29-16 : 自問と自答

「……」



 目を開けたまま、ゴーダは微睡まどろんでいた。


 愚者の血の束縛によって、意識と肉体とのつながりがブツリと分断されていた。


 内臓がり潰されるかと思うほどの、ボルキノフの殴打によるダメージはいまだ回復せず、耳の奥をたたく鼓動は不安定。


 反撃は愚か、抵抗することもかなわず、無防備をさらし続けている。


 先ほどからかすかに聞こえてくる「グッチャグッチャ」という音は、自分の身体が喰われている音。



「……」



 ゴーダはぼんやりとなりながら、その窮地をまるで他人の身に降りかかった災難のように感じていた。


 怒りも、恐怖も、屈辱もなかった。


 ドロリとした冷たい眠気に包まれながら、ゴーダが抱いた感情は……“安堵あんど”。


 段々と暗いかすみがかかっていく意識の底で、彼は小骨のようにつかえていたものがようやく取れたと感じていた。


 それはこの戦争に終止符を打たんと、シェルミアたちとゴーダ一同が西方へ会したときから、ずっと抱えていたもの。


 東方に――部下たちに降りかかった惨状を耳にしたときから、ずっと心に突き刺さっていた、自責の念。


 “イヅの騎兵隊”が味わったのであろう苦痛をその身で知って、暗黒騎士はようやく彼らと対等になれた気がして、安堵あんどしていた。



 ――つまらん感傷だということは……分かっている。



 薄まった脳裏に、自分の声が流れていく。



 ――400年……400年だ。魔族にも、人間にも、結局のところなりきれず、何かに手が届きかけるたびに、孤独を思い知らされてきたのだ……感傷的にもなる……。



 力を持っていながら、それが最も必要となるときにいつも居合わせることができず、何度も何度も、手のひらから大切なものをこぼれ落としてきた。そんな孤独な星の下に生まれたことを、誰にも言えず呪ってきた。


 250年前、その孤独に自棄やけを起こして片道限りの一人旅へ出た末に、ゴーダは彼らと――“イヅの騎兵隊”と出会ったのだ。


 ゴーダと似た孤独を知る彼らに。何も言わずゴーダを受け入れた彼らに。


 そんな“イヅの騎兵隊”をまで、魔女ローマリアに続いて守れなかった後悔――ボルキノフに喰われる苦痛でもって、その後悔を慰めている自分がいる。



 ――どんなに、地位と力と鎧で身を固めても、性根の弱さだけは……やはり、どうにもならんな……。



 自分の身体から流れ出た血溜まりが、ぬるま湯のように頬をらす。



 ――「“宵の国”最強」とうたわれておきながら……この肩書きに、時々余計に自分の弱さを思い知らされる……。



 ……。



 ――私は、弱い……。



 ……。



 ――誰も、何も……守ってやれなかった。



 ……。



 ――ベルクト……騎兵隊……。……ローマリア……。



 自責と後悔と感傷と衰弱で、全身が凍えたように冷たくなっていく。


 このまま眠りこけて、二度と目覚めさえしなければ、もう孤独を孤独と思わずに済む――止まりかけの心音が、そんな言葉をささやいてくるようだった。


 悪くない話のように思えた。朦朧もうろうとなりながら、つい、その誘惑に身を任せてしまいたくなる。



 ――……私、は……。



 ……。


 ……。


 ……



「――つないでみせらぁい!」



 閉じかけていた意識を蹴破るようにして、天から怒声が飛んできた。



「!」



 ガランの咆哮ほうこう。ゴーダはそれにたたき起こされる。



「――ゴーダもっ! ローマリアもっ! ベル公たちもっ! みんな! みんなっ!! もう嫌っちゅうほど頑張って! 苦しい思いして! 耐えてきたんじゃい! もういいじゃろ……もういいじゃろぉがぁっ!! 神様のクソたわけがぁい!! ちったぁ彼奴あやつらのこと……幸せにしてやっても罰は当たらんじゃろぉおおっ!!」



 信じてもいない神に祈っているのか、それとも喧嘩けんかを売っているのか。大声で叫ぶばかりのガランの言葉に、意味はほとんどなかった。


 しかしその分、焦げ付くほどの熱い感情が籠もっている。



 ――ガラン……この世にも、あの世にも……神なんて、居はしないぞ……。



 目を覚ましたゴーダがまず最初に心の内につぶやいたのは、そんな冷笑だった。



 ――神なんて、いない……どんなに祈ったところで、どんなに懺悔ざんげしたところで……最後にケリを付ける役目は、いつだって自分自身に回ってくるものだ……他人がそれを背負い込んでくれるほど、この世界は都合良くできてはいない……。



 それは、半ば無意識に湧き出てきた言葉。積み重ねてきた歳月がつぶやいた言葉。



「……」



 そしてゴーダは、自分のその言葉に、はっとさせられる。



 ――そうだな……そうだったな……。



 彼は自問する……「お前は、感傷にふけためにやってきたのか?」


 彼は即座に自答する……「いいや、違う」


「死ぬためにやってきたのか?」……「違う」


「絶望するためか?」……「それも、違う」


「復讐するためか?」……「断じて、違う」



 ――どれも、違う。私はそんなもののために、ここにいる訳ではない。



 ……。


「ならば、何のためにここにいる?」と、一際はっきりと、自分の尋ねる声が聞こえた。


 ……。



 ――私は……。



 ……。


 そしてゴーダは、その声よりもなおのこと明瞭に、心の底から、次の言葉を浮かび上がらせた。



 ――私は……“取り戻す”ために、ここにいるのだ。



 ……。



 ――守ってやれなかったものを……たとえ、もう元の形には戻らないのだとしても……。



 ……。



 ――全部、この手で……取り戻す。



 ……。


 ……シェルミアと、エレンローズ。どんなに絶望を突き付けられても、どんなに打ちのめされても、何度でも立ち上がってみせた、二人の盟友の後ろ姿を思い出す。


 ……ガラン。今この瞬間にも、途方もない存在を相手にたった一人で立ち向かってみせている、仲間の声が聞こえる。



 ――私だけ、いつまでも……へこたれてなんぞ、いられるか……!



 ガチリ。と、ボルキノフによって遮断されていた意識と肉体とのつながりが、強靱きょうじんな意志の力で復元される。


 肉体の苦痛が、意識の中に大波のように流れ込んできて、ゴーダは押し流されそうになる。



 ――それが、どうした……!



 踏みとどまってみせたゴーダが、強く強く念じる。おもいを巡らせる。


 それは決して折れることのない、一振りの刀身のごとく。



 ――めるなよ……私を……“魔剣のゴーダ”を……!



 ……ピクリッ。


 愚者の血に染まった暗黒騎士の手のひらが、固く固く握り締められた。

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