29-10 : 暗い扉

 一方。


 ――場所は“火の粉のガラン”と“ユミーリアの花”が衝突している位置から、数十メートルほど距離を置く。


 “災禍の娘”の体液で汚染され、ガランの起こした大爆発で焼け野原となり、ゴーダの暴走した“魔剣”に斬り刻まれた地表で、先ほどから剣戟けんげきの音が鳴り響いている。



「ははは……はははは……!」



 ボルキノフの乾いた笑い声。左右の手にそれぞれつかんだ二振りの刀を、闇雲に振り回している。



「……!」



 対して無言でいるのはゴーダ。両手持ちした銘刀“蒼鬼あおおに・真打ち”の刃を返す返す、愚者の出鱈目でたらめな剣をはじき続けていた。



「はははは……どうしたのかね、暗黒騎士。そんなものかね……そんなものかね! 素人相手に! “魔剣”がなくては! ははははは……」



 ボルキノフがずんずんと歩を前に進めていく。その声音はまるでどこかに寝そべりながら雑談をしているように落ち着いていて、一切の乱れがない。


 ユミーリアを犯した“石の種”の実験結果を元に、更なる改良を加えて調質されたボルキノフの“石の種”は、それが本来持ち合わせている完全修復能力を遺憾なく発揮している。


 傷の瞬時の回復は勿論もちろんのこと、循環器系にもその影響は及んでいた。


 ボルキノフは、どんなに激しい運動を経ても、呼吸1つ乱れることがない。


 ボルキノフの剣術自体は、本人の言う通り全くの素人筋である。が、そこに「常軌を逸する怪力」と「瞬時に傷の癒える肉体」、そして「絶対に乱れることのない呼吸」が組み合わさると、単なるごり押しにすぎない行為がその脅威を跳ね上げる。


 剣術の知見、騎士の常識で考えれば、ゴーダの刀運びに「絶対に踏み込んではならない死線」がはっきりと見えたはずである。


 しかし素人に、その「死線」が見える道理もない。危険な1歩――ゴーダにとっては完全な支配下にある領域――ボルキノフはそこへ平然と踏み込んでくる。その上、愚者は「自分に剣の知識がないが故に優位性が生じている」ということを理解までして、それを最大限に活用していた。



「ちっ……これは……!」



 ゴーダとしては、一周巡って達人を相手にするより厄介な状況だった。


 余りにも、剣の常識が通用しなさすぎる。



すきだらけだろう? 無駄だらけだろう? 不格好で、非効率だろう?――私の剣は! はははは、攻撃してくれたまえよ……反撃してくれたまえよ! 暗黒騎士ぃ!」



 これもまた、ボルキノフの言うことは真実である。力任せに刀を暴れ回し、ズカズカと死線をまたいでくる行為は、「愚か」の一言。すきの塊である。


 しかしここでも、ゴーダは下手に打って出ることができないでいた。



 ――奴の血に触れると、まずい……。



 ちらりと自分の甲冑かっちゅう、胸当てに目をやる。そこには先のボルキノフの奇襲――体内に隠し持っていた血塗ちまみれの刀による不意打ちの際、目の前をかすめた剣先から飛び散った赤い血液が血痕となって付着していた。


 ズ……ズズ……。


 よくよくとその血痕に目を凝らすと、ほんのわずかではあるがそれが菌糸のように伸縮を繰り返しているのが見えた。



 ――ベルクトが、正面からの戦闘でこの程度の力量相手に押し負けるはずがない。しかも……喰われるなど……どんな効力なのかまでは分からんが、やはりろくな物ではない……!



 ゴーダの攻撃を誘うこと、自分を傷つけさせ、返り血を浴びせることがボルキノフの本命なのだとすれば、“魔剣”を封じられている今、尚更なおさらに難しい局面に暗黒騎士は直面していた。



 ――あの“花”の光る翼……ガランがあれを破壊してくれるまで、やり過ごし続けるしか……!



「何だね……そのあおい剣で、斬り返してきてはくれんのかね?」



 二刀流の形で攻撃の手を一切緩めないまま、ボルキノフの声音は羽根ペンで書き仕事でもするように静かで軽い。


 力任せに振り下ろしただけの右の一撃が、ゴーダに上段から襲いかかる。それを見切ること自体は容易たやすい。


 刀身がかち合い、火花が飛んだ。超高硬度鋼“蒼石鋼あおいしはがね”から鍛えられたゴーダの“蒼鬼あおおに・真打ち”が強靭きょうじんさではるかに上回り、ボルキノフの刀に刃こぼれを生じさせる。


