29-11 : 常識破り

 ボルキノフが、“イヅの城塞”へと辿たどり着いた。


 流血を浴びせようとした瞬間、暴走もいとわず“魔剣”を行使して一時の離脱を果たしたゴーダを追い、ゆっくりとした歩調で瓦礫がれきの山へ踏み入っていく。



「君が逃げ出すのは構わんさ……既にこの地を手に入れている以上、私は何も焦ることはない。これまでそうだったように、君がここを取り返そうと私の前に現れるのを待つだけだ……」



 落ち着いた口調で愚者が言って聞かせる。少なくとも視界の中には、暗黒騎士の姿は見えなかった。


 ベチャリとボルキノフの足下をらしたのは、“処分室”から流れ出てくる紫血しけつの川だった。



「ああ……開けたのかね、其処そこを」



 紫血しけつの流れを追いかけて、“処分室”の開いたままの扉を見やる。



「勝手に開けるのは構わないが……用が済んだら閉めておいてくれたまえ。暖かい空気が入ると、傷むのが早まってしまうじゃないか」



 ベチャリベチャリと紫血しけつ溜まりを踏み鳴らし、ドアノブに手を掛ける。



「まだ試料としては価値があるのだから……それに、食糧としても」



 ギィィ……バタリ。ゴーダの開けた暗い扉が、ボルキノフによって再び閉ざされる。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ああ、それは気が利かなかったな」



 そう頭上から声がした瞬間――崩落して丸見えになっている2階部分から、瓦礫がれきの山が雪崩なだれ落ちた。


 轟音ごうおんと砂埃。そしてプチリと潰れる小さな音と、赤い血飛沫ちしぶき



「……」



 岩雪崩いわなだれの下から、刀を握ったボルキノフの片腕と、頭部の一部だけがのぞいている。


 その他の隠れて見えない部分は、グチャグチャに押し潰れているはずである。


 ――ピクリッ。


 が、愚者の指先が動き、それの生存が示される。



「……うぅむ……」



 瓦礫がれきの山がひっくり返り、ほこりと血に塗れたボルキノフが起き上がった。



「全く……ひどいことをするなぁ、君は……。押し潰された経験は、これが初めてだよ……」



「意外だな。実験が好きなのだろう? これぐらいのことはとっくに試していると思っていた」



「文官上がりだと、肉体労働の激しい実験は柄ではなくてね」



 じっと、ボルキノフが頭上から見下ろしてくるゴーダを見上げ返す。



「騎士らしくないじゃないか、“魔剣のゴーダ”」



 ゴーダの方も、無感情にボルキノフを見下ろす。



「お前には、常識が役に立たんと理解したのでな」



「はは、それでこれをやるか……切り替えが早い。柔軟な思考をしているね」



「私は私なりに、紆余曲折うよきょくせつを生きてきたからな。自分の頭で考えて行動することにしている」



「ふむ……素晴らしい。良い心掛けだ。共感を覚えるよ」



「……」



「……」



 2人の間に下りた沈黙を破ったのは、ゴーダが続いて蹴り落とした瓦礫がれきの転がる音だった。



「ふん……」



 刀を握ったままの拳で、ボルキノフが瓦礫がれきを殴打する。瓦礫がれきの軌道をらす際に自らの力に負けて拳が潰れたが、それも瞬く間に元に戻る。



「賢い君なら、同じ実験を2度も繰り返す必要もあるまい……無駄だよ。何回繰り返そうが、結果は同じだ」



 1度目と同じように砂埃が立ち上り、視界が潰れる。



「ああ、だから次を試す……“本命”をな」



 砂埃の煙幕に隠れて、ゴーダの声だけが聞こえた。



目眩めくらましかね……古典的だが、なるほど、『正面から正々堂々』という騎士の常識を捨てれば、実に実戦的な手段だ」



 真っ向からの一騎打ちを放棄して、流血を浴びぬよう背後からの暗殺手段に打って出る――焦りの感情の1つでも揺れていれば、ゴーダの術中だったろうと、ボルキノフは思考した。


