28-7 : 片恋慕
「…………っ」
ぐらりとよろけた“右座の剣エレンローズ”が、激しく肩で息をしている。声を失った喉元から、ゼェゼェという風切り音が聞こえていた。
額に負った裂傷から流れ出た血が片目を塞ぎ、顎先に集まった流血がボタボタと音を立てて滴り落ちる。黒い鎧は激しい戦闘で所々が剥がれ飛んでいて、その下から
「はぁぁ……はぁぁ……」
それに向かい立つ、銀の
よろりと、ニールヴェルトが重たげに体勢を立て直す。それに応じて、エレンローズもふらふらとした足取りで右腕を構えた。
「……ぷっ。……ひはは……ひはははっ」
口の中に
「ああ、夢みたいだぜぇ……」
……。
「夢でもこんなに面白ぇのは、見たことねぇなぁ……お前は、どぉだぁ? エレンよぉ……
「……ッ……」
額からの流血で塞がっていた片目をごしごしと手で擦り、固まりかけていた血を拭い取ったエレンローズが、鋭い眼光でニールヴェルトに無言の返事を返した。
「ひははっ、イイねぇ……まだまだ、お楽しみはこれから、ってなぁ」
激しい斬撃の応酬を経て、小休止を取るようにじっと互いに目を向け合う中、狂騎士の視線が、ふと守護騎士の右手首に
「……」
「…………」
エレンローズの右手首には、金糸か何かで編まれた組み
「……なぁ、お前の他にぃ、誰か来てんのかぁ? こんなだだっ広いだけのしけたお城によぉ」
「…………」
エレンローズは、何も答えない。そんなことは、ニールヴェルトも百も承知のことだった。ただ、剣を握る守護騎士の右手がぴくりとぎこちなく力んだのを、狂騎士は見逃さなかった。
「あぁ、そぉ。そりゃぁ、そぉだよなぁ。抜け殻になって死ぬだけだったお前がよぉ、あそこから独りでこんなにまで立ち直れるわきゃぁねぇもんなぁ」
「…………」
「だぁれかなぁ? だぁれがお前と俺を、またこうやって巡り合わせてくれたのかなぁ? 礼を、言わねぇとなぁ……」
「…………」
「――ぷっ」
再び
「きははははっ! なぁに仏頂面浮かべてんだよぉ、エレンん」
そして、その
「……お姫様が、来てんだろぉ?」
3度目の
「…………っ」
耳を刺す沈黙の中で、エレンローズが剣の柄を握り締めるギリッという音がはっきりと聞こえた。
「ハッ。
たしなめるように、ニールヴェルトが鼻を鳴らした。
「俺が鎌かけてたらどぉすんだぁ? まぁ、お前の顔色でいちいち確かめなくてもぉ、“明星”様が来てるってぇのは大方想像がついてたけどなぁ。エレンん……お前がここにいる時点でよぉ」
「…………」
「お前がこんなにがむしゃらになることなんてよぉ、シェルミア絡みの他にねぇからなぁ。それにぃ、ここにはそんなお姫様に劣等感抱えすぎてぇ、“ここ”が飛んじまった気の毒な野郎もいるしなぁ」
そう言って、ニールヴェルトが自分のこめかみをとんとんと指先で小突く仕草を取った。
「御立派すぎた妹とぉ、凡人の器で
斧槍を手にしたまま両腕を広げて、ニールヴェルトがエレンローズに同意を求めるように言った。
「…………」
狂騎士がじっと見つめる守護騎士の目には、しかし彼が求める類いの光は宿っていなかった。
エレンローズにとっても、この場に一切の私情がないと言えば
「……あ?」
その互いの温度差を、狂騎士の動物的な勘が見透かすのに時間はかからなかった。
「…………」
「っんだよ、その目ぇ」
ニールヴェルトの片目の
「…………」
「エレンん……俺の
手のひらを差し出して、ニールヴェルトが問いかけた。
「…………」
「俺が憎いから、俺と決着をつけたいから、俺をぶっ殺したいから、待っててくれたんだろぉ? なぁ? そぉだよなぁ?」
無意識の内に足が1歩前に出て、狂騎士が同意を求めて
「…………」
「黙ってんじゃねぇよぉ、エレンん……」
「…………」
「黙ってんじゃねぇえっ!!」
そう叫んだニールヴェルトの声は、わずかに震えていた。
「…………」
その間も、エレンローズはただじっと剣を構え、“討たねばならない存在”を見つめ続けていた。
「……てンめぇっ! “何”を見てんだよぉ……! “俺”を見ろっ! お前の
狂騎士の動揺が、無限回廊に木霊した。
「ちゃぁんと……“俺”を、見てくれよぉ……エレンん……!」
懇願するような低く小さな声が、白亜の上を転がっていった。
……。
……。
……。
「…………」
“右座の剣エレンローズ”の沈黙には、その手に持った“守護騎士の長剣”そのもののように、研ぎ澄まされて
……。
……。
……。
「……ひひ……ひひひ……」
ニールヴェルトが、身を震わせて笑った。その両肩はまるで求愛を拒絶されたとでもいうように、がっくりと落ち込んでいる。
「
……。
……。
……。
「“俺”の気持ちをぉぉおおおっ! 裏切りやがったなぁああぁぁあ!! エレンローズぅぅうううぅぅっ!!!」
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