27-4 : 殺していいのは――

 重苦しい空気が周囲に降りていた。


 誰もが口にしなければならない言葉があるはずなのに、誰も言葉を切り出せない、凍ってしまったような空気が満ちていた。


 夜の闇に覆われていた東の空が、徐々に白み始めてきている。


 太陽の熱に暖められた空気が風となり、びゅわと髪と頬をでる。


 星明かりは、青みを帯び始めた空の中にかすみのように溶けていき、その数を少しずつ減らしてきていた。


 眼下に見下ろす下界では、いまだ夜の色を染み込ませた群青色の無数の雲が、飛ぶようにして後方へと流れ去っていく。


 ――“星海の物見台”。ローマリアの箱庭、“星見ほしみの鐘楼”。



「……ここで朝陽あさひを見るのは、初めてだな……」



 沈黙を破って、ゴーダが昔を思い出すように、ぽつりとこぼした。



「ふぅむ……いやいやどうして、随分とけったいな代物しろもんじゃな、ここは」



 珍しく空気を読んで黙り込んでいたガランが、今度は一転して場を和ますように、閉じていた口を開いた。



「まさかこんなもんが、ワシの知らん間に、400年近く頭の上を飛び回っとったとはのう。しっかしまぁ、これは良い手じゃ、うむ」



 腕組みをしたガランが、感心するようにうんうんとうなずきながら続ける。



「まぁ、何じゃ、ローマリアの転位魔法こそ封じられてしもうたが、さしもの連中も、まさか自分らの頭の上から相手が降ってくるとは思うまいて。いっちょ、ぎゃふんと驚かせてやろうではないか! の!」



 ニカッと作り笑いを浮かべながら、ガランがゴーダとローマリアの方を振り向く。



「……」



「……」



 女鍛冶師の目に映るかつての師と弟子は、互いに目を背け合って、何も言わずに並び立っていた。その間には、人2人分ほどの距離が開いている。



「かーっ! 何じゃい何じゃい! 辛気臭いのう!」



 その有様に思わず地団駄を踏みながら、ガランが「むきー!」と声を荒らげた。



「こ!れ!か!ら! 大喧嘩おおげんかするんじゃろうが! そんなんでどうするお主ら!」



 肩を振ってずかずかと2人の間に踏み入ったガランが、ゴーダとローマリアを順番ににらみつける。



「2人していつまでしょげとんじゃ! 東と西の守護者ともあろうもんが、情けない! ふんっ! こんなことならワシ1人で殴り込んどればよかったわい!」



 空元気をき散らすガランの顔を、ローマリアがうつむけた顔の下からちらと見やった。ふっとわずかだけ微笑ほほえんだように見えた口許くちもとは、悲しげに震えている。



「……はぁ……。……。……ふふっ……本当に、元気だけが取り柄の人ですわ。ちっとも変わっていないのね」



 魔女のその嘲笑には、普段のつやも嫌みもなく、そこにあるのはただ乾いた笑い声だけだった。



「ふん! 何とでも言えい! そういうお前は全っ然覇気というもんがないのう、ローマリア! 急にしおらしくなりおってからに、かえって寒気がするわい! “右目”を使ったのがそんなこたえとんか!」



 ガランがかかってこいと言わんばかりに、ローマリアにげきを飛ばす。ここまで言えば、あの聞き慣れた、こちらを見下してくるような嘲りの1つでも返ってくるだろうと、女鍛冶師は身構えた。


 しかしローマリアの返答は、今にも消え入りそうな震える声に乗ってガランの耳に届いた。



「……。……そうですわよ……悪くて……?」



 思わず、ガランの胸がちくりと痛んだ。



「うっ……その、すまん……そういうつもりで言ったわけでは、なかったん、じゃが……ガハ、ガハハ……。ハァ……」



「……いいんですのよ、お気になさらないで。わたくしには、静謐せいひつと孤独が相応ふさわしいと、改めて確認したまでのことですわ」



 そう言いながら、顔を上げたローマリアが精一杯の嘲笑を浮かべてみせた。無理やりに作った表情は硬く、その下の寂しげな顔色を隠しきれていないのが、ゴーダにもガランにもはっきりと分かってしまった。



「ローマリア……」



 思わず、ガランが同情の顔を浮かべて手を伸ばしかける。



「やめてくださいまし。そんなもの、欲しくなんてありませんわ。それはこの“三つ瞳の魔女”への侮辱ですわよ。さぁ、早くお行きなさい。行ってしまいなさい。あなた方にはやるべきことがあるでしょう? わたくしのことなんて、お忘れなさいな」



