30-11 : “誰か”に向けて

「ホロホロホロ……」



 標的を完全に“大回廊の4人の侍女”へ移した尾が、地表を削りながら襲いかかる。


 一撃でももらえばり潰されるであろう鞭撃べんげきを前に、コンコンと侍女たちがヒールの底で足下を確かめると、そこは平たく大きな岩盤がき出しになった足場。



「――屋外での舞踏の経験はございませんが、存外、開放的でよろしゅうございます」



 ――コッ。カッ。


 小気味の良い、四重のステップが響いた。


 “大回廊の4人の侍女”が、“黄昏たそがれの魔”を相手に緩急を付けてまるで妖精のように舞う。


 せせらぐ小川おがわの流れのようによどみなく。頬をでるそよ風のように軽やかに。薄霧に化粧された月明かりのようにはかなげに。そして洗練された宝剣のように鋭利に、美しく。


 “黄昏たそがれの魔”の巨大な尾のたたき付ける騒音が満ちる中、その全てをかわす侍女たちの舞踏にぽかんと見入っているガランの耳には、いつしか管弦楽の幻聴が聞こえていたほど。


 あまりにも、優艶ゆうえん


 ――コッ。


 そして夢のようなひとときが、舞い終わる。



「――お粗末様にございました」



 “大回廊の4人の侍女”が、“黄昏たそがれの魔”に背を向けて、尻をついて観客よろしく見蕩みとれていたガランへ一礼してみせた。


 暴れ回っていた四つ又の尾が破裂したのは、それと同時のことだった。


 不可視の神速に達した侍女たちの蹴りが、とっくに“黄昏たそがれの魔”を蹂躙じゅうりんしていたのである。



「ホロ……ッ」



 強力な武器であった尾を破壊された“黄昏たそがれの魔”が、バランスを崩してよろめく。


 そのとき、ビュワと突風が吹き荒れた。


 逆巻いた風に、フワリ。と、ガランの眼前で“大回廊の4人の侍女”のスカートが一斉にまくれ上がる。


 全ての秘密が、さらけ出され。



「……っはあぁぁ……大っ胆じゃあ……」



 時が止まってしまったかのようにあんぐりと口を開けたガランは、目の前に広がった眺望に陶然とつぶやいた。


 一拍遅れて、侍女たちがさっと舞い上がったスカートを押さえ込む。



「――これは粗相いたしました。お目汚し、お許し下さいませ」



 恥じらいも動揺も見せず、何食わぬ顔でさらりと言ってのけた“大回廊の4人の侍女”を、ガランがプルプルと震える指で差す。


 否、侍女たちをではなく、その背後を。


 その指を追って皆が振り返ると、そこには。


 バサリッ……バサリッ。


 広範囲にわたってズタズタになった尾の再生には、時間を要する。次に“黄昏たそがれの魔”が取った行動は単純だった。


 バサリッ……バサリッ。


 すなわち、3対6枚の広大な翼を広げ、羽ばたかせ、その巨体を空中へ浮遊させたのである。


 これまで翼の形を模倣するばかりでついぞ本来の機能を持たなかったそれが、ここにきて飛翔ひしょうする。



「む、無茶苦茶むちゃくちゃじゃあ……!」



 吹き付ける暴風に飛ばされまいと岩にしがみつき、ガランが圧倒された声を漏らす。


 その横で“大回廊の4人の侍女”は、足下の岩盤にヒールを突き立て、表情も変えず無言でスカートとベールをそれぞれ手で押さえている。


 女鍛冶師のおののく声が続く。



「ひぇぇぇ……こんなモン、どうせいっちゅうんじゃあ……あんなたこぉ飛ばれてしもうたら、ぶん殴れんじゃろがい!」



 褐色の肌に浮かぶ汗は、流れる端から“黄昏たそがれの魔”の羽ばたきに吹き飛ばされて乾いていく。身動きもできないガランの表情は引きり上げていた。


 が、そこに浮かんでいる表情には、不敵に笑う悪童のそれが混ざる。



「“……まぁ、仕事は上手くいったわい”。ワシらはお役御免じゃあ、ガハハハハ!」



 喧嘩けんか人の拳を天に振り上げて、ガランがその先へ声援を送るように笑い飛ばした。


 ――ビュオッ!