 つまりはそう考えられるだけの、十分な冷静さをボルキノフは維持していた。


 加えて、ここでも戦闘に関して素人ゆえの幸運が、愚者へともたらされる。


 何の気なしに首を回した先――その煙幕の向こう側に、ゴーダの影がよぎったのが偶然にも見えたのだった。



「ああ、私はツイている……実にツイているよ、ゴーダ」



 ボルキノフが刃を向けるのは、自分の首元。



「当然かもしれないな……ユミーリアが、幸運を運んでくれるのだから」



 軽く力をめただけで、ガランの鍛えた刃は愚者の頸動脈けいどうみゃくに切れ込みを作る。


 そして、煙幕を突き抜けて、ゴーダが目前に現れた。


 手には“蒼鬼あおおに・真打ち”が抜かれている。


 2人が正面から鉢合わせた。視界を塞いだことが無駄に終わる。


 ゴーダの間合いにボルキノフが入る。流血を浴びせるには十分な距離。


 愚者の刃が自らの首を斬り裂いて、赤黒い血が勢いよく噴き出した。


 ビシャリと水音を立てて、真正面からゴーダが流血を浴びる。



「私の、素人なりの強運が、君に勝ったね……ゴーダ」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ああ、それがお前に見える“私の常識”か」



 ……。



「よかったよ……」



 ……。



「ならば私は――“常識破り”だ」



 流血を浴びたことにも躊躇ちゅうちょせず……むしろ「そうなることが織り込み済みだった」と言わんばかりの迷いのなさで、ボルキノフに詰め寄ったゴーダが刃を――愚者が自ら首にあてがっていた刃を、直接握った。



「!?」



「お前の行動は予測がつかん。こうでもしなければ――“お前が自らを斬るよう仕向けでもしなければ”、その首、確実に飛ばすことはできんだろう?」



 “蒼鬼あおおに・真打ち”がひらめいて、ボルキノフの腕を斬り落とす。そしてその腕ごと愚者の首に食い込んだ刀を奪うと、ゴーダはそのまま刃を振りきった。


 愚者は最期に「ゴーダ」と彼の名前を口にしたが、身体から離れてしまった頭部はその声を発することなく宙に飛んだ。


 ボルキノフの切断された手が絡んだままの刀を放り捨て、ゴーダが左手で生首をつかみ取る。同時に右手の“蒼鬼あおおに・真打ち”で頭上の崩落しかけた石のはりを斬った。


 更に間を置かず、驚愕きょうがくの表情を浮かべたままの愚者の頭部を地面にたたき付けると、そこに見計らったように斬り崩れたはり材が落ちた。


 パキャリと卵の割れるような音がして、生首の頭蓋骨が砕け、脳漿のうしょうが飛び散った。


 それは一瞬のできごとだった。全てが終わってから、思い出したように、背後に置き去りにされたボルキノフの首なしの身体から血が噴水のように噴き上がる。


 無言のまま、ゴーダが“蒼鬼あおおに・真打ち”をさやに収めた。


 ……。



「ボルキノフ……地獄でびろ……」



 ……。



「……かたきは……取ったぞ……“イヅの騎兵隊”……っ」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ブチュッ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ブチュッ……ブチュッ……。


 その音は、背後から聞こえた。


 血が泡立ち、肉が弾ける汚らしい音。


 メキメキと骨の生えていく乾いた音。


 細胞が繊維を編み上げ、筋肉を構築し、皮膚を張り巡らせていく。


 空っぽの容器の中に、脳味噌のうみそがゼリーのようにブリュリと充填された。


 ほうけたように白目をいていた目が、生気の宿った瞳を返す。


 ……。


 ……。


 ……。



「ああ……はは……これも、初めての体験だ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「首が取れても……頭が潰れても……この身体は関係ないらしい……」



 ……。


 ……。


 ……。



「興味深い……実に、興味深いなぁ……“石の種”は……はは、はははは……」



 ……。


 ……。


 ……。



「お前は…… 一体……何だ……っ……?」



 暗黒色だったゴーダの甲冑かっちゅうは、半分以上が赤い鮮血に染まっていた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ニィッ。


 “忘名の愚者ボルキノフ”の笑顔には、混沌こんとんが渦巻いていた。

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