28-10 : 凶王の器

「っ……このに及んで……! 被害者のような顔をしないでください……!」



「ああ、私は加害者だよ。権力を濫用し、国力を疲弊させ、虐殺を働いた加害者だ。この真紅の剣が、そのあかし……『次代の王は凶王である』――これは正に、その証明だ。これ以上無理を強いれば死んでしまうだって? 結構じゃないか……凶事をもたらす王の子は、ここで無謀の末に朽ち果てることが万人にとって好事であろうよ」



 饒舌じょうぜつにそう語ってみせたアランゲイルの声音には、自虐めいた響きは一切含まれていなかった。それは全て事実だと、己の意思で両手に収まりきらない血を浴びてきた王子が、自ら断じた。



「今の私には、それがよく分かる……この“ゲイル”を手にしたそのときから……いや、それよりもずっと前から……私の中に、凶々しいものを収める器があったことが……」



 遠い記憶を振り返るように、アランゲイルがとうとうと言葉を継いでいく。



「この真紅の醜い剣が肥え太っていくのを間近に見ながら、私は考えたんだよ、シェルミア……この凶王の器は、一体どこからやってきたのだろうとね」



 王子が、自分の手のひらをじっと見つめる。



「まず考えたのは、私に生来、そういった類のごうが備わってしまっていたのかもしれないということだった……確かにそれもあったのだろう。だが、土も水もない場所には、たとえ醜い花であろうと芽は出すまいとも考えた」



 ……。



「つまるところ、私の腹に抱えたこの種が育ってしまう土と水が、あの場所にはあったということだ。巡り合わせとは、奇妙なものだね……『この呪剣を手にすることがなければ』……『ニールヴェルトという狂気に当てられなければ』……『ボルキノフという得体の知れない声に耳を貸さなければ』……『シェルミア、お前と、兄妹でなければ』……その全ての巡り合わせが、アランゲイルという男の中で、凶王の種を芽吹かせてしまったのだ……」



 そして手のひらから目を上げて、アランゲイルがシェルミアを見やる。その瞳の奥には、妹のよく知る聡明そうめいな兄の名残があった。



「このどす黒い衝動が、もう随分と前から、私の理性とは離れた場所でのたうち回っているんだよ……まるで自ら卵を割ってかえろうとする、蛇の子のように……」



「何を……何のことを、言っているのですか……」



 シェルミアが、狼狽うろたえるように小声を漏らした。



「この衝動は、私自身のものであると同時に、自分だけの形を得ようとしているようにも思えるんだよ……男の身がはらむわけもあるまいに。だが、あくまで言葉のあやにすぎないが……この“衝動”の父はまぎれもなく私で――その母親は、間違いなくお前だよ、シェルミア」



「……っ」



 妹が、息をむ気配があった。



「ははは……ああ、すまない……自分でも、何を言っているのか分からなくなっていてね……だが、事実だ。私とお前、そのどちらが欠けていれば、ここに凶王の器は現れなかった……私が言いたいのは、そういうことだよ、シェルミア……」



 ――ガクリ。


 兄の怨恨が妹を追い詰めるように、望まれないまま生まれ出ようとする凶王の衝動が母親を求めるように、アランゲイルがシェルミアに向かって足を引きった。



おっしゃっていることが……分かりません……兄上……」



 シェルミアの声は、震えていた。


 その声を無視するようにして、朦朧もうろうとしているアランゲイルが語り続ける。



「ここに立っていることに、理由も大義もないと……お前は、そう言ったな、シェルミア……」



 ガクリ。兄が、更に1歩進む。


「ただのお前の身勝手……ただの我がままというわけだ……あんなに聡明そうめいだったお前が、そんな感情任せの真似まねをするとは、驚いたよ……」



 ……。



「……私もだよ、シェルミア……。私も、この衝動に身を任せて、大義も理由も何もかも、置き去りにしてきた……もう、止まれない……止まれないんだよ……」



 ゆっくりと、ゆっくりと足を運ぶ兄の身体が、今にも倒れてしまいそうなほどにふらふらと揺れる。



「ふぅっ……! ふぅっ……!」



 妹は、ギリっと歯噛みする音を立て、荒い鼻息を漏らしながら兄をじっと見つめ続けている。


 ――ズルッ。


 そしてシェルミアは、自分の右脚が1歩分、ちょうどアランゲイルが踏み出したのと同じ歩幅分だけ無意識に後退あとずさったことを遅れて自覚した。汗が一筋、頬を流れ落ちていく。



