29-14 : 神参り

「ガハハハハーッ!」



 まるで流れ星のような輝きとはやさで、ガランが一息に肉の幹を駆け上り、今一度“偽天使の翼”へ手を伸ばす。


 “ユミーリアの花”が迎撃体勢を取るよりずっと早く、3枚目の翼に全身を絡みつけたガランが、太陽のように真っ白な閃光せんこうを放った。そのすさまじい熱量に、殴りかかった異形の腕たちが消し炭になっていく。



「ガッ……ハッ……!」



 酒と血と、命そのものまでも燃やして、魔族の女の身にして太陽を気取ってみせる。一瞬の、至高の輝きを放った後に、ガランは全身から黒煙と、溶岩のようなドロドロの血を吐き出した。



「ッ……ガハハハハハァァアアーッ!!」



 その苦しみも、笑い飛ばして。


 ユミーリアの3枚目の翼を焼き尽くし、すぐさま4枚目の羽根に飛びかかる。


 ――バツンッ。


 ガランが振りかぶった左腕は……突き出されるよりも先に、肉の幹を突き破って生え出た異形のくちばしに喰らい付かれた。


 ――グシュ……メシリッ……ボキリ……。


 大きなくちばしの内側で、ガランは自分の左腕がねじ折れる音を聞いた。



「――ガーハッハッハハハハハハァァア!!」



 カッ! と、再び一瞬の太陽が現れる。熱線が異形のくちばしを灰へとかえし、加減を知らぬ命の神火で自らの身までき、血反吐ちへどき散らしながら、ガランは跳んだ。



「ガハハハッハハァー! 両腕が潰れたぐらいどうしたぁぁあ!! ワシは“火の粉のガラン”! たとえ首だけになっても止まりゃあせんぞぉ!! ガーハハハハハァァア!!」



「きゃあぁぁぁあああっ!!」



 韋駄天いだてんのように走り抜けるガランの頭上に、“ユミーリアの花”の拳がたたき落ちる。長く鋭い異形の爪が斬り裂きかかり、いびつくちばしが食いかかる。無数の巨大な目玉がギョロリと女鍛冶師の姿を追い続け、高圧の脈動で噴き出した汚汁が降りかかる。



「ガハハハハ! ガハハハハハハ!!」



 迎撃。追撃。猛撃。襲撃。間断なく、終わりなく飛来するそれらを、ガランは防御するどころか、かわしもしなかった。


 最速で、最短の経路を駆ける。それ以外の理由も目的もありはしない。その勘定に、自分の身体は含まれていなかった。


 青炎の流れ星が、幾百の猛攻をこじ開けて飛ぶ。



「ガハハハハハハァァァア!!」



 どんなにボロボロに傷ついても、ガランの笑い声と炎は消えなかった。


 ズタボロの鬼が、4枚目の“偽天使の翼”へと至り、その根元に文字通り喰らいつく。



「うがぁぁあああ! ぐぎぃぃぃ……!」



 もう殴ることもかなわない身体を振り回し、鬼気迫る迫力で異形の肉をみ千切る。



「ぐがぁぁあ! 負けるもんかや! 諦めてやるものかや!! つないでみせらぁい! ゴーダもっ! ローマリアもっ! ベル公たちもっ! みんな! みんなっ!! もう嫌っちゅうほど頑張って! 苦しい思いして! 耐えてきたんじゃい! もういいじゃろ……もういいじゃろぉがぁっ!! 神様のクソたわけがぁい!! ちったぁ彼奴あやつらのこと……幸せにしてやっても罰は当たらんじゃろぉおおっ!!」



 天に届かんばかりの異形の花によじ登り、そうしてガランがたった一人、雲の上へ向かってえた。


 ――ワシの一番大事な悪友どもを、不幸なままにしておくんなら、たとえ神だろうが承知はせんぞ! と。


 そしてついに、ガランの歯が4枚目の“偽天使の翼”を千切り尽くす。



「きゃぁぁっぁああああっぁぁあっ!!」



 濃緑色の体液が空中に吹き上がり、けがれた虹を描き出す。


 翼から伸びる光の尾は、ノイズを発するようにジリジリと寸断するまでになり、ゴーダの“魔剣”を封じる魔力障壁が破れかけているのが分かった。



「ガハハハハハ! ガハハハハハハァァアッ!」



 壮絶。ガランが、天にまで悪童の笑い声を届けてみせる。



「見ぃたかぁ! くぅそったれぇい!! こんなワシの願いごとでも! ここまで高く登りゃあ嫌でも耳に届くじゃろぉお!! かーみさーまやぁぁぁああいっ!! ガーッハッハッハッハー!」



