30-13 : 純粋悪

 “黄昏たそがれの魔”が、大地に立った。


 ガランが陽動し、“大回廊の4人の侍女”の蹴撃しゅうげきによって破裂していた四つ又の尾は、元の状態に再生している。


 それは、“運命剣リーム”を駆るシェルミアの一撃を本命とした連携が、空振りに終わったことを意味した。


 敵は、依然として健在。



「状況は振り出しに、か……あと一歩というところで……!」



 ゴーダがぎりっと歯噛みする。


 その横で、シェルミアがわずかに声を震わせながら口を開いた。



「いえ……状況は、むしろ悪く……最悪に、なりつつあります……」



 その言葉にエレンローズ、ローマリア、ゴーダが目を向けると、シェルミアの顔は真っ青になっていた。身震いするように、自分の両腕を抱え込む。


 ――。


 ――。


 ――。



「“運命剣”が、汚染された……?」



 シェルミアの語った事態の深刻さに、3人は言葉を失った。



「……幸い……ゴーダ卿のお陰で、呪剣に“運命剣”の権能を取り込まれる寸前で難を逃れましたが……もう、私には……っ」



 堅く目を閉じて顔をうつむけたシェルミアが、唇をんで無念をにじませる。



「私の、壊れた魔力の流れを“運命剣”と共鳴させてしか辿たどり着けない場所に……確かに、未来が目の前にあったのに……! その私自身が、“原初の闇”に取りかれていては、どうしようも……っ」



 その一言一言を、シェルミアは胸の潰れる思いで語る。


 “改竄剣かいざんけんを滅する未来”へ辿たどり着くにはシェルミアの影に潜む“原初の闇”を取り除かねばならず、しかしその“原初の闇”をどうにかするには“改竄剣かいざんけん”を破壊しなければならない。


