29-12 : 訂正し給え

 “蒼鬼あおおに・真打ち”が回転しながら宙を舞い、崩壊した“イヅの城塞”の壁面にザクリと深く突き立った。


 一拍あって、同じ壁面にドゴリと何かのたたき付けられる音。その衝撃でほこりちりが舞い落ちる。



「……ごほ……っ」



 ボルキノフの怪力に吹き飛ばされたゴーダが、たまらず苦悶くもんの声を漏らした。



「惜しかったね……“魔剣のゴーダ”……」



 瓦礫がれきを踏み分けて、“忘名の愚者ボルキノフ”がつぶやく。



「と、言うよりも……本来であれば、さっきのあれで勝負が付いていた……完全に、君の勝利だったよ……むしろ、私自身、驚いている」



 ボルキノフが自分の首に触れる。一度はゴーダの手で完全に斬首されたはずのそれは、今では何事もなかったかのように再生していた。


 首の下半分と文官の衣には、頭を斬り落とされた際に噴き出した血糊ちのりがべっとりとこびり付いている。逆に、首の上半分は、生えたばかりの新芽のように肌も瞳も瑞々みずみずしい。


 再生されて間もない灰色の髪は、整髪油で後ろへでつけるという訳にもいかず、無造作に垂らされるばかり。そのせいでボルキノフので立ちは、随分と印象が変わって見えた。



「ゴーダ……確かに君は、私の想定を越えてきた……が、常識を破った君のそれに対して、私のこの身体は更に一枚上を行ったという訳だ……」



 新品の首をゴキリと鳴らして、ボルキノフが感慨深げに漏らす。



「これが、“石の種”の可能性……生命の神秘は、我々の想像もはるかに及ばないところにある。ははは……300年生きてきたが、この世はまだまだ、分からないことだらけだ」



 壁に背中を打ち付けたままのゴーダの兜へ、ボルキノフが額をこすりつけた。鎧一枚を隔てて、2人の男の目が間近に迫る。



「どうかね? 君も――そう思うだろう?」



 目の前で笑ってみせる愚者の口から、血煙が立ち上る。



「……。私が、言えた……口では、ない、が……」



 沈黙を破って、ゴーダが口を開いた。その声は何かにあらがうように震えている。



「知っている、か……? ボルキノフ……お前の、それは……神秘と、言うより、冒涜ぼうとく……お前と、あの“娘”……『化け物』、と呼ぶのも、生ぬるい……」



「……ふむ」



 至近距離で向かい合ったまま、ボルキノフが鼻を一つ鳴らして――。


 ――ズドリッ!



「……何か……言ったかね? ゴーダ?」



「……っ……」



 ボルキノフの問いかけに、ゴーダは答えを返さない。


 代わりに聞こえるのは、ボルキノフの拳に腹を打ち抜かれたゴーダが、口許くちもとから紫血を滴らせるボタボタという音だけ。


 ゴーダは一切の防御姿勢を取らず、両手両足を伸ばしたままその一撃を食らっていた。


 暗黒騎士の甲冑かっちゅうは、先の捨て身の交差の中で浴びたボルキノフの返り血で、赤黒く塗り潰されている。


 奴の血に触れてはまずいという直感をえて振り切り、その危険を冒さなければ届き得ない一撃必殺の賭けにゴーダが打って出た結果は――ボルキノフの想像を絶する再生力によって覆された。


 ただ「赤い」という以外に人間であった名残のない愚者の血は、かつて漆黒の騎士ベルクトに対してやってみせたのと同じく、ゴーダの肉体を支配下に置いている。



「私を侮辱するのは、まぁ許そう。百歩譲って。だが、だがね……娘を、ユミーリアを『化け物にも劣る』とおとしめるのは、看過できかねるよ、ゴーダ……」



 ――ズドンッ!



「う゛ぶ……っ!」



 腹の次は胸部にボルキノフの拳がたたき込まれ、ゴーダの身体が壁にめり込んだ。心臓から直接逆流でもするように、兜の間から止血が飛び散る。



「訂正したまえ……」



 ――ドゴンッ!



「訂正したまえ……!」



 ――ボゴンッ!



「私の、娘に……謝罪するのだよ! ゴーダぁぁあ!!」



 ボルキノフの怪力の余り、舞い上がった砂埃で視界が曇る。ビチャビチャと紫血が水音を立てるのも無視して、愚者は拳を何度も打ち込む。ブツブツと独り言のようにつぶやきながら目の焦点を一点に静止させて、まばたきもせずにゴーダを殴り続けるその姿は狂気そのもの。


 やがて変わり果てた“イヅの大平原”に風が吹き抜け、砂煙が払われると、そこに暗黒騎士の姿は認められなかった。殴打される過程で崩落した城塞の残骸、その瓦礫がれきの下から、血れた彼の腕がダラリとのぞいているだけである。



