27-8 : 粗相

「上等だねぇ、きひっ」



 それだけ言うと、ニールヴェルトが風を身にまとい、全身をばねのようにして力をめた。



「――“風陣:疾風はやて”」



 ドウッ。と、空気のぜる音がして、その爆風を背に受けて木っ端のように吹き飛んだ狂騎士が、“淵王えんおう城”の敷居を一気に飛び越えた。



「――失礼いたします」



 猛烈な勢いで突進をかけてきた侵入者の動きを見切るように、侍女が左足を高く上げた姿勢のまま上体を左にひねった。その目の前を、斧槍を真正面に突き出したニールヴェルトが紙一重の距離で飛び過ぎていく。


 その刹那の交差の中、美しい形に折りたたまれていた侍女の左脚がすらりと宙に伸びた。


 息をむほどに真っ白な脚がむちのようにしなり、目の前を飛び去っていく狂騎士の首筋に精密に狙いを定めて、かかと落としが振り下ろされた。


 コーンッ。と、鋭く、小気味の良い音が響いた。



「――粗相を致しました。申し訳ございません」



 スカートの裾をひらりと広げて、侍女が腰を折って謝罪の言葉を口にした。


 ――ズボッ。


 大理石の床に、侍女の振り下ろしたヒールが深々と刺さって小さなあな穿うがっていた。わずかのぶれもなく振り下ろされた脚力はヒールの先端の一点のみに集中していたらしく、床にはぽっかりと真円のあないているだけで、周囲にはヒビも割れも何ひとつなかった。



「……。危ねぇ危ねぇ、死ぬとこだったぜぇ」



 侍女のかかと落としが直撃する寸前、気流と身体のばねを使って空中で身をよじることで攻撃をかわしたニールヴェルトが真顔で言った。頬には冷や汗だろうか、汗が1本、筋になって流れている。



「――床に傷をつけるつもりはございませんでした。痛みもなく、出血も最小限に、1回限りの接触にて絶命いただけましたら幸いかと存じ上げたのですが、“侵入者様”のお動きに対してこちらの補正が間に合わのうございました。さぞ御不快な思いを抱かれたことと存じます。手前の不手際を何卒なにとぞ御容赦下さいませ」



「……要するにぃ、『楽に殺してやれなくてごめんね』だぁ? 御丁寧に言ってくれる分、余計に物騒に聞こえるぜぇ、召し使いさぁん?」



 頬をぴくりと引きらせて、狂騎士が苦笑いするように言った。



「――? 左様にございますか」



 ベールの下で、侍女が不思議そうに小首をかしげた。そして、「かしこまりました」とでも言うように、口許くちもとがふわりと微笑ほほえんだ。



「――それでは、“侵入者様”の御指摘を頂きまして、僭越せんえつながら前言を撤回させていただきます」



 スルリ。と、長いスカートをまくり上げるようにして、左脚の脚線美が再び高く持ち上がる。



「――『楽に殺してやれなくてごめんね』。『次は確実に殺してやりやがります』……言葉が間違っておりますでしょうか? 何分なにぶん斯様かような言葉使いは普段より使い慣れておりませんので、御了承下さいませ」



 脚を太腿ふとももまでさらしたまま、侍女がぺこりとお辞儀した。



「あぁ、惜しいねぇ、粗野な言葉は馴染なじみませんかぁ?」



 ニールヴェルトが斧槍を左腕1本に持ち替えて、いた右手で“カースのショートソード”を抜いた。



「なら、俺が教えてやるよぉ……手取り足取りさぁ!」



 斧槍が、再び振り下ろされる。その太刀筋を精密に捉えた侍女が左脚を蹴り上げて、ヒールの底で刃を真正面から受けた。軌道の芯を完璧に捉えて打ち込まれた蹴りは、斧槍の勢いを全くのゼロに打ち消して、刃の“線”とヒールの“点”とが拮抗きっこうする今にも崩れてしまいそうなバランスの中で、両者はぴたりと静止した。


