29-17 : “普通の男”
グッチャグッチャ……ゴクリ。と、ボルキノフの喉が何度目かの音を立てた。
「ふむ……肉も、血も…… 一般的な魔族のそれと同じようだ……意外だね……」
念願であった東の守護者の血肉の味を確かめながら、愚者が独り言つ。
“石の種”と名付けられただけの正体不明の存在を用いて、限りなく不死へと近づいた、ボルキノフとユミーリア。
無数の伝承の断片を
見かけこそ人間、血の色こそ赤いその身は、とうに生物の枠組みを逸脱して永い。
そんな素性を隠し続け、人間の振りを続け、“明けの国”の宰相にまで登り詰め、“宵の国”との戦争へと至る長い長い筋書きを重ねてきたのは、ただこの瞬間の
異形となっても
群れて初めて成立する「人間」という在り方にではなく、個として完成された「魔族」の生き方に、自分たちの存在を重ねて。
人の魂を持ちながら、魔族の身体を持つ“魔剣のゴーダ”という存在に、憧れと嫉妬を抱いて。
もしかすると、救いを求めて。
「意外だよ……全く
食い飽きたとでも言いたげに、それまでゴーダを抑え込んでいたボルキノフが、むくりと身を起こす。
「この肉の味と、紫血の香りだけで、私にははっきりと分かる……わざわざ解剖して確かめるまでもない……」
ぼろ切れのように伸びているゴーダを見下ろすボルキノフの目は、冷めきっていた。
「ゴーダ……君の身体は、極めて標準的な魔族の組成だ……ただの、凡夫でしかない。何も、どこにも、特別な力のようなものを感じない……」
ゴシャリと、ボルキノフがゴーダの頭を踏み付けた。まるで目障りなものが目の前にあるとでも言いたげに、にじり回す。
「どういうことかね? これは?」
もう一度、先ほどよりも力を増して暗黒騎士を踏み潰す。
「……どういうことかね!?」
ボルキノフは
「ただの! 何の変哲もない魔族風情が! なぜ魂だけは人間の形をしているのだ!? なぜ何も身体を
ボルキノフの蹴りが入るたび、ゴーダの鎧が更にひしゃげて、脱力したままの身体が跳ねる。
「答えろ、暗黒騎士! 答えろ、“魔剣のゴーダ”!! 何なのだ! 貴様は一体何なのだ!?」
……。
……。
……。
「……ごほっ……」
ゴボリと紫血を吐き出して、ゴーダが
「うぶっ……ごほっ、ごほっ……」
否。それはただ
「……私が……何者か、と……? 簡単な、話だ……」
紫血の絡んだ喉をゴロゴロと言わせながら、言葉を継ぐ。
「お前の、言う通り……私はただの、凡夫だよ……特別、身体をどうこう、
半開きの
「有り得ん! ただの魔族ごときに、こんな奇跡が起きてたまるものか! ゴーダ! これがただの偶然だとでも言うつもりかね!?」
ゴーダをじろりと
「ああ……その通り……」
間を置くこともせず、何を隠そうとする素振りも見せず、暗黒騎士が即答した。
「私の、この、生まれは……全くの、ただの、偶然の産物……人間をやめた結果でも、生物を超越しようと試みた訳でも、命を
「……っ」
ザリッ。と、ボルキノフの足が踏み付ける音があった。が、それはゴーダを踏みにじった音ではない。
それは愚者が、
「……偶然……? 全て、偶然だと……? 君が魔族の肉体を得たことも……凡夫の分際で魔族最高位に至ったことも……君がこうして“イヅの大平原”に執着することも……! 『偶然』なんて都合のいい言葉で、全て収める気かね!?」
「『偶然』だろうが、『運命』だろうが……呼び方は、問題では、ない……。この身体も、地位も力も、“
……。
「私は……“魔剣のゴーダ”は、ただ――」
言葉を絞り出しながら、彼の目にはかつて見た光景が幾つも通り過ぎていく。
……人間の青年として、“日本”という名だった異界の国でただ漫然と生きていた光景が。
「――ただ、目的もなく、生きてきた――」
……魔女の姿――ローマリアという名の、生まれて初めて彼が心から憧れを抱いた、女性の姿が。
「――ただ、隣に立っていたかった――」
…… 一度は全てに絶望して世俗を捨て、深い霧に隠れるようにしてひっそり生き長らえていた――そこにわざわざ当てもない旅をしてまで、彼との再会を望んだ
「――ただ、心静かでありたかった――」
……そんな彼のことを、寡黙に
「――ただ、変わり映えのしない一日一日を……こんな私を迎え入れてくれた仲間たちと、過ごしていたいだけだった――」
これまでの、無数の、偶然の出会いが、次から次へと思い起こされていく。
どれ1つとして、かけがいのない、偶然たち。
「そんな……! そんな馬鹿なことが、あってたまるかね……っ!?」
ゴーダの、何でもないただ平凡な独白を前に、ボルキノフは思わず
“宵の国”東の守護者が――魔族最強の暗黒騎士が――“石の種”の秘密を独占し、生命の神髄へと至ったものと踏んでいた人物が――こんなちっぽけなことを願うだけの、“普通の男”であったなど、ボルキノフには信じられなかった。信じたくなかった。
「ならば…… 一体、何だというのだ?! “石の種”とは……! 私がやってきたことは……! これでは……こんなことではっ……ユミーリアに、完全な治療をしてやれない……っ! 人間の器を捨てて、紫血へと至る秘法を、得ることも……っ!」
ゴーダの言葉に衝撃を受けたからか、一時の正気を取り戻した狂人は、ただ途方に暮れて頭を抱える。
「私は……私は……っ!」
この場所へ、“イヅの大平原”へと至れば、全てが手に入ると信じて疑ってこなかった。
その
……。
「……何の
「
……。
「……『娘』とは、誰のことだ?」――さっきと同じ自分の声が、そんなことを尋ねた。
「何を言っているのかね? 娘は――私の
……。
そして自分の声が、核心を
……。
――「そんなものが、どこにある?」と。
“忘名の愚者”は、そんな至極当然のことを問うてくる自分の声に、
「……なぜそんなことを尋ねるのかね?」
怒りの矛先を己自身へと向けて、愚者は声を張り上げる。
「下らないことを言わないでくれ
後ろを振り向き、天を仰ぎ見る。その目にしかと焼き付けろと、下らない質問を
……。
……。
……。
「――きゃぁぁあああぁぁあっ!!」
“忘名の愚者”が見やる先――そこには確かに、“災禍の娘”の姿があった。
ヒステリーのような
「……」
腐肉と汚液を垂れ流すその肉の塊を眼前にして、愚者はしばし無言で、何事も口に出さなかった。
……。
そして――
……。
「……“何だ? これは?”」
そして愚者は、たった一言、そう
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