28-8 : “剛の剣”と、“柔の剣”

 ――。


 ――。


 ――。


 それは、いつかの記憶である。


 それまで常に、その男は振り切れた理性で己の獣じみた欲望を傍観しながら、ゆがんだわらい顔を浮かべて生きてきた。


 腹の底でのたうち回る黒い何かを満たすために、居場所を定めずふらふらと渡り歩き、“狩り”と“争い”を繰り返してきた。


 そしてある日、その“黒い何か”の正体に気づいた男は、流れ着いた先の都で自ら志願し、騎士となった。



 ――綺麗きれいなものも、醜いものも、壊れる瞬間は、全て等しく美しい。



 ……。


 “明けの国”内部の治安維持活動、“宵の国”との国境線で散発する小規模な衝突。それらの戦場で常に最先頭、あるいは単騎での行動を繰り返すその男を、周囲はいつからか“烈血れっけつのニールヴェルト”と呼ぶようになっていった。


 数え切れないほどの武勲を上げていくに連れ、気づけばその身は放浪者の出でありながら、“第2王子アランゲイル”の近衛このえ兵の一角に名を連ねるに至っていた。



『どこの生まれとも知れない分際で……狂騎士が』



 騎士団兵舎の中を歩くたび、どこからとも知れずそんな言葉がニールヴェルトには聞こえてきていた。必ず決まって、視界の外。牙を剥き出しにした獣におびえながら、それでも威嚇することだけは止めない小動物のように、その無数の声は常に物影の向こうでささやかれていた。



 ――醜い。



 ……。



 ――醜いぜぇ……ろくに使いもしねぇ剣と鎧を臭ぇ息吹きかけて磨いてるばかりの連中がよぉ……醜すぎて、見てらんねぇ……。



 ……。



 ――でもよぉ、お宅ら知ってるかぁ? お前らみたいなのでもよぉ、壊れるときだけは綺麗きれいなもんなんだぜぇ?



