30-9 : “黄昏の魔”

「ホロホロホロ……」



 “黄昏たそがれの魔”がき、黒い剣を抜く。


 ――ゾンッ。


 その魔の主たる“改竄剣かいざんけんリザリア”が、既に起こった事実をねじ曲げ、書き換える。


 黒い剣は求める。下僕である“黄昏たそがれの魔”に確かな肉と骨を与えうる事象を。その過去に。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――■■――ゾンッ――■■■■――。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――『ギイィィィィヤァァァアアァァァァ……っ……。……。……――』



 “改竄剣かいざんけんリザリア”が、過去の事象の堆積に、その声を捉えた。



 ――『あ゛……ア゛……! だめ゛ダっ……! 消える゛……消えでしま゛う……!』



 狂気と渇望と遺恨の叫び。この世のものでありながら、その理を外れたものの悲鳴。



 ――『ア……あ゛ア……こん゛な、ことなら゛……こンなことな゛ラぁぁぁああ!!』



 怨嗟えんさと後悔に塗れたその慟哭どうこくは、未来にではなく、ただ過去だけを向いている。


 “黄昏たそがれの魔”に供するに、これ以上のものはない――“改竄剣かいざんけんリザリア”のくらい瞳が、その事象へ闇の食指を定めた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ゾンッ。


 ……。


 ……。


 ……。



 ■■――こんなことなら、ゴーダなんぞ、早々に殺しておくべきだった!



 ■■■――こんなことなら、あの奇妙な奴らをもっと慎重に調べて……“イヅの騎兵隊”を、食い散らしてしまうべきではなかった!



 ■――こんなことなら、私の肉をこそ、ユミーリアにささげておくべきだった!



 ■■■■――ああ……ああ! こんなことなら……こんなことなら……! やり直させておくれ……もう一度、もう一度ぉ……!



