27-2 : 感情の残り火

「……行ってしもうたのう」



 シェルミアとエレンローズの姿が消えた空間を見つめながら、ガランがぽつりとこぼした。



「人間、のう……まぁ、悪い奴らではなかったわい。いい業物わざものを持っておったしな。ガハハ」



「さぁ、お次はあなた方の番でしてよ」



 2人を“宵の国”の中心へと送り出したローマリアが、ゴーダとガランに目を向ける。



「どちらへの転位をお望み? 貴方あなたの執務室ですかしら? ガランの鍛冶場がよろしくて? それとも……何処どことも分からない地の果てかしら……うふふっ」



 頬に右手を添えて、首をかしげた魔女が悪戯いたずらめいたわらい顔を浮かべて言った。



「“イヅの大平原”だ……小細工は無用。正面から打って出る」



 “蒼鬼あおおに・真打ち”の柄――ガランのさらし布が無骨に巻きつけられただけの握りに手を添えながら、ゴーダが答える。



「あったり前じゃ! 人ん家に勝手に上がり込んできた挙げ句、あんなむご真似まねまでしてくれたんじゃ……っ。こそこそなどしとれるかい!」



 怒りと喧嘩けんかの気配に鼻息を荒くするガランのこめかみに、青筋ならぬ赤熱した血管が浮かび上がり、そこからパチリと火の粉が舞った。



「まぁ、血の気の多い方たちですこと……先ほどまでの大人しさは何処どこへいったのかしら……ふぅ」



 ローマリアが思わず、頬に片手を添えたまま首を振って、「いやですわ」とめ息を漏らした。



「それだけのことを連中はやってくれたというだけのこと……これでもこらえている方だ」



「そーじゃそーじゃ!」



 ゴーダとガランの背中から、メラメラと闘気が立ち上っていくのが目に見えるようだった。



「あら、そうですか。勇ましいことですわね」



 顔を上げたローマリアが、ゴーダの顔をちらと見やる。



「……うふふっ」



 サラリサラリと、ローブの擦れるきめ細かな衣擦きぬずれの音を立てながら、魔女が暗黒騎士の目の前に歩み寄る。長く白い指が、ゴーダの胸、喉、顎を順になぞり、ローマリアが挑発するようにその耳元にささやきかけた。



「……ねぇ? わたくしもその“お礼参り”、手伝って差し上げましょうか」



 兜の奥で、ゴーダの顔がピクリと動く気配があった。



「……お前がか?」



「ええ」



「……どういう風の吹き回しじゃ、ローマリア」



 ガランの声音にも、思わず意表を突かれたような調子が含まれている。



「ふふっ……今日はなんだか、そういう気分ですの。野蛮な戦士の空気に当てられるのも、たまには悪くありませんわ……戦場の土埃と、飛び散る汗と、そして血の臭い……うふふっ、想像しただけでクラクラしてしまいそう……」



 ゴーダの耳元に聞こえる魔女の吐息に、なまめかしい色が混じる。



「あなた方はたった2人……戦力は、多いに越したことはないでしょう?」



「それは……まぁ、そうじゃが……」



 ガランの顔に、渋い表情が浮かんだ。



「うふふっ、ガランもああ言っていますわ……」



 湿った声音で誘惑するようにつぶやきながら、ゴーダの首に両手を回し、その先で自分の指どうしを絡め合わせたローマリアが、暗黒騎士の顔をぐいと引き寄せた。目の前に映る翡翠ひすいの瞳は、うっとりと潤んでいる。



「ねぇ、いいでしょう?……わたくしも連れて行って? 今回ばかりは純粋に、貴方あなたの力になりたいの……。これは返してもらった“借り”の利子の分……ただのお礼ですわ」



「……」



「ふふっ」



 思案している暗黒騎士の兜に、魔女の額がコツンと当たる。ローマリアの甘い香りが、甲冑かっちゅうの内側にまで染み込んでくるようだった。



「……無茶むちゃ真似まねはしないと約束しろ。お前はその戦術上、拠点防衛専門という自覚を忘れるな。はっきり言って、守備範囲外の東方では足手まといになる可能性まである。それを理解した上で――」



