29-13 : 花道

「ヒュウー……ヒュウー……」



 細くかすれた息を漏らしているのは、“イヅの城塞”よりはるか高い位置にいるガランだった。


 “ユミーリアの花”が広げた、“偽天使の翼”――平原全域に、“魔剣”を封じる結界を張った、3対6枚の異形の翼。それを順調に破壊することができたのは、最初の2枚までにとどまっている。


 それも、右腕1本を代償にして勝ち取ったもの……残りがまだ4枚もあると思うと、それだけで正に骨が折れる思いだった。



「ガハハハッ……脚の骨を数に入れてやっても、ワシにゃあと3本しかないっちゅうのに……足りんではないかい、これではのう……ガハハ、ガハ……」



 脈打つ肉の幹が隆起してちょうど物陰になっている位置に座り込み、ガランが強がるようにつぶやく。


 3枚目の“偽天使の翼”は、ずっと見上げた先で光の尾を引いている。


 右腕の骨折という大きすぎる犠牲を払って、2枚目の翼を千切り落とした後、どうにかその場にしがみついていたガランだったが、長くは保たなかった。


 3枚目の翼に左腕だけでぶら下がっていたところに、異形の腕が幾本も襲いかかり、タコ殴りにされた末に振り落とされてしまっていた。


 墜落の途中で運良く肉の幹に引っかかりはしたものの、状況は最悪と言っていい。



「安請け合い……し過ぎたかのう……そういやワシ、蒼石鋼あおいしはがねの亡霊にボッコボコにされて、そんな時間経っとらんかったんじゃった……ガハハ……我ながら、ほんに向こう見ずのお調子モンじゃのう……」



 チラと眼下を見下ろすと、城塞の瓦礫がれきから砂煙が上がっているのが見える。その切れ目から、ボルキノフの拳を何発ももらっているゴーダの姿がぼんやりと見えた。



「……たわけぇ……お互い、あんだけ息巻いてみせといてからに……どっちも殴り負けとったら、格好わるぅて適わんじゃろがい……」



 ピクリとも動かせない右腕を引きって、震える左腕を突いてガランが立ち上がる。



「どっ……こいしょい……っとぉ……」



 体力が底を尽きかけている身体から、心底疲れた声がこぼれる。



「……ゴーダや……こっちから売りつけた喧嘩けんかで、負ける奴がおるかい……」



 眼下を見下ろし、強がるように口許くちもとだけを笑わせる。



「締まらん、奴じゃよなぁ、お主……昔っから、どっか……抜けとんじゃよなぁ……」



 ぼんやりと、光の尾に包まれた天を見上げる。



「ガハハ……ガハハハハ!」



 まるで気を紛らわせるように、豪快に笑ってみせた。


 ……。


 ……。


 ……。


 そして鬼の笑い声が、涙で詰まる。



「……堪忍じゃ……」



 ……。



「ほんに……っ、堪忍じゃ……!」



 ……。



「“魔剣”が使えん、お主の背中……ワシが、この“火の粉のガラン”が、預かっておきながら……っ!」



 チリチリと消えかけているつのの火柱の下で、ガランが悔しさに顔をゆがめる。



「ベル公も、騎兵隊も守れんで……! 一度ならず、二度までも……不格好をさらしてしもうとる……っ」



 握り締めた左の拳から、パチリと火花が散った。



「……考えてもみれば、じゃ……ワシの人生、大なり小なり、こんなことの積み重ねじゃわい……」



 いつかの光景を思い出すように、まぶたを閉じる。



「積み上げたものを、何度もハチャメチャに崩しおる……喧嘩けんか人の性根が、何百年っても抜けやせん……。いっつも……いっっっつもそうなんじゃ……天涯孤独の、暴れ鬼じゃい……」



 ……。



「じゃから……結局は今回もこんなふうに、やらかしてしまうんじゃぁ……」



 ……。



「大たわけじゃい……ここの暮らしは、ワシにゃあ珍しく……長続きしとったのにのう……」



 とうの大昔に生まれた里とは縁を切り、流れに身を任せて方々を流離さすらっていた自分の半生を、ガランは振り返る。


 どこに流れ着こうが、手を出すのは酒と喧嘩けんかばかり。唯一まともに身につけることができたのは、鍛冶師としての腕だけだった。


 技術は確かでも、生来の気性の荒さのために周りと折り合いをつけることができず、追い出されるか出て行くかの繰り返しだった。


 そんな腐っていた時代……たまたま一時の根城ねじろと決め込んで住み着いていた西方の要衝で、彼女はかつての彼と出会った頃を思い返す。



「……ガハハッ! 今、思い出すことでもなかろうにのう……えらく懐かしい顔が、浮かんできよる……」



 鉛のように重い足が、気付けば一歩前に出ていた。



「ゴーダやい……ヒョロッヒョロだったのが……ほんに、立派になったもんじゃよのう……」



 まぶたの裏に、彼の姿がはっきりと浮かぶ。


 彼の無茶むちゃな注文と、彼女の罵声。彼女が「さすがに言い過ぎたかのう」と思っていると、翌日には彼はケロリとしてまたやってくる――西方で送ったそんな日々の光景が、浮かびは流れ、流れては浮かんでいく。


 そこに、かつてのローマリアの姿が加わる。「別に、あんな覚えの悪い男のことなんて、探してはいませんわ」と取って付けたような言い訳を並べては、ソワソワと何度も作業場を訪ねてきた魔女とのやりとりも、また懐かしい。



「カァーッ……何じゃい何じゃい……今日は、やたらと昔のことを思い出すわいや……」



 すぐに拳を出してしまいながら、彼とワイワイやっていた日々。


 彼と魔女とが並んで歩く背中を、ガハハと笑い飛ばして見送っていた日々。


 それと、自分自身でも中身を確かめる前に、「もうえかろ」と燃やして捨てた、何かの感情の残滓ざんし



「ガハハハ……ガハハハハッ……! 湿っぽいのは、嫌いじゃあ」



 チクリとした胸の痛みを、ガランは空元気で笑い飛ばした。



「……これが、ワシの人生じゃい」



 ふと、うつむいたガランが穏やかな表情で言った。



「人付き合いが上手くいかんで、一人で鉄を打っちゃあ酒を浴びる。それだけじゃい。『そういうもんじゃ』と諦めてきたのが、ワシの人生。後悔なんぞ、これっぽっちもありゃあせん。誰にも文句は言わせんぞい」



 足下に過去と思い出をそっと置いて、前を見る。天を仰ぐ。



「じゃからのう……ゴーダ……ワシゃ、もう一度……諦めるわい……」



 笑い残しがないようにと、悪餓鬼のような満面の笑みを浮かべた。



「やい、こんの鈍感小僧……そこでよぉ見とれ……諦めるのを諦めた、クソたわけのワシの花道をのう……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「ガーハッハッハッハッハッハァァァアアアッ!!」



 天高くそびえた、異形の花の一角。そこではじけた大きな笑い声と、美しく燃え上がる青い炎が、地上を照らした。

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