 ……。


 ……。


 ……。


 ――■■■――■■――ゾンッ――■■■■■――。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――。


 ――。


 ――。



「――ホロホロホロ……」



 不安定な影から成っていた“黄昏たそがれの魔”が、明確な形を帯びていく。


 “改竄剣かいざんけん”が過去の事象を書き換えて、ここに終焉しゅうえん相応ふさわしい下僕をび寄せる。



「これは……!」



 シェルミアが息をんだ先に、倒壊した“イヅの城塞”よりも数倍巨大なその体躯たいくがあった。



「……っ……!」



 主君と並んで駆けるエレンローズの頭上で、グオとくうき回す腕が飛ぶ。



「――“改竄剣かいざんけん”……こんなものに己を取らせる」



「――リザリア陛下の御名みなを冠しておきながら」



「――気品に欠けておいでです」



「――はしたのうございます」



 青白い表皮は乾き、硬く分厚いうろこまとった尾は四つ又に割れている。それによって巻き起こされた風が、“大回廊の4人の侍女”へ吹き付ける。



「な、な……ななな! 何じゃぁあこりゃぁああ!!」



 “花”でも腐肉でも、機能を忘れた臓器でもなく、はっきりと“生物”としての形状と合理性を獲得した異形が、ガランの眼前にそそり立つ。



 それは死したはずの“災禍の娘”と“忘名の愚者”の、「もしも」の形。


 片や無秩序に肥大化することしかできなかった、あわれな存在。


 片や、再生と束縛に特化した、幻想に溺れた存在。


 もしも――漆黒の騎士ベルクトを喰らったユミーリアが、あのとき父親を自称する愚者をまで喰らっていたとしたら。


 もしも――ボルキノフがその血の束縛の力でもって、“愛娘まなむすめ”の混沌こんとんとした肉体を支配下に置いていたとしたら。


 もしも――そんなものが在ったのだとすれば。


 それこそが、“そんなもの”こそが、彼ら彼女らの眼前に、改竄かいざんの末に現れたもの。


 ――“黄昏たそがれの魔”。



「ホロホロホロホロ……」



 ずんぐりとした胴体に、その巨体を支える太い4本の後ろ足。


 鎌首をもたげた上半身からは2本の前腕が長く伸び、その先端には器用に動く4本指に鋭い爪。


 扁平へんぺいに潰れた獣の形の頭部からは長く渦巻く双角を生やし、裂け開いた巨大な口には無数の牙。


 ガランの爆砕した“偽天使の翼”にも似た3対6枚の翼は、魔力を帯びてこそいないが輪をかけて巨大。


 ギロリと開く目は7つ。頭部の左右に3つずつ、残りの一際大きな1つは額の中心に。


 そして額の巨眼、その中央に座す、“改竄剣かいざんけんリザリア”。


 それは“黄昏たそがれの魔”にあてがわれた実体に過ぎず、ゆえに“災禍の娘”も“忘名の愚者”も、正確にはもう存在しない。


 あらがう戦士たちを踏み砕く。そのためだけに。“原初の闇”が現界させた肉の器。その中身ボルキノフなど、無用の長物。



「召喚魔法に……使役魔法ですか? いえ、少し違いますわね……もっと、全ての魔法系統の根源的な……それこそ“改竄かいざん魔法”、とでも呼ぶべきでしょうかしら? ふぅん……これでは何でもありではありませんか……下品ですわね、率直に言って」



 唇に指をわせながら、ローマリアが“黄昏たそがれの魔”に対する所感をこぼす。魔法の探究者として、その存在が気に食わないと言いたげである。



「系統で分類するなら、死霊魔法と融合魔法もだ。ボルキノフと、奴が娘と呼んだもの……それの生も死もなかったことにして、ああしてあれにとって都合のいい結果が出るまで改竄かいざんしたか……! 確かにこれは、この世に解き放たれてはならんものだ」



 既にちるところまでちていた“忘名の愚者”の、更に底の抜けた成れの果ての極みを見て、ゴーダは同情を禁じ得ない。


 こんなものが、曲がりなりにも元人間だなどと、想像するのも空恐ろしい。



「……厄介ですわね。間違いなく」



 いつの間にか真顔になっていたローマリアが、言葉少なに右目を覆う眼帯をでる。



 ――もし……もしも、いざとなれば、“右瞳みぎめ”を使わなくては――



「……使わせんよ」



 まるで魔女の心を読んだかのように、暗黒騎士がはっきりとそう言っていた。


「使うな」ではなく、「使わせない」と。



「……」



 眼帯から指先を放したローマリアが、また唇をでる。



「……何だ? ジロジロと」



 正面を向いたままのゴーダが、隣にローマリアの視線を感じて問う。



「……。……いいえ、何でも。何でもありませんわ。ただ、そう……少しだけ、うれしかっただけです」



 そう言って微笑ほほえむ魔女の顔に、嘲笑はなかった。



「……。……そうか……」



 不器用に口籠もりながら、ゴーダが頬をく。



「(……隣に立つのが、目標だったからな)」



 もごもごとつぶやいたその言葉は、声にはならない。



「? 何です?」



「何でもない、空耳だろう? 後方支援、よろしく頼む」



「……ふふっ。ええ、このローマリアに、お任せあれ」



 穏やかに目を閉じて口許くちもとをほころばせる彼女の横顔は、かつて彼の憧れた人の顔、そのままだった。


 ……。



「ホロホロホロ……」



 “黄昏たそがれの魔”が、大きな大きな前腕を振り上げて、分厚い雲の立ちこめる“イヅの大平原”に、一段と黒い影を落とす。


 ゴォッ……と、山をも斬り裂く勢いで、爪が風をうねらせた。


 その風の音に負けじと、戦士たちの掛け声が上がる。


 ……。



「――推して参る!!」



 ―――――参りますわ」



 ―――――参ろうかいっ!」



 ―――――参らせていただきます」



 ―――――参ります!」



 ―――――…………!!」

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