28-2 : 故郷

 ……。


 ……。


 ……。



「……っ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……?……ん……?」



 目を閉じてから、随分と時間がったように思えた。しかしガランの身体には、地面にたたき付けられる激しい衝撃も、耳元を吹き抜ける相対風の渦の音も聞こえてこなかった。



「……ん? 何じゃ……どうなった?」



 目を開けるのも忘れて、ガランが周囲に向けてきょろきょろと首を回す。



「着いたぞ」



 聞き慣れたゴーダの声が、すぐそばに聞こえた。



「着いた、とな?」



 状況の飲み込めないガランが、ぽかんと尋ね返す。



「……。とりあえず、まずは目を開けろ、ガラン」



 その声に促されるように、ガランがゆっくりと、墜落の驚きで閉じたままでいたまぶたを開けた。


 霧の立ちこめる世界に、その視線の下に地面があり、見上げる先に曇り空があった。それは鳥の視点から俯瞰ふかんした、渦巻く風の支配する世界ではなく、地に足を着ける者の見る、見慣れた視点の世界だった。



「着地の方法も考えずに、あんな場所から飛び降りるわけがないだろう――重力の方向を逆転させて、落下の勢いを打ち消した。私の次元魔法でな」



「な……なるほどの……う、うむ……さ、さすがは東の守護者、じゃのう……」



 そう言うガランの声は、珍しく震えて、強張こわばっていた。



「? どうした、ガラン。どこか打ったか?」



 女鍛冶師の声音に違和感を覚えたゴーダが、その目をじっとのぞき込みながら言った。



「衝撃のないよう、術式を加減したつもりだったのだが」



「い、いや……その……そうではない……」



「? なら、先の戦闘で負った傷が痛むのか?」



「違う、違うんじゃ……そういうことではなく……」



「??? だったら何だというのだ」



「じゃからぁ……これじゃ、これぇ……」



 ガランが自分の顔の前に右腕をさっと上げて、その陰に隠れるように目許めもとを覆った。



「早う、降ろしてくれい! 小っ恥ずかしいんじゃ! たわけぇ!」



 両膝と両肩を支えられ、身を縮こまらせて仰向あおむけに横たわる姿勢でゴーダの腕の中にすっぽりと収まり、抱き上げられたまま、ガランが懇願するように言った。心なしか、褐色の肌が赤らんでいるようにも見える。



「何をそんなに慌てている……?」



「えぇから降ろせ! こういう恥ずかしい真似まねは、ローマリアの奴にやってやっとりゃええじゃろ!」



「??? なぜそこであいつの名前が出る。気を引き締めろ、ガラン。相棒のあんたに、怪我けがをさせるわけにはいかんのだ」



「~~~~~っ」



 腕1本では足りなくなったのか、ガランが思わず両手で顔面を完全に覆い隠した。真っ赤に赤面した肌から、火の粉がぱちりとぜて舞い散る。



「もおぉ……そういうところぉぉぉ!!」



 ――ガサッ。


 暗黒騎士と女鍛冶師がやんやと言い合っているそばで、霧に隠れた草花の揺れる音が聞こえた。


 ――斬。


 ――ドンッ。



「ギ……ギギャ……」



「グギッ」



 霧の向こうから獣のように飛び出してきた2体のくれないの騎士の内、1体が暗黒騎士の放った一閃いっせんに音もなく両断され、もう1体が女鍛冶師のたたき込んだ拳の下に、一瞬の内に沈んでいた。



「……ガハハ……おいでなすったのう」



「そのようだ」



 ――ガサッ……ガサッ。ガサッ、ガサガサガサッ。


 草花が無数に揺れ動き、霧の向こうに、真紅の人影が壁のようにぼぉっと浮かび上がっていく。



「ギシャァ……」



「グルル……」



「ガウラァ……」



 数え切れないうなり声が、気づけば周囲を覆い尽くしていた。



「ふむ……待ち伏せられていたか。当然、そうだろうな」



 “魔剣のゴーダ”が、至極当然というふうにうなずいた。



「やれやれまぁまぁ……2ぃ対何千だと言うんじゃろうな、ほんに……」



 “火の粉のガラン”が、口をへの字に曲げてポキポキと首を鳴らした。


 それから互いに目線を交わした2人が、「参ったな」というふうに肩をすくめ合う。


 ……。


 ……。


 ……。



「まぁ……ここはひとつ――」



「さぁて……ここは一丁――」



 そして、白くかすんだ霧の世界に、紫炎の眼光がゆらりとともった。



「「――派手に行こうか」」



 ……。


 ……。


 ……。


 ふっ。と、2つの人影が、吹き流れてきた霧の中に隠れて消えた。


 ――サァァ……。


 真っ白に塗り潰れた平原の只中ただなかに、研ぎ澄まされた刃がさやの内を走る清らかな音色が聞こえた。


 スタッ……スタッ……スタッ……。


 ゆっくりと、草花を踏み分けて歩く足音があった。


 ……カタン。


 そしてそのかすかな物音の末、何もさぬまま、“蒼鬼あおおに・真打ち”がさやの中に戻る音が聞こえた。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ギッ?」



 そうして、何体かのくれないの騎士たちが異変に気づいたときには、斬撃の音も倒れる気配もないままに、数十体の兵たちがその場に立ち尽くしたまま、ピクリとも動かぬ屍と化していた。



「……斬られたことにも気づかんか。修練が足りんぞ……」



 ――ボッ。


 無音のままくれないの騎士たちを斬り伏せたゴーダの背後で、火柱の立ち上る大きな音が聞こえた。


 ジュウ、ジュウ。と、焼けた鉄の音色が聞こえ、霧とは異なる白煙が流れ込んだ。その煙の中に、ピクピクと引きった腕が地面の高さからのぞいているのが見え、あっという間にその影は自身の形状を失ってドロドロに溶けて消えていった。



「……相も変わらず、質の悪い鉄を使いおって。ワシの可愛かわいい“蒼鬼”は、この程度の火では刀身がぬくもりさえせんぞ……」



 パチパチと火の粉を舞わせながら、自身の赤熱した血管から放った熱波によって周囲のくれないの騎士たちをその装備諸共もろともき溶かしたガランの足下は、さながら天然の溶鉱炉と化していた。



「ギギャ……!?」



 うわべだけの理性をまとい、“特務騎馬隊”として“明けの国騎士団”と行動を共にしてきたくれないの騎士たちには、本来醜い闘争本能しか持たない。警戒心も躊躇ちゅうちょもなく、ただ前に進み、敵を貪り喰らい、呪われた同胞はらからとして群れに取り込む――それがユミーリアの、災禍の娘の“祝福”だった。


 だが今、その“祝福”を受けたくれないの騎士たちをしてひるませるものが、そこにある。



「どうした――」



「――来んのか、お主ら」



 ゴーダとガランが、互いの言葉を継ぎ合って、声を重ねる。



「ならば――」



「――そうじゃな」



「この不条理の剣でもって――」



「――この理不尽の火でもって」



 ――。



「「返してもらおうか。我らの故郷を」」



 紫色を帯びるあおい刀身が水にれたようにつややかに光り、真っ赤な火の粉がパチパチとぜる。



「――――」



 その闘気に応えでもするように、霧の向こうで“ユミーリアの花”が鳴いた。

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