30-15 : 虚無と絶望に……沈む闇(1/2)

「……ゴー、ダ……様……?」



 永遠の闇に向けてささやき続けられていた声が、ゴーダの名をもう一度呼んだ。



「ベルクト……!」



 虚無感に支配されかけているゴーダが、声を詰まらせた。



「ベルクト……ベルクトぉ……っ!」



 ガランから聞かされていた、“イヅの大平原”の惨状。


 そして自分の目で確かめた、崩壊した“イヅの城塞”。


 それと――何かそれ以外の、決定的なものを見てしまった気がしていたが、その部分の記憶だけが、なぜか塗り潰されている。


 恥も外聞もなく声を震わせて、ゴーダはベルクトを抱き寄せた。



「……っ!」



 そこでゴーダは、薄ら寒い違和感を覚えた。



 ――軽すぎる。



「そ、こに……そこに、いらっしゃる、のですか……ゴーダ様……」



 ベルクトが、恐ろしくゆっくりと語りかけてくる。腹に全く力の入っていない、漏れる空気と声帯だけで辛うじて絞り出している、か細い声で。



「ここだ、ベルクト! 私はここにいるぞ! 聞こえていないのか!? ベルクトっ!!」



 この声が聞こえていないというのなら、それならばと、ゴーダは闇の中で片腕にベルクトを抱きかかえながら、もう片方の手で側近の手を握り締めた。


 ――ボチャリ。



「う……っ!?」



 握り締めたはずのベルクトの腕はゴーダの手の内を滑り落ちて、代わりにドロリとした液体の中に何かが沈んでいく音がする。



「申し訳……ござい、ません……ゴーダ、様……」



 それと同時に、ただでさえ軽かったベルクトの身体が、更に不気味に軽くなった。



「何、も……聞こえない、のです……この身体も、もう……」



 ゴーダがここに落とされた直後に身を浸らせていた、“黄昏たそがれの魔”の体液。それと似たものに、ベルクトは全身を長いこと沈めてしまっていたようだった。



しゃべるな、ベルクト! そこから出してやるからな、すぐに……! 大丈夫だ、少しでも光のある所に……!」



 くように、しかしベルクトに負担をかけないように、慎重に慎重を重ねながら、ゴーダは側近の身体を溜まりから引き上げた。



「気をしっかり持て、ベルクト……!」



 ベルクトを抱き上げると、ゴーダは闇の中から黄昏たそがれの光の下へとゆっくり歩き戻っていく。


 ――ボトリッ。


 その間にも、また何かが足下に落ちて転がる音がして。


 しっかりと抱き締めているはずのベルクトが、ぞっとするほど、また軽くなる。


 そして――この世の終わりを照らす明かりへ。


 ……。


 ……。


 ……。


 ベルクトの姿が、視界に入る。



「……。……」



 しばしの間、ゴーダには言葉がなかった。



「……」



 そっと優しく、ベルクトの小さな身体を横たえさせてやる。


 そのまま何も言わず、そばに腰を下ろす。



「ゴー、ダ……様……」



 そうこぼしてベルクトが首を向けるのは――ゴーダがいる位置とは全く真反対の方向。


 ……直視に堪えなかった。


 何も見えない闇の中で、薄々気付いていた。



「私は、こっちだぞ。ベルクト……」



 ゴーダは片時も目をらさずに、ベルクトの頭をでてやる。


 ……。


 ……ベルクトのひび割れた兜から、左目と口許くちもとだけがわずかにのぞいていた。


 ……目は何か、酸のようなものでけていて、閉じたまぶたを開けることができなくなっていた。口許くちもとがしきりに、かすかに震えて主の名前を繰り返している。


 ……左腕は、溶け落ちてなくなっていた。右脚も。それは軽くもなると、ゴーダはベルクトの頭をで続けながら思う。


 ……残っている右腕と左脚は複数箇所で折れて、これもまた半ば溶けかけている。



「……ゴーダ……さ、ま……ゴーダ……様……」



 そんな目に遭いながら、ベルクトはゴーダを呼び続けていたのだ。



無茶むちゃを、しすぎだ。ベルクト」



 その想いに応えて、ゴーダもベルクトの名を何度も呼ぶ。側近が既に聴覚を失っていても、そんなことは関係ない。



「本当に、お前という奴は……愚直過ぎる……」



 黄昏たそがれの光が更なる悪意を宿したように傾いて、闇を照らし出していく。


 その先に、物言わぬ人影が、1つ2つと浮かび上がっていく。



「“お前たち”という奴らは……馬鹿正直過ぎる……」



 “改竄剣かいざんけん”による改変によって、“黄昏たそがれの魔”の胎内に、傷つき倒れた黒い騎士たち、総勢105騎がそこにいた。


