27-7 : “侵入者様”

「ひはははっ。……でぇ? こっちの用件は聞いてもらえんのかねぇ?」



 ニールヴェルトが、ニヤニヤと口許くちもとをほころばせる。その目線が、ダガーを止めた侍女の爪先から頭頂までを、めるように何度も行き来した。



「――御注意願います。お客様でないお方におかれましては、その門より内側への立ち入り、固くお断り申し上げております」



 侍女が、真っ白なナプキンでダガーの刃を丁寧に拭きながら忠告した。隣に構えたもう1人の侍女の手に、ぴかぴかに磨かれたその短刀が美しい所作で手渡される。



「――少々曇りが激しゅうございましたので、誠に勝手ながらお手入れさせていただきました」



「――お帰りの際は、お忘れ物のなきようお気を付けくださいませ」



 磨かれたダガーを受け取った侍女が、両手に丁重にそれを乗せて、もがれた門より外側に立つニールヴェルトの下へ歩いていく。コッ、コッ。と、侍女の履く靴の高いヒールが大理石の床をたたく小気味よい音が城内に響いた。



「……あぁ、そおぉ。悪いねぇ、そんなに綺麗きれいに磨いてもらっちゃってぇ……」



 狂騎士の表情が、理性を取り戻したようにふっと真顔になる。


 ……。


 ……。


 ……。


 そしてグニャリと、その形相が狂気と愉悦にねじくれた。



「……ならさぁ! ついでにこいつらも頼むわぁ! ひははははぁっ!!」



 ニールヴェルトの掲げた両手には、複数のダガーが挟み込まれていた。右手に3本、左手に4本。



「――“風陣:衝風つきかぜ”」



 その左腕にめられた魔導器、“風陣の腕輪”に魔方陣が浮かび上がり、7本のダガーそれぞれに風がまとわり付く。風は狂騎士がダガーを投げ放った瞬間に勢いよく破裂して、その刃の飛翔ひしょう速度を先ほどのものとは比べものにならない速度にまで加速させた。


 ギュンッ。と、風の裂ける音がした。


 ――ひらり。


 それと同時に宙に美しく舞ったのは、侍女が指先で摘まんで振り上げた長いスカートの裾だった。


 ……。


 ……。


 ……。


 カランカラン。と、風をまとって加速したダガー7本が、全て床に落ちて跳ね回る甲高い音が響く。



「――お止め下さいませ。はしたのうございます」



 高いヒール1本で器用に片脚立ちした侍女が、もう片方の膝を胸の高さにまで上げた姿勢のまま物静かに言った。持ち上がったスカートの裾からのぞく細い脚は、そこにかかる黒い布とは対照的に、はっとするほど真っ白な肌をしていた。



「はっ。やるじゃんよぉ。“淵王えんおう”様直属の召し使いはぁ、やっぱ格が違うねぇ……あぁ、ムラムラしてくるなぁ……ほら、俺ぇ、美脚がたまんねぇからさぁ」



 侍女の実力を計り見たニールヴェルトが、期待に満ちた声でくっくとわらった。



「――恐れ入ります」



 真っ白な脚線美を給仕服の下にするりと仕舞しまい込んだ侍女が、ぺこりと頭を下げて礼を示した。


 侍女と狂騎士が、先刻まで門扉のあった場所を境に、城内側と城外側からそれぞれ向かい立つ。手を伸ばせば、互いの身体に指先が触れるほどの距離だった。



「――非礼を働きましたこと、ここにおび申し上げます。どうぞ、改めてこちらをお持ち帰り下さいませ」



 そう言って、侍女は何食わぬ口許くちもとと声で、新品のように磨き上げられた狂騎士の1本目のダガーを再び両手の上に載せて差し出した。



「あぁ……御丁寧にどぉもぉ。“明けの国”にも侍女は掃いて捨てるほどいますけどぉ、あんたらほど立派なのはいないですよぉ」



「――重ねて、恐れ入ります」



「ひはっ。ああ、そぉだぁ。お引き取りさせていただく前にぃ、1つ教えちゃあもらえないですかねぇ?」



「――はい、何にございましょうか?」



 侍女が、目元を隠したベール越しに、自分より背の高いニールヴェルトの顔をじっと見上げた。


 ニールヴェルトの方も、思慮するように顎に手を添えながら、自分より背の低い侍女の隠された顔から、片時も目を離さずにいる。



「――あんたらの言う、“お客様でない”俺がここをまたいだらぁ、どうなるんですかねぇ?」



 狂騎士が、ちょいちょいと足下の敷居を指差した。



「――はい、その場合は――」



 ……。


 優雅な動作で、侍女の手がゆっくりと持ち上がっていく。そして真っ白な指の背が目許めもとのベールにふわりと掛かり、ちらと、ほんのわずかだけ、その布が払いのけられた。


 ……。



「――その場合は、実力をもって“侵入者様"を排除いたしますので、しからず御了承くださいませ」



 ベールの下に隠れていた、金属光沢をした金色の瞳が、最後の警告を告げた。


 ……。


 ……。


 ……。



「そりゃぁ、参ったなぁ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……最高すぎてぇ! 参っちゃうなぁあ!! あははははぁっ!!!」