 そのとき一際猛烈な嵐が吹きすさび、勝ち誇っていたガランの身体がふわりと浮いた。



「のぎゃああぁぁぁぁ……――」



 吹き飛ばされた女鍛冶師の姿が、あっという間に“イヅの大平原”の彼方かなたへ小さくなっていく。


 それでも負けじと、ガランの大声が嵐の中に木霊した。



「……――かましたれぇい! シェルミアぁ! エレンローズぅ! ひょえぇぇぇぇ……!」」





 ***



 ガランの陽動が“黄昏たそがれの魔”の注意を引きつけているすきに乗じて、シェルミアとエレンローズはローマリアの支援の下、巨大な7つの目の死角、魔の首の裏側へと転位していた。


 作戦の立案も、示し合わせも不要。各々がただ、自らにできることを果たすのみ。


 彼ら彼女らの目的は、その始まりからたった1つ。


 “黄昏たそがれの魔”など、正面から撃破する必要はない。


 “改竄剣かいざんけんリザリア”の完全破壊――成すべきは、ただそれだけ。



「はあぁぁぁぁぁっ!」



 “黄昏たそがれの魔”の後頭部を駆け上がりながら、シェルミアが叫ぶ。


 “原初の闇”。過去の事象をなかったことにできるというその存在に想いを巡らせると、彼女の胸のずっと奥深い所で、チクリと小さな痛みが走る。


 “明けの国”を統べる王家の“一人娘”として生まれたはずの彼女の中で、誰かの面影が揺らいでいるような。


 シェルミアは、己を奮い立たせる雄叫おたけびの裏で、その胸の痛みにそっと想いを寄せる。


 忘れ果てた夢の内容を思い出そうとでもするような、それはそんなむなしくはかない行い。意味のないこと。


 しかし、たとえ無意味であろうとも、シェルミアはその想いを止めない。



 ――私には、あのくらい闇の底へ消えていった片割れが……“誰か”が、確かにいたのでしょう。



 彼女の駆ける“黄昏たそがれの魔”の表皮から、先端に鎌のような爪を付けた人の背丈ほどの細腕が何本と生えてくる。それらをエレンローズとともに斬り伏せながら、シェルミアは走り抜ける。



 ――その“誰か”のこと……私は、きっと、嫌いだったのだと思います……。



 ……。



 ――嫌いで……それと同じくらい、大好きで……大切だったのだと思います。でなければ……こんなに胸が苦しくなるはずが、ありませんから。



 もう何も思い出せない――そもそも最初から存在もしていない“誰か”に向けて、シェルミアは胸の内に語りかけ続ける。



 ――“あなた”の存在した事実が、うつろに消え果てたのだとしても。形にならない想い1つだけ、この胸に刻み込みましょう。それが私の……“あなた”の片割れにしかできない役割なのだと思います。



 剣を改めて握り直す。そこに己の使命を感じて。


 あの黒い剣が、過去を改竄かいざんするというのなら。


 この大戦は、宰相ボルキノフが手引きしたこの争いは、どこまでが人間と魔族の犯してしまった過ちで、どこからが“改竄剣かいざんけんリザリア”の純粋な悪意が介在したことだったのだろう。


 絡み合った人の想いが“改竄剣かいざんけん”を解き放ったのか。それとも始まりにあったのは宵の玉座からこぼれ落ちた“原初の闇”の方で、それが繰り返した改竄かいざんの過程にこれまでのことがあったのか。


 “改竄剣かいざんけんリザリア”が現にこうして存在してしまっている以上、どちらが先に在ったのかなど、もうこの世の誰にも証明できない。そう考える行為そのものが改竄かいざんされたものではないと、誰に断言できるだろうか。


 今この瞬間にも、新たに誰かのことを永久に忘れ果てていないとも言い切れない。


 この時点から過去の全ては、あの黒い剣のたなごころの上にある。確かなことはただそれだけである。


 そんなことを許してはならない。


 シェルミアは想う。


 起きてしまったことをなかったことにすることは、決して現在をよくすることにはつながらない。それは未来を見ておらず、過去に縛り付けられているということ。


 今この場に自分が居合わせていることに、シェルミアは確かな意味を感じる。


 “運命剣リーム”――この宝剣をこの時点、この場所にもたらすことが自分の存在理由だったのだと確信する。ここに集った者たちの、それが巡り合わせ。


 異形の細腕が群れを成して、シェルミアの眼前に迫る。


 が、それを前にして、彼女は恐れも不安も抱かなかった。



 ――『シェルミア様!』



 その背中を押すように、エレンローズの声が聞こえる。


 耳にではなく、胸の内に直接届いてくる声で。



 ――『ここは、私に!』



 エレンローズの、“守護騎士の長剣”の剣閃。弱さと絶望を乗り越えてきたその剣筋に、寸分の迷いもありはしない。



 ――『行って、下さい! “改竄剣かいざんけん”のところへ!!』



 左腕の封魔の義手に、ドンと背中を強く押し出された。守護騎士のありったけの想いを預かり、シェルミアが跳ぶ。


 足下に、“黄昏たそがれの魔”の額に開いた巨眼が――その瞳の奥に、“改竄剣かいざんけんリザリア”の真っ黒な剣身が見えた。



「ああぁぁあああっ!!」



 両手に握った一振りの剣を、空中でシェルミアが振り上げる。


 “改竄剣かいざんけん”によって過去の輪の中に閉ざされた世界を、解き放つために。


 未来をその手で、切り開くために。



「――“運・命・剣”!!」

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