 どうしようもない矛盾を突き付けられていた。


 希望の光が見えていた分、シェルミアの落胆は度を超えて大きい。



「……」



「……」



「……」



 そこにいる誰もが、かける言葉を見つけられないほどに。



「ホロホロホロ……」



 そんな絶望の臭いを嗅ぎ付けたのか、遠くで“黄昏たそがれの魔”がおぞましくく。


 まるで、これが終焉しゅうえんであると、宣言するかのよう。



「ホロホロホロホロ……」



 更に追い打ちをかけるように、“黄昏たそがれの魔”が長大な爪で自らのずんぐりとした腹を割き開く。


 ドドドドド。と、濁流のような轟音ごうおんを立てて“黄昏たそがれの魔”から鮮血が噴き出し、それが次第に形を成していく。


 “改竄剣かいざんけんリザリア”の、“人造呪剣”としての一面――“くれないの騎士”たちがむくりと立ち上がっていく。


 これまでゴーダたちが遭遇してきたものとは比べものにならない巨体……全高5メートル以上はあろうかという、巨人型の呪われた人形たちが。


 “黄昏たそがれの魔”の流血はとどまることを知らず、一秒ごとに真紅の巨人たちが“イヅの大平原”をどんどんと埋め尽くす。


 絶望の上に絶望を塗りたくり、それを更に絶望で押し潰すがごとき所業。


 シェルミアは、見開いた目をまばたきすることもできないでいた。



 ――私のせいだ……。



 血がにじんで震える唇からは、もう声も出ない。



 ――“改竄剣かいざんけん”も……“運命剣”も……全部、私のせいだ……。



 畳みかけられる絶望の連続に、目眩めまいを覚える。


 情けも、容赦も、愉悦すらない――あるのはただ、純粋悪。


 ……。


 ザリッ。と、背中が見えた。


 これまでも窮地を救ってくれた、大きな背中が。



「……ゴーダ卿……っ!」



 思わず、泣き崩れそうな声でその名を呼ぶ。



「……ローマリア……2人を、頼む」



 シェルミアに名を呼ばれたゴーダは、淡々とした声音で短く告げるだけ。



「シェルミアと“運命剣”は、“改竄剣かいざんけん”に対抗できる唯一の可能性なのだ……時間は稼ぐ。必ず、方法を見つけ出せ」



「ゴーダ卿、いけません! 敵は……過去を変えることができるのですよ?! いくら貴方あなたでも、そんなものを相手に1人で――」



「黙っておいでなさい?」



 ゴーダに駆け寄ろうとするシェルミアの肩を、ローマリアが押さえつけた。魔女はそのまま長い睫毛まつげの下から、想い人の背中をじっと見る。



「……ねぇゴーダ? わたくしとの約束、覚えておいで?」



「……私が勝手に死んだら、お前は“右瞳みぎめ”で世界を滅ぼす、というやつか?」



「ええ、そうですわ」



 静かな声で問いかけるローマリアに、ゴーダの背中が困ったように言葉を返す。



「……まぁ……そのときは、どのみちこの世の終わりは近かろう。お前さえ、つらくなければ……ダメ元であの化け物に“右瞳みぎめ”を試してみるのも、ありかもしれんな」



「ふふっ……きっと、無駄でしょうね」



「……だろうな」



 魔女と暗黒騎士は、お互いに達観した声色で言葉を交わす。その言葉に隠れた裏側で、2人がどんな想いを交わし合っているのか、シェルミアには分からない。


 ……。


 無言の内に、サァァ……と、銘刀“蒼鬼あおおに・真打ち”が抜かれた。



「……シェルミア……エレンローズ――」



 最後に横顔を寄越よこした“魔剣のゴーダ”の目が、その言葉以上に、2人へ彼の想いを言って聞かせた。


 ……。



「――諦めるなよ。絶対に」



 ……。


 ……。


 ……。



「ゴーダ卿ぉぉぉおっ!!」



 シェルミアは思わず彼の背中へ手を伸ばしたが、エレンローズとローマリアが無言のまま彼女をその場へとどまらせる。


 “黄昏たそがれの魔”に向かって1人で突っ込んでいくゴーダの後ろ姿と、“蒼鬼あおおに・真打ち”のきらめきが遠くなる。


 斬!


 空間そのものを切断する“魔剣”が、放たれたのが見えた。


 真紅の巨人たちがたった一太刀で斬り崩れ、“黄昏たそがれの魔”の腕と翼と尾が空間断層に巻き込まれて崩落していく。


 ――ゾンッ。


 “黄昏たそがれの魔”の額に座す“改善剣リザリア”からくらい影が噴き出して、シェルミアたちの視界を一瞬塗り潰した。


 次に見えたのは、その周辺だけ時間が巻き戻った光景。


 ゴーダの前に立ち塞がる無数の真紅の巨人たちと、無傷のまま爪と尾を振り下ろす“黄昏たそがれの魔”。


 “改竄剣かいざんけん”は、この世全ての過去を支配できるだけでなく、そうして特定の空間内の時間だけを巻き戻し、改変することすら可能ということ。


 あるいは……あの魔剣は自分の権能の使い方を学習してきているのかもしれない。


 そんなことは考えたくなかった。


 ――ゾンッ。


 シェルミアたちに絶望を見せつけでもするように、ゴーダの奮闘を嘲笑あざわらうように、再び周囲の時間だけが巻き戻る。傷つき消耗していくゴーダだけを、つい数秒前に目撃した姿のまま。


 ――ゾンッ。


 ゴーダのダメージだけを残して、蓄積させて、同じ時間を繰り返す。同じ太刀筋を打ち続けているという自覚は暗黒騎士の方にはなく、対して“黄昏たそがれの魔”たちは繰り返される同じ動作に着実に適応していく。


 ――ゾンッ。


 そこだけ繰り返される空間と時間の中で、ゴーダが真紅の巨人たちの攻撃をいなす回数が減っていく。“黄昏たそがれの魔”の襲撃をかわす速度が落ちていく。


 ――ゾンッ。


 そしてまた同じ時間にまで巻き戻り、ゴーダの被弾だけが数を増していく。


 純粋悪が、過去を改竄かいざんするという絶対的なその権能を、シェルミアたちに見せつける。



「ここがこの世の終わりである」と。



「ゴーダ卿! 駄目です、こんな……! 貴方あなたが、こんな無駄死にをしていいはず……ゴーダ卿ぉぉぉっ!!」



 涙を浮かべて絶叫するシェルミアの視界を塞いで、ローマリアが正面に回り込んだ。



「さぁ、跳びますわよ……あの馬鹿な人が、こちらの時間で1秒でも持たせてくれている内に……」



 魔女の翡翠ひすいの左目が、シェルミアをにらみ付ける。



「いいこと、しかとお聞きなさい……貴女あなたがもしも、ほんの少しでも諦めるようなことがあったら――わたくし、ひどいですからね」



 恨みをみ殺すようにそれだけ言うと、ゴーダの意志を引き継いだローマリアは、それ以上は何も言わずシェルミアとエレンローズの肩に手を乗せた。


 バクリッ。と、“黄昏たそがれの魔”が、真紅の巨人に締め上げられたゴーダを、周囲もろとも牙の並んだその巨大な口で喰らう光景が見えた。


 シェルミアの絶叫が木霊する。


 暗黒騎士の稼いだ時間。シェルミアの叫んだ残響だけを残して、3人が西の果てへと転位す――。


 “改竄剣かいざんけんリザリア”のくらい瞳が、ギョロリと向いた。



 ――逃ガ、サン。



 ……。


 ……。


 ……。


 ――■■■――ゾンッ――■■――■■■■――。


 ……。


 ……。


 ……。

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