 狂的なわらい声と供に、ニールヴェルトの足が敷居を踏みつける、ダンッという音が木霊した。


 その後に続く、警告の言葉はなかった。


 ニールヴェルトが、背に担いでいた斧槍を手に取り、両腕でそれを振り下ろす。相手が自分より背の低い、華奢きゃしゃな見かけをした女であろうと、その一振りには一切の躊躇ちゅうちょも容赦もなかった。


 狂騎士が敷居を踏みつけて攻撃動作に入った瞬間、侍女にも動きがあった。



「――御無礼を」



 膝と腰を軽く折り曲げ、長いスカートの裾をまみ上げて、侍女がぺこりと一礼する。


 そして、侍女がその場でくるりと優雅に身を翻した次の瞬間、ビュッと風の切れる鋭い音がして、気づいたときにはニールヴェルトの振り下ろした斧槍に向けて強烈な回し蹴りが打ち込まれていた。



「おぉっ?!」



 蹴りの圧に押され、ニールヴェルトの足が半歩ほど後退あとずさる。まるでそうなることを狙ったとでもいうように、狂騎士の身体は敷居の外側――侍女が城外と認識する領域に押し戻されていた。


 俊足の回し蹴りを放った純白の脚線美が、普段はそれを直隠ひたかくしにしている黒い布の下からすらりとのぞいていた。瞬時に攻撃動作に移れるよう高く上げられたままの左脚は綺麗きれいに折りたたまれ、ふくらはぎと太股ふとももがぴたりと密着している様子が、脚の付け根までずり落ちたスカートの裾からあらわになっている。高いヒールの付いた爪先はピンと伸びていて、まるで鋭い刃物のような印象さえ抱かせた。



「うぉっ、とぉ」



 鋭い蹴りに斬撃の軌道をらされたニールヴェルトが、器用に腕と肩をねじって、持ち主ごと横に吹き飛ぼうとしていた斧槍の勢いを相殺する。そして体勢を立て直して再び戦闘態勢を取ると、狂騎士の視線が侍女のさらした左脚をジロジロとめ回した。



「ひゅぅ! イイ眺めだねぇ、眼福眼福ぅ。ひははっ」



「――おめに預かるほどのものではございません」



「なぁに言ってんですかぁ、そんなスカートめくり上げてまで、おみ脚見せつけてくれちゃってぇ。もしかして誘ってるぅ?」



「――おっしゃっている意味が、分かりかねますが」



「その綺っ麗な脚を今みたいに男どもの前で見せつけてぇ、いやらしい目で隅から隅まで視姦されるのが気持ちよくてゾクゾクしたりしてるんですかぁ?って聞いてんですよぉ」



 ひるむことも臆することもなく、ただ欲望と闘争本能に身を任せて、なまめかしい侍女の脚線を穴がくほどじっと凝視しながら、ニールヴェルトがニタリとわらった。



「――殿方にお楽しみ頂くということに関しましては、わたくしどもの役目にはございません。このようなもの、野卑やひなばかりにございます。お見苦しいものをお見せしておりますこと、誠に申し訳なく存じます」



 投げつけられたその言葉に対して、しかし侍女はベールの下で小首をかしげるだけだった。全く動揺の色も見せずに、左脚を高く上げた姿勢のままピクリとも動かず、ただびの言葉を口にする。



「……ちっ。少っしは恥じらうなり慌てるなりしてすきを晒さねぇかなぁと思ったけどぉ、全っ然だなぁ。お宅、そんな真似まねしてんのにほんとに何にも感じねぇのぉ? ひょっとして不感症ぉ?」



「――わたくしどもは“大回廊の守護者”、陛下にお仕えいたします侍女にございます。ただの“道具”たるわたくしどもに、そのような複雑な感情は必要ございませんので、御安心下さいませ。“侵入者様”のお心遣い、感謝申し上げます」



 鈴の音のような美しい声で淡々と答えを返す侍女を見て、えて女を動揺させるような言葉を選びながら出方をうかがっていたニールヴェルトが、「調子狂うぜぇ」と困ったように頭をいた。



「“宵の国”の王に仕える召し使いの女ぁ――どんなのか期待しちまったけどぉ、えらく淡泊じゃねぇのぉ。怒った声の1つでも聞きたかったんだがなぁ……まぁ、いいやぁ……」



 ぶつぶつと独り言を漏らす狂騎士が、すっと目を細めながら唇をめた。ニヤニヤとあおるようにわらっていた表情筋からも無駄な力が抜け、無表情が取って代わる。


 それは、得物を狩る者の顔だった。



「『ただの道具』ねぇ。なら、俺の遊び道具になってくれや……遊びすぎて、ガバガバに壊しちまうかもしれねぇがなぁ」



「――御注意下さいませ。その敷居、再びお越えになられた場合、此方こちらといたしましても不本意ではありますが、“侵入者様”の身の御安全を保証いたしかねます」



「再三の御忠告、どぉもぉ」



 ……。


 ……。


 ……。


 空気が、凍る。


 ……。


 ……。


 ……。



「上等だねぇ、きひっ」

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