 愚者の右腕から、ブチリと筋繊維の切れる音と、ゴキリと関節の外れる音が聞こえる。しかし、それも音がしただけ。次の瞬間にはその損傷は修復される。


 更に刀を押し込まれると、もろくなった地盤にゴーダの足がめり込んだ。


 動きを完全に止められてしまう。



「ゴーダ……君が私を傷つけてくれないというのなら……仕方ない」



 そう言って、ボルキノフが左手に握っている刀を――己の首に当てた。



「っ……馬鹿なっ……?!」



「ふむ、確かにそれは認めよう――こんな愚かな手を打てる存在は、この世で私だけだと自覚している」



 その言葉の直後、自ら頸動脈けいどうみゃくき切ったボルキノフが、鮮血を噴き出した。



「っ!……“二式:かすみなが――」



 回避戦術に特化した“魔剣二式”。ゴーダは咄嗟とっさにそれを発動させた。


 その途端、全身に電流の走ったような衝撃があり、視界がとてつもない速さで回転して何が起きたのか分からなくなる。


 気づいたときには、“魔剣”の暴走で瞬間転位したゴーダの身体は、倒壊した“イヅの城塞”の瓦礫がれきに生き埋めになっていた。



「……うっ……くそ……状況が悪すぎる……! こうも術中にまってしまっては……!」



 瓦礫がれきを押しのけ、よろりと立ち上がる。せめて一旦ボルキノフと距離を空けられたことだけが幸いだった。



「こんな不格好な転位をやらかしたのはいつ振りだ……ローマリアに鼻で笑われる」



 平原に目を向けると、ボルキノフの人影が指の先ほどに小さく見えた。向こうは何も焦ってはいないらしく、ゆっくりとした足取りでこちらへと歩いてきている。


 周囲を見回す。遠目から見ても壊滅的になっていることは分かっているつもりでいたが、いざその内部から変わり果てた“イヅの城塞”を目の当たりにすると、ゴーダの胸は痛んだ。


 今彼の立っている場所は……正門があった場所だろうか。門の枠組みは崩壊して見る影もない。上階へと上がる階段も崩れていて、足の踏み場がなかった。


 部屋を区切っていたはずの壁面も、巨大な攻城鎚こうじょうついでぶち抜いたように破壊されている。恐らくボルキノフがその怪力でやったのだろう。1階の天井――2階から見ると床に相当する箇所も、何か所か崩落していた。


 250年前、何もなかった平原の只中ただなかに、ガランと騎兵隊たちと協力し合って築いた、皆のための家……それが破壊し尽くされていた。



「……」



 そして、ぶち抜かれた壁の向こうに、ゴーダは見てしまう。


 そこは、食糧庫だった場所――その閉ざされた扉の隙間から、紫色をした液体がドロリと漏れ出ていた。



「……」



 自分の内なる声が聞こえる……それが「行くな」とつぶやくのが、はっきりと。



「……」



 その声とは裏腹に、ゴーダの足は吸い込まれるように扉へと向かっていく。



「……」



 ――やめろ……行くな。



 足を、止めることができない。



「……はぁ……」



 ――引き返せ。



 扉の前に、辿たどり着いてしまう。



「はぁ……はぁ……」



 ――触るな。



 扉に、手が伸びる。



「はぁ……はぁっ……!」



 ――回すな。



 ドアノブをつかんだ手は、氷に触れたように貼り付いて離れない。



「……はぁっ!……はぁっ!……」



 ――開けるな。



 ギィィ……と、蝶番ちょうつがいきしむ音が聞こえた。



「………………」



 ……。


 ……。


 ……。



 ――見るな。



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……いや……もう、遅いよ……」



 内なる声に、ゴーダがぽつりと独り言を返した。


 ……。



「……――、……」



 入り口に倒れるように寄りかかり、ゴーダが兜の下で小刻みに唇を動かす。



「……――、……――、……――、……」



 それは名前だった。黒い騎士1人1人の名前を、ゴーダが誰にも聞こえない声でぽつぽつと呼ぶ。



「……――、……――、……――、……――、……――、……――、……」



 呼んだ名前の数は、104つ。“イヅの騎兵隊”総勢105騎の内、漆黒の騎士ベルクトを除いた全員の名前だった。



「……さぞ、苦しかったろう……」



 ……。



「……さぞ、恐ろしかったろう……」



 ……。



「……悔しかったろう……無念だったろう……」



 ……。



「ああ、すまなかった……駆けつけてやれなくて……間に合ってやれなくて……」



 ……。



「……。……。……すまなかった……っ……」



 うつむいた暗黒騎士が、声を詰まらせて肩を震わせる。


 食糧庫――今はボルキノフが、“処分室”と呼ぶ一角……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……それ以上は、筆舌にすることすらおぞましい。

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