「連れて行って下さいますの? 下さいませんの? どちら?」



 笑顔の下にうっすらと苛立いらだちの色を帯びさせながら、ローマリアがゴーダの言葉を遮った。



「……よろしく頼む」



 返事を返した暗黒騎士の声が口籠もっていたのは、兜を被っていたせいばかりではなかったのだろう。



「アはっ。よかったぁ」



 ゴーダの首に回していた腕を解いて、ローマリアが上機嫌な様子で、自分の頬の横で両手を合わせながら嘲笑混じりに声を弾ませた。



「うふふっ、貴方あなたとの共闘だなんて、何百年振りでしょうね? “魔剣のゴーダ”のお手並み、じっくり拝見させていただきますわ」



「……物見遊山ものみゆさんではないぞ……」



「ふふっ、分かっていますわよ」



「まぁ実際、ローマリアの転位魔法の援護があるのはありがたいわい。かつての師弟どうし、息が合うじゃろうしのう」



 そう横槍よこやりを入れたガランの声音には、どこか面白がっている調子が含まれていた。



「からかうのはよせ、ガラン」



「ガハハ、目の前で夫婦めおと漫才のような真似まねをしといて、何を今更! ウシシシ!」



「勘弁してくれ……」



 ゴーダの深いめ息が、“星海の物見台”の吹き抜けに浮かんで消えた。



「ふふっ……。さぁ、では……参りましょうか」



 そう切り出したローマリアの声は、真剣で、澄み切っていた。



「西の果てから、東の果てへ――3人同時の超長距離転位は、少々骨が折れましてよ。ゴーダ、ガラン……わたくしの近くへいらっしゃい」



 2人の守護者と女鍛冶師が、互いの手が触れる距離にまで近づいて、円を描くようにして向かい合った。



「……跳びますわよ」





 ***



 ――同刻。“宵の国”、東方。ボルキノフ、ユミーリア制圧下、“イヅの城塞”。


 ギョロリ。


 古い言い伝えにあるような、禍々まがまがしい巨木に似た姿へと変わり果てた“災禍の娘ユミーリア”。その幹の一角に実った巨大な丸い眼球が、何かを見咎みとがめるようにゆっくりと回転して視線を飛ばした。何かをたのか、あるいは何かが聞こえたのか、それとも他の得体の知れない器官が反応したのか、そもそも何も知覚などしていないのか……異形の花が、この生まれ落ちてしまった世界をどのように認識しているのか、そんなことは誰にも分からない。


 ギュルン。ギュルン。ギュルン。


 “ユミーリアの花”に、無数の眼が花開いていく。巨大なものから微小なもの。丸いものからいびつに潰れているもの。無秩序に開かれていく悪夢のような瞳の群れが、ただじっと、西を凝視する。


 ブチリ。ブチリ。ブチリ。


 ブヨブヨとした半透明の体液に覆われた、青白い肉の幹をその内側から引き裂いて、女の腕のようなものが生えていく。手のひらだけで“イヅの城塞”の居室を1つ握り潰せるほどの巨大な腕。それが1本、2本、3本と数を増やしていき、鋭く分厚い爪がヒステリーを起こしたように己の生え出たその根本をバリバリと自傷していく。


 バサリ……バサリ……バサリっ。


 そしてその引き裂かれた肉の幹から噴き出した濃緑色の汁をき分けるようにして、ボルキノフが「天使」と呼んだ翼が三対さんついれた羽毛のようなものに覆われた羽根を広げた。


 肉の幹の最下部に横たわる、かつて人間の少女の形をしていた部分はとうに肉の幹の内側にみ込まれていて、まさに植物のように地の底へおぞましい根を張った“ユミーリアの花”に、翼など何対生えたところで意味はない。


 そのことを呪いでもするように、女の腕のようなものが2本、かつて自身で握り潰した肉の幹の樹冠部に、深く爪を突き刺した。


 一対いっついの巨大な腕のようなものが、樹冠部に入れた切り傷を左右に裂き開いていく。肉の引き裂ける身の毛のよだつ音と、吐き気をもよおす汚汁を噴き出しながら、“ユミーリアの花”が――。



「――きゃあぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁあああああっ!!!!!!!!!」



 ――“ユミーリアの花”が、300年前“石の種”に込められた願いとおもいとゆがんだ愛によって世界に縛り付けられた存在が、絶叫を上げた。


 理性を眠らせたその娘が、世界をどのように認識しているのかなど、そんなことは誰にも分かりはしない。


 ただ――。


 ……。


 ただ、“それ”が何の感情の残りくずだったのかだけは、想像できる余地があった。


 ……。


 ……。


 ……。


 “飛ぶ”という本来の存在意義も持たぬ三対さんついの異形の翼が、汚液にただれた“イヅの大平原”に影を落とす。


 とされた天使が生まれ故郷に手を伸ばすように、翼が光の尾を引いて、天を包み込む。


 グネリ。と、その光景が倒錯者の見る幻覚のようにゆがんだのは、かつての魔法院“第8室長ユミーリア”の記憶が、“翡翠ひすいの魔女”に向けた衝動のあらわれであった。


 ……。


 ……。


 ……。



「――きゃあぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁあああああっ!!!!!!!!!」



 そうして、“災禍の娘ユミーリア”の絶叫が、“拒絶”の感情の残り火を顕界させた。

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