「……立ちたまえ」



 息一つ乱さず、涼しい声でボルキノフが命じる。すると瓦礫がれきき分けて、愚者に支配されたゴーダの身体が、彼の意思とは無関係に立ち上がった。


 甲冑かっちゅうの至る所に、ボルキノフの拳がめり込んだ跡が付いている。まともに立っていることなどできない状態であることは、誰の目に見ても明らか。


 ボルキノフの血の束縛によって、無理やりに立たされているゴーダの両腕は、ブラブラと揺れ、首は据わっていない。


 兜の奥から、ゼェゼェ、ゴボゴボとかすれた息が聞こえる。



「ユミーリアへの暴言……改める気になったかね? ゴーダ」



 愚者からの再三の要求に対して、虫の息の暗黒騎士は――。



「はぁ゛……はぁ゛……く……くくく……」



 なおも紫血を吐き出しながら、ゴーダは兜の奥で挑発するように笑った。



「……ああ゛、謝罪、か? くく……してや、ろう……ボル、キノフ……お前、が、私の……部下た、ちに……土下座で、び、て……みせれ、ばな……」



 ゴーダの途切れ途切れの言葉を聞いて、ボルキノフが出来できの悪い生徒を見やるように肩を落として首を振った。やれやれ困ったとめ息を漏らす。



「ゴーダ……君のことは人生の先達せんだつとして、それなりに敬意を抱いていたのだが……なるほど。出世のし過ぎで、謝罪の仕方を忘れてしまっているようだ……」



 ボルキノフが、これまでの戦闘で血みどろになっている両手をぬっと前に出す。



「そういうことなら……私が一から教えてあげようじゃあないか」



 両手で兜を左右から鷲掴わしづかみにすると、ボルキノフはゴーダの脱力した首をグイと自分の方へと向かせる。



「まずは、謝罪相手の目をよく見るのだよ。ほら……私の顔をよく見たまえ」



 ……ゴシャッ。と唐突に鳴ったのは、ボルキノフの頭突きがゴーダの兜に正面からヒビを入れた音。



「……がっ……!」



 ゴーダがその衝撃にガクリとけ反るが、ボルキノフに「立っていろ」と言われるがままに直立している彼の身体は、その場にくぎ付けにされたまま微動だにしない。



「分からないかね? 目をらすんじゃない、ゴーダ」



 乱暴に正面を向き直らせると、今度は兜が左右から万力のように締め上げられる。ミシミシときしむ音を立てて兜がひしゃげ始め、限界に達した部位から徐々に金属片がはじけ飛んでいく。


 やがて兜が完全に砕け落ちると、血塗ちまみれのゴーダの顔があらわになった。



「う……ぁ゛……」



「そう……誠意を表す際には、脱帽が基本。顔を隠すなど言語道断だ……」



 ボルキノフがゴーダの顔を両手で挟んだまま、暗黒騎士の身体を怪力で宙吊りにする。



「敬意と謝罪は、もちろん気持ちの持ちようが最も大切だ……しかしね、頭が高いのはいただけない……まずは形から入らなければ」



 言い終わらない内に、グシャッと鈍い音。ボルキノフが力任せに、ゴーダの頭部を瓦礫がれきの堆積する地面へたたき付けた。



「ぐっ……!」



「平身低頭……頭の位置は低ければ低いほど好ましい。君は、娘の名誉を傷つけたのだよ、ゴーダ……! 何だねそれは、まだまだ頭が高いぞ! ゴォォーダァァアア!!」



 瓦礫がれきに顔面を押しつけているゴーダの後頭部を更に押し込んで、ボルキノフが暗黒騎士をズンズンと地中にめり込ませていく。


 愚者の頭からは、前後の脈絡も当初の目的も消し飛んでいた。今はただ、「この男に、愛娘まなむすめへしでかした『化け物』発言を謝罪させる」という一点のみが、全てに取って代わっている。


 ボルキノフが怪力を押し込むごとに、周囲が隆起し、ゴーダの身体は逆に深く沈み込んでいく。圧殺と生き埋めを同時に味わわされながら、愚者に支配された彼の肉体は指先を震わせること以外何もできなかった。


 やがて、体力の消耗ではなく、怒りの感情でボルキノフが鼻息を荒らげる音が聞こえだす。



「ふーっ……ふーっ……! どうかね、ゴーダ……! 謝罪の礼儀、これで思い出したかね……!?」



 手で押さえつけたまま、ボルキノフが瓦礫がれきの底にめり込んだゴーダの頭部に語りかけた。



「……」



 しばしの間、地中からは何の反応も返ってこなかった。


 そして――。



「ア゛あ……思い、出した……はァ゛……言って、おかなければ……ならない、ことが、あった……」



 ボルキノフが凝視する先で、ゴーダの横顔が――ニヤリと、相手の感情を逆撫さかなでするようにり上がった。



「……くそ食らえ、イカれた化け物どもが」



 ――ブチブチブチッ。


 次に聞こえたのは……ゴーダの肩の肉が喰いちぎられた音。



「……ぐあ゛ぁぁぁあああ゛っ!!」



 “イヅの大平原”に、暗黒騎士の絶叫が響いた。


 グッチャ……グッチャ……ゴクリ。



「よろしい……ちょうど小腹がいていたところでね。その身体、半分も残っていれば、心からびることも、実験台になることも、支障はあるまい」



 血とよだれを拭ったボルキノフが、闇をたたえた口を大きく開いた。

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