27-9 : イイ女と、情熱の言葉

「逃さねぇよぉ!」



 狂騎士が踏み込みを強め、連撃の速度を更に上げる。


 ちらと、侍女がベールの下から背後に目をやり、自分の置かれた状況を確認する素振りがあった。


 後退を続けた侍女の肩が、壁に押し当たる。逃げ場は、ない。



「気づくのが遅ぇよぉ! それにぃ、よそ見してる場合じゃねぇよなぁ! ひははははっ!」



 ニールヴェルトが、勝ち誇るようにえた。



「――はい、そのようにございます」



 ……。



「――では、“足取り”を改めさせていただきます」



「あ……?」



 ――ココッ。


 ヒールの底が、小気味よくステップを踏んだ。


 カッ。と、左右の連撃を抜けて、侍女の左脚がニールヴェルトの顔面めがけて突き出された。



「は……っ?!」



 間一髪。間合いの短い“カースのショートソード”が侍女の突き蹴りの迎撃に間に合った。



「やっろぉ……!」



 コッ。と、次は斧槍を受けた直後であったはずの右脚から回し蹴りが飛んでくる。



「うっ……!」



 武器による迎撃が間に合わず、狂騎士がたまらず上半身を後ろにらす。ヒールの先端が鼻筋をかすめ、そこに蹴りによるものとは思えない鋭い切り傷が1本、筋を作った。


 コッ、カッ、コッ、コッ。


 立て続けに、長いスカートの下から蹴りが飛んでくる。



「ちぃっ!」



 いつの間にか、後退あとずさりを始めたのはニールヴェルトの方だった。攻守が、完全に入れ替わる。


 カッ、コッ、コッ、カッ。


 数秒前に聞いた、「ココッ」という小気味のよいステップの音。それをさかいに、侍女のヒールが床を突く音が変化していることに、狂騎士は気づいた。


 ニールヴェルトの斧槍とショートソードによる連撃を受けるばかりであったときのものとは異なる、一段早い手拍子に合わせるように踏み込まれるヒールの連弾。



「こいつ……!」



 そもそもの初めから、“それ”はずっと侍女の足元にあった。ただ、ニールヴェルトが気づいていなかっただけだった。


 変化したのは攻守の主導権であったが、“それ”は正確に言えば、侍女が踏んでいた“リズムの変化”である。



「――前方への足運びは御立派にございますが、後方への足の引きが少々ぎこちのうございます、“侵入者様”」



 そのしとやかさは、争いへの無知からくるものではない。その優雅さは、飾りではない。


 それすなわち――それ自体が、武器である。



「お前ぇ……! 最初っから、“踊ってやがったのかぁ”?!」



「――“大回廊の侍女”たる者、足取り1つ取りましても、気品を持たねばなりませんので」



 カッ、カッ、コッ、カッ。コッ、コッ、コッ、カッ。


 踏まれるリズムは小気味よく、ステップには躍動感があり、突き出される蹴りは鋭さを増していた。


 気がつけば、夜気が狂騎士の首筋をヒヤリとでていた。外気が、すぐ背後に流れている証拠である。



「――これにて終曲にございます」



 コッ。斧槍とショートソードをするりと縫って、一際鋭い蹴りがニールヴェルトの喉元を狙い澄まして跳んだ。闇の中に、黒いスカートからのぞく真っ白な脚線美が浮かび上がる。



「ぐっ……!」



 ――ガクリ。


 侍女のヒールがニールヴェルトの喉にあな穿うがとうという正にその瞬間、最初の門扉のあった場所にまで押し戻された狂騎士の足が敷居につまずいたのは、奇跡的なみ合わせだった。


 後方に転倒したニールヴェルトの目の前を、侍女の蹴りが突き抜けていった。



「はぁ……! はぁ……! はっ……!」



 侍女の連弾を迎撃し続ける間、まともに息を継ぐこともできなかった狂騎士が、尻もちを突いた姿勢で激しく肩を上下させている。



「――どうぞ、お帰りの際は足元にお気をつけくださいませ。今宵こよいは、星明かりもない闇夜やみよにございますゆえ」



 侍女が、息切れひとつなく、優雅にぺこりとお辞儀してみせた。



「はぁ……! はっ……! はぁっ……! はっ……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「はぁっ……はぁっ……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「はぁ……はぁ……。……。……。……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……。……くっ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……くくくっ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「くくくっ……ははっ……ひはは……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ひははははははははっ!! きひっ……きひはははははははははっ!!! ひぃいはははははははぁああああっっっ!!!!!」



 遠くの森から聞こえる、夜鷹よたかのような鳥の鳴き声をき消して、ニールヴェルトが腹を抱えてわらい転げた。



「きひっ……きひっ……!! ひはははははっ!! 強ぇ……強ぇっ……強ぇえええっ!!! ひはっ……! ひははははっ!!!」



 見開かれた目が、まるで子供のように爛々らんらんと輝いた。



「見つけたっ……! はぁ、はぁ……! 出逢っちまったっ……! すげぇ……すげぇ……すげぇっ!……すっっっっげぇイイ女ぁ! 見つけちまったぁああああ!!!! あぁはははははははははぁああっ!!!!!」