 ……。



「……ひはは」



「ちょっとあんた」



 騎士団兵舎を1人ぶらぶらと歩きながら口許くちもとを半月形にニヤニヤとゆがめていたニールヴェルトを、呼び止める声があった。



「……あ?」



 ニールヴェルトが振り返ると、そこには胸の前で腕を組み、険しい表情で狂騎士を見咎める1人の騎士の姿があった。



「……何ぃ? 俺のこと呼んだのかぁ?」



 気怠けだるそうに間延びした声で、陰で狂騎士と呼ばれる男が目を細めながら言った。



「へらへらしながら歩き回らないでくれる、気味が悪いでしょ」



 澄んだ灰色の目が、じっと射貫くようににらみ付けてきていた。



「……俺のことぉ?」



 小首をかしげて、ニールヴェルトが自分の顔を指差しながらもう1度尋ねた。



「あんた以外に誰がいんのよ」



 物怖ものおじしない声が、即答を返す。



「……。……あぁー……」



 一瞬、きょとんとした顔を浮かべ、一拍遅れてニールヴェルトがようやく理解したように声を延ばした。



「あぁー……そぉ。俺のことかぁ」



「そうよ、あんたのことよ、気づきなさいよ。それで、返事を聞いてないけど?」



 畳みかけるように、その声が言った。



「あぁー……悪かったなぁ、気味悪がらせちまってよぉ。ほら、俺、元からこういう顔だからさぁ」



「そんなわけないでしょ。そういうことじゃなくて、もっとしゃきっとしなさいって言ってんのよ」



「……ふうぅん……そぉですかぁ。そりゃぁ、以降気をつけさせてもらいますよぉ」



 り上がった頬を両手で寝かしつけるようにして、表情を真顔に戻したニールヴェルトが無関心に言った。



「ほんっとに気味悪いわね、あんた。今度へらへらしてたら、ひどいわよ」



 それだけ言い捨てて、その騎士は「ふん」と不機嫌そうにきびすを返して兵舎の奥へ歩き去っていった。


 ……。



「……気味悪いだぁ?」



 通路に1人ぽつんと居残ったニールヴェルトが、真顔の表情でぼそりとつぶやいた。



「……知ってるよぉ。わざわざ言われっなくてもなぁ」



 ……。



「……ぷっ」



 誰もいない兵舎通路に、ニールヴェルトの噴き出す声が聞こえた。



「……ひはは……ひははは……。知ってはいたけどよぉ……誰かの口から直接言われたのはぁ、これが初めてだぁ」



 あの女騎士の姿はとうに見えなくなっていたが、ふわりと揺れる銀の髪のきらめきが、ニールヴェルトの脳裏にはまだはっきりと残っていた。



「あんたぁ……綺麗きれいな人だなぁ……」



 ――。


 ――。


 ――。



 ***





「エレンローズぅぅうううぅぅっ!!!」



 “烈血れっけつのニールヴェルト”が咆哮ほうこうを上げ、斧槍を振り回す。その剣筋は、狂騎士と呼ばれてきたその身に染み着く動物的な勘をかした独特のものである。


 変則的で、不規則で、型にまらない予測困難な刃の運び――それはこれまでも、これからも変わらない、ニールヴェルトの“剛の剣”だった。



「……ッ……」



 金属同士の衝突音と火花を飛び散らせながら、斧槍の連撃を押し込まれる“右座の剣エレンローズ”の剣は、終始守りの体勢を強いられる。



「殺す……! 殺ス! コロスッ!! お前の目に“俺”が映らないならよぉ! お前がぶっ壊れる瞬間だけでもぉ! 独り占めしないと気が済まねぇだろぉがぁ!! エレンんんんんっ!!!!」



 “守護騎士の長剣”の間合いに入ることにも躊躇ちゅうちょせず、ニールヴェルトが更に1歩、その奥へと足を踏み込んだ。


 両者にとって、それは互いの武器が殺傷能力を最も高める危険な距離だった。騎士の直感が、何よりも先にその間合いから離れなければならないと警告する領域の中で、闘争心と怒りでそのささやきを押し黙らせたニールヴェルトが、先手を取って凶刃を振り下ろす。



「…………!」



 狂騎士の“剛の剣”は、その変則的な太刀筋と、動物的な勘と、そして何よりどこか飄々ひょうひょうめているニールヴェルトの理性があってこその、天賦の技である。


 そしてこのとき、ニールヴェルトの理性は、エレンローズへの執着と動揺によって、無数の波紋を立てていた。何より、常に己を傍観していた自分の意識が、このときばかりは感情にまれ、目の前が見えなくなっていた――“見えなくなっている”ということに気づかないほど、何も見えなくなっていた。


 ゆえに、“烈血れっけつのニールヴェルト”は、長年の相棒として使い込んできたはずの斧槍に限界が来ていたことを、見落とした。


 後手に回り続けていたエレンローズの剣が、突然すらりと緩やかな円を描いて振り上げられた。どう鍛えても男の腕力にはかなわぬ分、女性特有のしなやかさを最大限にかしたその剣閃は、無駄な力がめられていない分、一点に凝縮された鋭さにいて他の追随を許さない領域に達する。


 それはエレンローズがただひたすらに追い求めたもの――ニールヴェルトと同じく、どこの生まれとも知れない者が辿たどり着いた、“明星のシェルミア”譲りの“柔の剣”である。


 ――ボギンッ。


 そして“柔の剣”の一閃いっせんが、“剛の剣”を切り崩す音が響いた。


 斧槍の先端、刃の間近に位置する柄の部分が両断される。それと同時に限界を迎えた斧刃が砕け散り、金属片が宙に舞った。



「うっ゛……!?」



「…………っ!」



 極限まで研ぎ澄まされた両者の意識が体感時間を圧縮させ、砕けた金属片に光の反射する幻想的な光景が、ゆっくりと流れていく。



「っ……! エレンんんんんんんんんんっ!!!!!」



「…………っっっ!!!!!」



 “烈血れっけつのニールヴェルト”が叫び、“右座の剣エレンローズ”が声を失った口を開けてえた。


 ……。


 ……。


 ……。


 一瞬にも満たない交差と、その後に降りる静寂。そして静止。


 ……。


 ……。


 ……。


 背中合わせに立って微動だにしない両者の間で、既に勝敗の分かれ目は決していた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――カランッ。と、鉄が白亜に落ちる乾いた音が、静寂を破った。


 ――ポタッ。と、血が一滴、大理石に滴り落ちてはじけて消えた。


 ――ポタッ……ポタッ……ボタボタボタッ。


 そして噴き出したおびただしい血が流れ落ち、周囲を真っ赤に染めていった。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ドサリッ。


 ……。


 ……。


 ……。


 無限回廊に倒れ込む気配が静止に終わりを告げ、全てが再び動き出す。


 ……。


 ……。


 ……。



「……あぁ……なぁんと、なく、なぁ……こうなる、予感が……してたぜぇ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ほら……お、れ……――」



 ……。


 ……。


 ……。



「――生き残る才能があるからさぁあああああぁっ!!!!!」



 ……。


 ……。


 ……。



「ひはははははっ!!」



「きはははははははっ!! ひぃいははははははははぁあああぁぁぁぁああっ!!!!!」



 脱力した身体をうつぶせに横たえて、ニールヴェルトの斬り返した“カースのショートソード”との打ち合いに競り負けて倒れたエレンローズの周囲に、見る見る内に真っ赤な血溜まりが広がっていった。

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