェルミアの託した未来をつかむ手。



「しかと……受け取った!」



 そして無数の光の粒に包まれて、“黄昏たそがれの魔”の腹の中から、ゴーダがんだ。


 ……。


 ……。


 ……。


 そも――。


 その座には、所以ゆえんがなければならない。


 そのほまれへと至る、理由と根拠がなければならない。


 ――“宵の国”最強――。


 彼は“宵の国”の守護者の“誰とも戦わずして”、その称号を得たのである。


 なぜか。


 250年前、彼がたった1人で、手にしたからである。


 何を。


 当時の“宵の国”最強の戦人いくさびとですら平定することのできなかった、その地を。


 “宵の国”極東に広がる、“空白地帯”と呼ばれた、無国籍地帯を。


 今は、“イヅの大平原”と呼ばれる、この地を。


 ……。


 ……。


 ……。


 この地にはかつて、何ものも及ばぬ存在があった。


 人間とも魔族とも異なる、もう1つの“国を持たない種族”があった。


 絶対的な力を誇ったその種族を恐れ畏れたかつての人間と魔族は、それを固有の名で呼ぶことすら許さなかった。


 その種族が産み落とす命の実を、人間だけが“石の種”と呼び、災いを呼ぶと忌避した。


 “石の種”の存在を知らぬ魔族は、その種族の成体を指して、かつて北の地に栄えたという帝国を滅ぼしたものたちを、こう呼んだ。


 ……。


 ――“災禍の血族”と。


 ……。


 ……。


 ……。


 咆哮ほうこうが、空を震わせた。


 “運命剣リーム”を手にしたゴーダを飛翔ひしょうさせた光の粒子たちが、形を成していく。己の姿を取り戻していく。


 その数、105つ。


 250年前、“魔剣のゴーダ”によって魔族の器へと封じられた存在たちが――自ら望んで彼の部下となった者たちが――王者の姿をここに見せる。


 神々しくさえもある、その勇姿を。


 ……。


 背には2対4枚の、天使のような輝く翼。


 すらりと引き締まった胴。その倍の長さはある細い尾の先に、もう1対の翼が踊る。


 “暗黒”騎士の由来――全身を覆う漆黒のうろこは、“蒼石鋼あおいしはがね”すら通さぬ絶対堅牢けんろう


 頑強な手足に生えた4本の爪は、この世で唯一、自身のうろこを傷つけることのできる至高の刃。


 消えた伝承に「岩から生まれる」と記された体躯たいくは、この世のいかなる生物とも根本的に組成が異なり、ゴーダの目には機械に近いものに映る。


 くちばしとも牙ともつかない大きな口からは、呼気の代わりに光の粒子が舞い昇る。


 ……。


 ――「竜」。


 この世界には存在しないその言葉でもって、ゴーダはこの世で初めて、その存在に「名前」を与えたのである。


 永い時を白い霧の中にたたずんできたそのものたちにとって、心に抱えた空白孤独を埋めるには、ただそれだけで十分だった。


 ゆえにそのものらは、いつまでも暗黒騎士とともにある。


 ……。


 ……。


 ……。



『……きましょう……我らが主よ』



 ……。


 ……。


 ……。


 “魔剣のゴーダ”をその背に乗せて、輝く翼で曇天に光の尾を引き、黒竜がく。


 ――“古き東の主ベルクト”、降臨。

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