 斧槍からもショートソードからも手を放して、はぁはぁと犬のように口で呼吸しながら、狂騎士が髪の毛をぐしゃぐしゃにき回す。



「はぁっ! はぁっ! ガマンできねぇ……ガマンできねぇ! ぶ、ぶっ壊してぇ……ぶっ壊してぇよぉ……!! ガ、ガマンなんて、できねぇよぉおっ!!!!」



 腹の中をのたうち回る何かの衝動に、四肢を引き寄せて身を縮こまらせる狂騎士の姿があった。



「……ああぁァぁぁアあぁ゛ぁぁァ゛ぁぁあああっッ゛っ!!!!!」



 膝に埋めた顔、その頭部から、悲鳴のような、泣き声のような、嬌声きょうせいのような奇声が破裂した。



「…………」



 身体を丸めたままのニールヴェルトの奇行がピタリとんで、沈黙が降りる。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ああ、決めた――お前、俺のモンにするわ」



 ……。


 ……。


 ……。



「――“風陣”……」



 ……。


 ……。


 ……。



「――“雷刃”……」



 ……。


 ……。


 ……。


 狂騎士の両腕に魔方陣が浮かび上がり、狂気がその身をき、狂騒が周囲に渦を巻く。


 ビュオッ。と、風が天の羽衣のように武具を包み込む。


 バチリッ。と、雷が火花を散らして血と肉に駆け巡る。



「――“風雷燼ふうらいじん天霆あまついなずま”」



 ……。



「きひひひっ……きひはははっ」



 ぐにゃりと首をもたげて、魔人の顔が、わらっていた。



「ああ……身体がかりぃ……鎧も武器も綿毛みたいだぁ……きひひっ」



 ――ギャンッ。


 鋭く切り裂くような音がしたかと思うと、崩れた門の敷居に、誰も触れてもいないまま、3本の深い爪痕がついていた。



「きひははっ。ウケるぜぇ……軽すぎてさぁ……はやすぎてさぁ……自分の目で追い切れねぇとか、くそウケるだろぉ……? きひひひっ」



 それぞれに得物を持った両腕をだらんと垂らして、夜空を仰いだニールヴェルトがヘラヘラと独り笑いする。目玉だけが、同意を求めるように、敷居の内側に立つ侍女にぎょろりと向いた。



「お前は、俺の女にして、俺の物にして……俺がぶち犯して、ぶっ壊して、ぶっ殺す」



 ……。


 ――クスッ。


 口許くちもとに寄せた指の陰から、くすりと笑う侍女の唇がのぞいた。



「――斯様かように情熱的なお言葉を頂きますのは、初めてのことにございます」



「だろぉ? ひはは」



「――御返礼を、御所望にございましょうか?」



「ああ、頼むわ……イイこと、シよぉぜぇ?」



 額を上に向けたまま、ニールヴェルトがべろりと舌なめずりした。



「――かしこまりました」



 下腹の前に両手を重ね、腰を直角に折って、侍女が深々とお辞儀した。


 礼の姿勢から優雅に上体が起こされていくのに合わせて、下腹の前で重ねられていた両手が解かれ、真っ白な指が膝先に伸びる。


 キュッ。と、侍女の両手が、長いスカートを指先で軽く摘むのではなく、手のひらいっぱいに包み込むようにして、その布を深くつかんだ。


 スルリ。スルリ。衣擦きぬずれの音が聞こえ、侍女がゆっくりと――己に向けられる視線を焦らすようにゆっくりと、両手につかんだスカートをたくし上げていった。


 ……。


 ……。


 ……。



「――どうぞ、御覧くださいませ」



 月のように真っ白な、両脚の美しくなまめかしい曲線を太腿ふとももの上までさらけ出して、侍女がその脚線美を自ら見せつけながら言った。



「なぁんだぁ……やっぱりお宅、見せびらかすのスキなんじゃねぇかぁ、きひひっ」



 風の音と雷のはじける音に混じって、ニールヴェルトが下卑たわらいを漏らした。


 一糸まとわぬ、肌目の細かい純白の両脚を前後に交差させながら、侍女がたくし上げたスカートを握る右手を前へ、左手を後ろへ回して、これまでとは異なるお辞儀をしてみせた。



「――殿方をお楽しみ差し上げますは、侍女の役目にはございません。この肌、この脚をさらしてよろこぶは、踊り子の役目にございます」



 ……。



「――今宵こよいは舞踏会用のドレスにはございませんが、この脚、お気に召されたのであれば……心ゆくまでお楽しみください」



 ……。



「――不束者ふつつかものにございますが、1曲、お相手くださいませ……――ぶち殺して差し上げます」



 ……。


 ……。


 ……。



「――これでよろしゅうございますか?」



 ……。


 ……。


 ……。



「よぉおくできましたアぁあっ!! ひははははははっ!!!」


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