 ……。



「ガハハハハハハーっ!!」



 ……。



「ガッハハハハハハ!!」



 ――ドスッ。



「ガハハハハ! ……ガハハハ……ガ……」



 ガランの笑い声が、止まった。



「……。……。……」



 グチャグチャの両腕を垂らし、ポカンと口を半開きにして、ガランが視線を落としていく。



「……あぁ……そじゃった……」



 ……。



「ワシ……神様の、野郎に……」



 ……。



「ワシの、名前……言うとらんかった、わい……」



 ……。



「……おっちょこちょい、じゃったなぁ……」



 ……。



「……ガハ……ガハハ……」



 ユミーリアの爪が背後から自分の腹を貫いているのを呆然ぼうぜんと眺めながら、ガランが無情を笑うように肩を震わせた。


 異形の腕がのそりと持ち上がると、その指先に串刺しになった彼女の小さな身体が、ぶらりと宙に揺れる。


 まるで、ようやくたたき殺した虫をほうり捨てるように。“ユミーリアの花”が腕を軽く振るい、ガランを投げ飛ばした。


 腹の傷から噴き出した紫血が、ユミーリアの体液と同じように宙に弧を描く。



 ――ああ……やっぱり、そうじゃよなぁ……。



 頭から真っ逆さまに、彼女は墜落していく。



 ――神様、なんぞ……おりゃあ、せんか……。



 閉じかかったまぶたの向こうに、猛烈な速度で過ぎ去っていく肉の幹が映る。



 ――元より、そんなもん……信じちゃおらんかったしのう……。



 “偽天使の翼”は、残りわずかに2枚であった。喰らい付こうと思えば届いたはずのそれは、今ははるか頭上に遠い。


 観念するように、彼女は鼻で笑い飛ばした。



 ――ワシの、ちっぽけな願いなんてのう……誰も、聞きゃあ、せんわいなぁ……。



 ……。


 ……。


 ……。



「……神様も……誰も……聞いちゃあ、くれん、かぁ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……くそったれぇ……」



 ……。



「くそったれぇ……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「く そ っ た れ ぇ ぇ ぇ ぇ っ !!」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 そして……。


 ガランの身体が地面にたたき付けられ、はじける音は――聞こえなかった。


 代わりに聞こえたのは、ズガンッと大地を“殴りつけた音”。


 それは天に登って神頼みまでした挙げ句、誰の耳にも届かなかった願い事に、腹を立てた音。


 青でも、紫でも、白でもない、生来の彼女が宿す、紅蓮ぐれんの炎が燃える音。


 ……怒っていた。


 完全に、怒りに怒っていた。


 世の無情に。願いのはかなさに。叫びの届かぬ悔しさに。ただただ、怒りを覚えていた。



「あーぁ、あー……」



 もう打てないはずの拳の殴打でもって墜落の衝撃を相殺したガランが、大地に立ち上がる。風穴のいた腹から血を垂れ流そうが、お構いなしに。



「……柄にもなく、神頼みまでした結果が、これかいや……」



 紅蓮ぐれんの火柱が逆巻いて、彼女の姿をその内に隠す。



「もう……神様なんぞに、祈ってなんぞ、やらん……!」



 ほむらの影にゆらと揺れる小さな影は、全てを穿うがつ、鬼の顔。



「……――天に神なし。地は人でなし……」



 ――改心する気を起こした餓鬼の、話を聞く者誰もなし。


 ――拝み倒して頭下げたはいいものの、あわれこの世は無情なり。


 ――世に蔓延はびこるは、悪ばかり。


 ――聖人君子はおらずとも、悪鬼羅刹あっきらせつ、ここにあり。


 ――ならば言って聞かそうか。鬼に説いてもみせようか。


 ――額に生やした二本角…… 一念通して見せようやぁ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ええか……神さんよぉ……」



 ……。



「ワシの願い……誰も聞いてはおらんでもなぁ……」



 ………。



「このワシだけは、聞いとるぞっ!」



 紅蓮ぐれんの火柱が、いだ“イヅの大平原”に、彼女の怒りを具現する。



「――“炎鬼えんき阿修羅宿あしゅらやどし”!!」

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