 ガランの差し出した手を跳ねけるように、ローマリアが語気を強めて言った。



「東方を、取り返しなさい。こんな西の果てになんて、2度と来なくてもいいように」



「……っ。そんな寂しいことを抜かすでないわい……! ローマリ――」



「行くぞ、ガラン」



 踏み出したゴーダがガランの横を通り過ぎながら、合図を送るようにその肩に手を置いていた。



「ローマリアの言うとおりだ。ここは魔女のための静謐せいひつの西の果て。私たちの居場所ではない。自分たちの居場所は、自分たちの手で奪い返すぞ」



 女鍛冶師の肩に置かれた手のひらに、ぐっと力がめられた。



「ゴーダ……」



「ええ、物分かりがよくて結構ですわ。今はちょうど、“イヅの大平原”の直上です。そこから飛び降りればお相手の真上に出られるでしょう。“鐘楼”は同じ場所に長くとどまってはいられませんわ。お行きなさい、さぁ」



 ゴーダの背中を突き放すように、背後からローマリアがつぶやいた。



「世話になったな、ローマリア」



 暗黒騎士が、振り返りもせずに言う。



「ふふっ……えぇ、お粗末さまでしたわ。貴方あなたの顔をこれでもう見なくて済むと思うと、心が軽くてよ、うふふっ」



 天に浮かぶ箱庭の外縁にゴーダとガランが立ち、そこから眼下を見下ろした。厚く垂れ込めた雲が、“鐘楼”の位置を地上から隠してくれている。そこを突き抜ければ、その先は東方、“イヅの大平原”である。



「……じゃあな」



「ふふっ、ええ、さようなら……」



 魔女の孤独な声を背中に聞きながら、ゴーダとガランが虚空へと足を踏み出し――。


 ……。


 ……。


 ……。



「…………」



「…………」



 暗黒騎士の背中に駆け寄って、背後から両腕を回して身を寄せたローマリアが、ゴーダを引き止めていた。



「……あの……! 待って……待って、くださいまし」



「……」



 踏みとどまったゴーダが、そのままの姿勢で立ち尽くしている。その背を、ローマリアが精一杯の力で抱き締めた。



「約束なさい……死んだりなさらないと、約束なさいな……」



 消え入りそうな女の声が、暗黒騎士の背中を震わせる。



「“魔剣のゴーダ”に向かって、随分な言い草だな」



「約束してください」



 ゴーダの言葉を無視するように、ローマリアが重ねてつぶやいた。



「嫌な……予感がしますの」



「……根拠は何だ」



「根拠なんて、どうでもよいでしょう? ただ、そんな気がしますの……。女の、勘ですわ」



「…………」



「……いいこと? 貴方あなたがもしも死んでしまったら、わたくしは本気でこの世界を滅ぼしますからね――“明けの国”も、“宵の国”も」



 頬を暗黒色の甲冑かっちゅうこすりつけながら、魔女が呪いのように言葉を続ける。



「わたくしを殺していいのは、貴方あなただけ……。貴方あなたを地獄に引きり下ろしていいのは、わたくしだけ……。忘れたら、承知しませんからね」



「それは……困ったな……」



「ふふっ……困るがよろしいわ」



「調子が戻ってきたじゃないか、ローマリア」



「お黙りなさい」



 ……。


 ……。


 ……。



「ねぇ……約束して……?」



 ローマリアが、祈りを積み上げるように、呪いをかけ直すように、れた声でささやきかけた。


 ……。


 ……。


 ……。



「約束は――できんな」



 ゴーダが突き放すようにそう言って、身を翻して絡みついていたローマリアの腕を振り払った。



「……っ」



 ――また、置いていかれる。


 ――また、伸ばした手はどこにも届かない。


 ――また、繰り返す。


 ――250年前と、何も変わりはしない。


 ――右目に宿したおもいと呪いと願いには、それこそが、相応ふさわしいのだろう。


 ……。


 ……。


 ……。


 うつむけた視界の外で、ぐいと左手を強く引かれた。



「きゃっ……!」



 同時に、全身を包み込まれる感触があって、その驚きに、つい無防備な声を上げてしまっていた。



「……」



「……」



 強く強く、息ができなくなるほどに、抱き締められた。硬い鎧が、肌に痛い。その冷たい金属の板越しに、あの人の息遣いが聞こえる。



「――“当たり前だろう”。お前の呪いと恨みは、“俺”だけが背負える重荷だろうが……お前をたった独り、この世界に置き去りになんてするものか」





 ***



 ――。


 ――。


 ――。


 “宵の国”、東方。“イヅの大平原”直上、“星見の鐘楼”――“三つ瞳の魔女ローマリア”ただ1人を残して、そこには誰の人影もなかった。



「……ふふっ……馬鹿な人……」



 雲の上に現れた太陽をまぶしげに見やりながら、魔女がぽつりと独りごちた。



「……馬鹿な人……」



 ……。


 ……。


 ……。



「わたくしを……ここで殺すおつもりですか……?」



 そう言って、合わせた両手で鼻先と口許くちもとを覆い隠したローマリアが、ぺたりと“鐘楼”の石床にへたり込んだ。


 長い黒髪からのぞき見える美しい形の耳は、その先端まで真っ赤になっていた。

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