30-10 : 総力戦

 “黄昏たそがれの魔”が振り下ろした巨大な爪が、“イヅの大平原”を引き裂いた。


 が、それがしたのはただそれのみ。



嗚呼ああ……。……んふっ、とっても大きいですけれど……それだけではわたくし、満足できません……」



 そうこぼして、“三つ瞳の魔女ローマリア”が悩ましげな吐息を1つ。


 高等術式“瞬間転位”。最高難度とされるその魔法を、詠唱も予備動作も必要とせず、さらにはここに集った全員をそれぞれ個別に移動・回避させまでして、魔女は涼しげな顔を崩しもしない。


 そこには挑発の色さえうかがえる。



「うふふっ……さぁ、こちらですわよ……手の鳴る方へ……」



 誘惑する踊り子のように身体をくねらせて――パン、と小さく手をたたくと、ローマリアの姿は再び一瞬で消失した。


 ――ボッ。ボッ。ボッ。ボッ。


 “黄昏たそがれの魔”が魔女を探して首を回していると、7つの目の真ん前に、ふわりと鬼火が浮かび上がった。


 赤、青、紫、白……4色に燃え輝く炎たちが、何かの見世物のようにゆらゆらと揺れ、くるくる回る。



「ホロホロホロ……」



 美しく舞う炎に吸い寄せられて、“黄昏たそがれの魔”が両腕を伸ばす。それは光を求めての振る舞いにも見えたが、その実は全てを消失の闇で覆い尽くそうとする“原初の闇”の根源衝動がさせたもの。


 光など、言わずもがな。それにとっては宵闇すらも、明るすぎる。


 まるで花を摘み取るように、握りつぶすように。“黄昏たそがれの魔”が鬼火を覆い隠した。



「――“炎鬼えんき、乱れ咲き”」



 ひゅうぅぅぅ……と炎が凝縮する気の抜ける音がして――続いて、腹底を振るわせる炸裂さくれつ音が立て続けに4発。


 “黄昏たそがれの魔”の握り締めた両拳を押しやって、昼間の曇り空に4色の花火が咲き誇る。



「ガッハッハッハー! 我ながら綺麗きれいぜたわい! 景気がいいのう! ンベェー……っだ!」



 “黄昏たそがれの魔”の足下で腕を組み、“火の粉のガラン”が自ら打ち上げた尺玉を見守る花火職人のようにたたずんでいる。その大声に反応した魔と目が合うと、彼女は指先で下瞼まぶたを引き下げて舌をベロリとのぞかせて、クソ餓鬼そのもののふざけた顔をさらした。



「ホロホロホロ……」



 “忘名の愚者”の再生能力を引き継ぐ上に、元々分厚いそのうろこである。ガランの爆炎にさらされたところで、“黄昏たそがれの魔”にとっては痛くもかゆくもないようだった。ガランの姿を捉えるや、振り上げていた巨腕をそのまま女鍛冶師へ飛ばす。


 巨体に押しのけられて吹き荒れる風の中、ガランが両腕をブンブンと振り回し、全力で蛇行しながらチョロチョロ走り回る。“黄昏たそがれの魔”の爪と拳が誰もいない“イヅの大平原”に再びたたき落ちて地が揺れると、ガランの小柄な身体が冗談のようにピョコンと跳ね上がった。


 魔をおちょくってまるで緊迫感のないガランのそれは、まるで喜劇。



「ガハハハハー! そんな鈍間のろま拳骨げんこつが当たるかいや、でぶっちょ! ガハハのハー!!」



 頭上を振り仰ぎながら笑い飛ばすガランの目の端に――ビュンッ! と何かのよぎる影が映る。


 腕と爪とではちょこまかとしたガランを追い切れないと判断した“黄昏たそがれの魔”が、四つ又の尾を降り注がせたのである。


 むちのように柔軟なしなりを見せる、強靱きょうじんで長大な尾。そんなものがのたうち回るというのは、お伽噺とぎばなしに聞く島をも喰らう蛇が目前で暴れているようなもの。



「どげえぇぇえ?!」



 それまでとは比べものにならない密度で飛来する、鞭打べんだの猛撃。珍妙な叫び声を上げながら鼻の穴を膨らませて駆け抜けるガランはしかし、ふざけてはいない。


 尾のむちが、頬をかすめる。触れたが最後、そこに生えたうろこに肉をまるごとこそぎ落とされるであろうその威力に、ガランの顔面は蒼白そうはくになっていた。



「のぎゃぁぁぁあ! 聞いとらん! 聞いとらんぞこんなのぉ!? ほあぁあああ?!」



 り潰そうとしてくる四つ又の尾の、その隙間をくぐってガランが跳躍する。手足をピンッと伸ばし、飛び込みの要領で間隙を縫って、どうにか難を逃れてみせる。



「あででででぇぇ!」



 が、その先で顔面から地面に勢いよく胴体着陸してしまっては、それ以上の逃走は不可能であった。


 “黄昏たそがれの魔”の尾が、容赦なくそこへ迫る。


 ――ビタッ。


 冷や汗を垂らしたガランの前に現れたのは――飛来した四つ又の尾をそれぞれにヒールの先端で蹴り止めた、“大回廊の4人の侍女”。


 完全に同調した動作で同時に鋭い回し蹴りを放ち、巨大な尾をその美脚でもって吹き飛ばすと、侍女たちは整列して給仕服のスカートからぽんぽんとほこりを払い落とした。



「――お取り込み中、失礼いたします」



「――僭越せんえつながら、“火の粉のガラン”様に変わりまして、私どもとお相手申し上げたく」



「――我ら“大回廊の守護者”、リザリア陛下より勅命を賜っております」



「――どうぞ、お見知り置き下さいませ」



 全く同じ声でそう言いつなぐと、“大回廊の4人の侍女”は腰をぺこりと直角に折ってお辞儀をしてみせた。



「ホロホロ……?」



 礼儀も、人語も、生も命すらも知らぬ“黄昏たそがれの魔”に、それは全く通じない。



「ホロホロホロホロ……」



 扁平へんぺいな獣の口が裂け開き、そこから悪臭を放つよだれが滝のように滴り落ちた。四つ又の尾は健在で、ビュンッビュンッとしなってまるで掘削機か何かのように大地を削り飛ばしている。


 舞い上がった砂埃すなぼこりが、それを払ったばかりの侍女たちの給仕服をまたもすすけ汚した。


 ム……と、“大回廊の4人の侍女”がへの字に口を曲げる。



「――もとを正しますと、アナタ様がお生まれになられましたるは、我らが“淵王えんおう城”」



「――由緒あるの地御出身とあれば、礼儀作法はお持ちいただかなければなりません」



「――リザリア陛下の御品格にも関わりますゆえ、非常に困り申し上げるところにございます」



「――はて、このような際、何と御助言差し上げればよろしかったでしょうか……」



 1人目の侍女が小首をかしげると、それに合わせて2人目、3人目、4人目と順に同じ動作を取っていきながら、しばし考える間が入る。


 そして何か思い出すと、“大回廊の4人の侍女”はそろってベールの下でにこりと微笑ほほえみ、美しく、優雅に、気品高く声を重ねて、こう告げた。


 ……。



「――ぶちのめすぞ、くず野郎。でございます」

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