 絶望の上に、更に重い絶望がのし掛かるように。


 それぞれがベルクトと同じように主を想い続けた末に、1人また1人と沈黙していった過程がありありと想像できる光景だった。



「……私には、本当に……本当にっ……出来過ぎた、部下たちだ……っ」



 そう言うと、ゴーダは自分でも気付かない内に、もう一度ベルクトを抱き締めていた。


 目も見えず、耳も聞こえず、恐らく感覚もなくなっているベルクトを、しっかりと抱き締めた。


 甲冑かっちゅうと兜を通じて、ゴーダの鼓動がベルクトへ伝う。



「ああ……ゴーダ、様……」



 ベルクトの顔が、やっと主の方を向いた。



「やっと、おそばに……いらっしゃる、のが……分かり、ます……」



 今にも途絶えてしまいそうなかすれ声に、再会を喜んでいるような色が混じる。



「我ら……“イヅの、騎兵隊”……ゴーダ様の、お帰りを……ずっと、お待ち……しており、まし、た……」



 折れて溶けかけ、動かなくなった右腕をそれでも持ち上げて、ベルクトがゴーダの頬に触れる。



「……お帰り、なさい、ませ……我らが、主……」



 ……。


 ……。


 ……。



「ああ……ただいま。ベルクト。みんな……」



 震える声でそれだけ応えると、ゴーダはベルクトをもっと強く抱き締めて、そのまま長いこと身動き一つしなかった。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ベルクト。もう、疲れたろう」



 そして長い沈黙の末に、そう言うと。


 “蒼鬼あおおに・真打ち”が、ゴーダの手で抜かれた。



「今……楽にしてやるからな……」



 ピタリと刀身の向く先は、ベルクトの心臓。



「ゴーダ……様……」



 何も分からなくなっているはずのベルクトも、“その時”が来たことを悟った様子だった。



「わた、しは……私たち、は……――」



 漆黒の騎士は、最後に、尋ねる。



「――魔族らしく……あれた……でしょうか……」



 ゴーダが、答える。



「……ああ。お前たちは、誰よりも誇り高い魔族だよ。この私が、保証する……」



「……」



 そうしてベルクトの口許くちもとが、穏やかに笑うのが見えた。


 ……。


 ……。


 ……。


 あおい刃が迷いもなく、ベルクトの心臓を、貫いた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


「虚無に塗り潰れよ」と、純粋悪がささやきかける。


「大切なものを己が手で握り潰し、その絶望に沈むがよい」と。


 これも――この世の終わりを背景にゴーダがベルクトたちと再会したことすらも、“黄昏たそがれの魔”が寄越よこしたものであると。その残酷な結末が、突き付けられる。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「ああ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「胸くそ悪い、悪夢だよ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……生まれて、この方……なかったほどに……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……“たぎってきた”」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――諦めるなよ、絶対に。



 その言葉。


 それは“改竄剣かいざんけんリザリア”によってなかったことにされた、未来の自分の残した言葉。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……――“魔剣”――……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……――“七式:”――……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……――“千重折ちえおり・ほどき”」



 ――諦めるなよ、絶対に。



 その言葉、そのままに。


 虚無と絶望の、只中ただなかで……。


 光が――。


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