「はぁ……――……はぁ……――。あぁ……シェルミア……お前がそんな顔をするのは、幼いとき以来だね……先生に説教されて、不貞腐ふてくされて……それから花を折ってしまったと、泣いていたあの頃とそっくりだ……ははは……覚えているよ……よく、覚えている……」



「……兄、上ぇ……」



 ガクリ。と、兄が前に進むほど――ズルッ。と、妹が後退あとずさる。



「ははは……震えている声も、あのときのままだな……はぁ……――……はぁ……――」



「……やめて、ください……兄上……」



 ガクリ――ズルッ。余りにも無残に変わり果てた兄の姿を前にして、妹の声が涙にれて震える。



「お前に……私の気持ちを、分かられてなど、たまるものか……。はぁ……――……はぁ……――……けれど、けれどね……たとえ、分かりはせずとも……感じるだろう……その顔を見れば、分かる……」



「あ……あ……」



 ガクリ――ズルッ。シェルミアの目許めもとから再び涙があふれ出して、それがポロポロと泣き腫れた頬に流れ落ちていく。



「苦しいだろう……?」



「うっ……う゛っ……」



 ガクリ――ズルッ。なおも身体を引きって前に出るアランゲイルの姿から目を離せず、思わず涙で喉元が詰まり、シェルミアがしゃくり上げるような嗚咽おえつを漏らす。



「悲しいだろう……?」



「……もう、やめ゛て下さい……」



 ガクリ――ズルッ。近づいてくるアランゲイルを拒絶するように、懇願するように、シェルミアが泣き顔のまま首を左右に振って、小さな小さな声で言った。



「消えてしまいたいだろう……? どうすればよかったのかと……迷いと後悔で、押し潰されそうだろう……?」



「兄上……兄上ぇ゛……」



 ガクリ――ズルッ。運命剣を構えていた両腕から、涙とともに少しずつ力が抜けていき、剣先がゆっくりと自重に負けて下がっていく。



「それが……はぁ……――……はぁ……――……それが、私の見てきた世界の色だよ……私の吸ってきた世界の空気だよ……私の、かれてきた――残酷な世界だよ……――シェルミア……」



「うぅっ……うぅう゛ぅぅっ゛……!」



 ガクリ――ズルッ。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……言葉が、出なかった。


 ……。


 ……。


 ……。



「……あ゛っ……あ゛っ……うぅう゛うぅ゛ぅッ……!」



 知らず知らずの内に積み上げてきた重みを今になって思い知った妹の小さな手に――その剣は、重すぎた。


 ……。


 ……。


 ……。



「シェルミア……ここが、私とお前の、行き着く果てだ……“明星”の光の届かなかった、宵闇の底だ……」



 ……――ガクリ。


 死相を浮かべた兄が、重くうなだれた首をゆっくりともたげた先で――肩にも足にも力の入らなくなった妹が、無言のまま泣き崩れていた。



「――ウフフ」



「――ンフフッ」



「――クスクス」



「――フフフ」



 そして何もできなくなった“明星のシェルミア”を取り囲むようにして、“人造呪剣ゲイル”の伸ばした枝葉に実った“4人の侍女の形の呪い”が、笑っていた。


 リィーン。


 “しらす者”を模倣した呪いが、その手に摘まれた小さな鈴を冷たい音で鳴らした。


 “照らす者”の姿をかたどった呪いが、手にした燭台しょくだいに暗い火をともした。


 “添う者”に己を似せた呪いが、給仕服からのぞいた真紅の手のひらで、秘匿された道を指し示した。


 そして“送る者”と取って代わった呪いが、小さな鍵を無限回廊の虚空へと差し込んだ。


 ……。


 ……。


 ……。



「ここが――終着の場所だ。そしてお前が、終わりを見届けるんだよ……シェルミア……」



「あ……に……うえ……」



 消え入りそうな声でささやいたシェルミアの声は――アランゲイルには、届かなかった。


 ……。


 ……。


 ……。


 リィーン――……ガチャリ。


 具現化した合わせ鏡のごとき幾何学の迷宮が姿を変えて、“そこ”へと至る存在しない扉の鍵を開けるうつろな音が聞こえた。



「私と、お前の――。魔族と、人間の――。宵と、明けの――。凶王の器がもたらす――終わりをね」



 開かれた扉の先にあったのは、涼やかな宵のとばりでもなく、暖かな明けの光でもなく――全てが仄暗ほのぐらく沈んでいく、黄昏たそがれむなしい無音だった。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……何用ぞ。血濡れた人の子よ」



 玉座の上で頬杖ほおづえを突いた“淵王えんおうリザリア”が、“くらふちの者”が、この世の底からのぞき込んでくるように、金色の瞳で終わりをもたらす兄妹を見やっていた。

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