 間髪入れずに、ニールヴェルトが右手のショートソードを足元から斬り上げる。


 侍女の身体の動きに合わせてゆらりと揺れたベールの端に、金色の瞳の動きがわずかに見えた。


 カッ。と、ヒールの底が立てる小気味の良い音がして、狂騎士の斧槍を受け切った直後に素早く振り下ろされた左脚が、今度はショトソードの刃の芯を踏みつけた。柄から手を離さないニールヴェルトの右腕ごと、それを地面にくぎ付けにする。



「おみ脚1本じゃぁ、間に合わねぇぞぉ!」



 ニールヴェルトの右腕が封じられたということは、左腕に自由が戻ったということである。斧槍の凶刃が、侍女のめくれ上がったスカートの裾、左脚の付け根に向かって振り下ろされた。


 ――コッ。


 また、あの小気味の良い音が聞こえた。



「――はい。“侵入者様”に腕がお二つありますように、こちらにも脚は2本ありますゆえ、御心配には及びません」



 左足のヒールをショートソードの刃の上に乗せて、信じられない平衡感覚でそこに片足立ちしたまま、侍女が右脚を振り上げて右のヒールで斧槍を受けていた。


 ニールヴェルトの目の前で、左右の脚を天地に向けて大きく開いた姿勢のまま、侍女の長いスカートがふわりと宙に広がる。



「ひはっ、大っ胆だねぇ! やっぱお宅、そうやって人前で見せつけるの趣味なんじゃねぇのぉ?!」



「――お戯れを。はしたのうございます」



 両脚の付け根があらわになるよりも先に、侍女がくるりと舞って2本の脚線をスカートの下に仕舞しまい込んだ。そのまま何喰わぬ様子で、ただ給仕服についたほこりだけが気になっている様子で、ポンポンと手でそれを払い飛ばす。



「さっきから余裕ぶっこいちゃってまぁ……こっちには戯れてる暇も余力もねぇってのによぉ! ひはははぁっ!!」



 戦闘の狂乱に、ニールヴェルトがもう何度目かも分からない高わらいで形相を崩す。だが、その狂人のわらい顔のすぐ下には、苦々しい表情と冷や汗が隠れていた。



「まだまだ行くぜぇ! 下手な弓矢も数撃ちゃ当たるってなぁ!」



 狂騎士が、斧槍とショートソードをそれぞれ構えた両腕にぐっと力をめて、それらを交互に、あるいは無作為に、時にはだますように、何度も何度も打ち込んだ。間合いがそれぞれ異なる武器を同時に使い分けるニールヴェルトの技量は、正に天賦の才としか言えないものだった。


 しかしそれ以上に、その眼前で給仕服をふわりふわりと波打たせながら舞うようにして蹴りを打ち出す侍女の精密な動作には、目を疑うものがあった。


 狂騎士の繰り出す、間合いの異なる左右からの連撃は、そのいずれもが致命傷に届く太刀筋である。にも関わらず、侍女は全く臆する様子も気圧けおされる気配も見せず、ほとんどの斬撃を左脚1本でしのぎきっていた。やむを得ず右脚が繰り出される場面もあったが、それは狂騎士の数十の手数に対して片手で数えるほどでしかなかった。



「オラオラオラオラぁぁあ! いいぜぇ! 止めろよ! 止め続けろよ! その生脚で1発でも受け損ねたときがぁ! お宅の最後だからなぁあ!! ひははははっ! きひははははははっ!!!」



 ニールヴェルトが両手の武器を打ち込み続けながら前進するのに合わせて、侍女がずるずると後方に下がっていく。夜の満ちる大回廊を照らす淡い光が、真っ白な脚を幻想的に照らし出している。


 侍女の背後、距離にして数歩というところに、壁が迫ってきていた。

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