26-25 : 翼

 執刀用の小さなナイフが、銀の皿の上に置かれるカチャリという音が聞こえた。



「……興味深いね……君たちは……」



 分厚いカーテンの締め切られた一室で、手元だけを照らす小さなランプのあかりの外側から、“忘名の愚者ボルキノフ”の感心したような冷たい声がした。



「……う……ごぼっ……」



 ランプに照らされた大机の上で、何かのうめき声が聞こえた。



「研究の、しがいがあるよ……」



 “イヅの城塞”――東のまもりの要所を陥落させ、そこを手中に収めたボルキノフは、広大な城塞の中の幾つかの部屋を“実験室”として使用していた。


 窓を閉め切り、邪魔な調度品を押しやり、手頃な大机の上に整頓されていた書類の山を焼き払い、必要であれば壁を崩して2つの部屋を1つにつないだ。自分の頭に描いた作業用の空間が確保されればそれだけでよく、間取りも道具も羊皮紙に欠かれた魔族の情報も、どうでもよかった。


 一際上等な調度品で整えられていたあの部屋は、もしかするといま相見あいまみえぬ東の守護者の執務室か何かだったのだろうか――ボルキノフは鼻歌交じりに“作業”を進めながら、頭の隅で大して興味もないままそんなことを考えた。“試料”を“解剖室”へ動かす導線の邪魔になり、壁ごと崩して全ての調度品を窓からほうり捨てた今となっては、それは振り返ったところで何の意味もないことだった。


 ジャリ。と、大机の上に“試料”を縛りつけている太い鎖が、かすかに揺れて音を立てた。



「やはり、生け捕りにして正解だった……ベルクトという名だったあの“個体”と同じだ……」



 ボルキノフが、ランプに顔を近づけて、ぬっと身をかがめて大机に縛りつけられている“それ”にじっと目を落とした。



「君たちは……単に特別な鍛練を重ねた魔族、というだけではないね……何かが……特別な何かがあるようだ……」



 ブツブツとつぶやきながら、ボルキノフが“それ”に手を伸ばす。愚者の指先が常識外の力でこじ開けられた甲冑かっちゅうの亀裂に伸び、執刀用のナイフで切り開かれた腹の中にねじ込まれる。空っぽになった空間の中でその手がしばらく何かを探すようにまさぐられ、ヌチャリと柔らかいものに触れた気配がすると、ブチブチ、ズルリと、それがねじ切られ、引きずり出される寒気のするような生々しい音がした。



「うぶっ……! ごば……っ!」



 大机の上に縛りつけられた“イヅの騎兵”の1人が、生きたまま解体される苦しみにビクリビクリと全身を痙攣けいれんさせていた。



「この臓器は……何だね? こんな臓物は初めて見る…… 一体何の機能を果たす器官なのかね? 私には、ただの詰め物のようにしか見えないが」



 紫血が滴り、まだ引きずり出したその手の中でドクドクと脈打っている内臓をしげしげと様々な角度から見聞しながら、ボルキノフが興味深そうに言った。


 そして一通り見聞を終えると、ボルキノフは手にしたそれを解体した“部品”の並んでいる皿には乗せず、唐突にがぶりと喰らい付いた。


 グッチャグッチャと気色の悪い咀嚼そしゃく音を響かせて、喰い千切ったばかりの生き肝をみ潰し、時間をかけて味わってから、ゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み込む。執刀用のナイフを拭くための厚手の布で口許くちもとを拭いてから、ボルキノフはふぅと一息つくようにめ息を漏らした。



「ふむ……味は、そうだな……肝臓に似ている。しかし、通常の位置とは全く違う箇所から摘出されたことを考えると……やはり、分からんな」



 そこで興味をなくしたのか、食いかけの内蔵を無造作に床の上に投げ捨てて、ボルキノフが縛りつけられた騎兵の顔をランプで照らした。


 耳を近づけると、兜の奥から息の漏れる音が聞こえた。



「すばらしい生命力だ。体内から臓器を半分以上取り出したにも関わらず、呼吸はおろか意識まであるらしい。興味深い……実に興味深い……その生命力、やはり“石の種”の影響を受けていると考えるべきか……宵落ちる東の地……なるほど、確かにこの地は、特別な場所のようだ」



「はぁ゛……はぁ゛……」



 ランプの光をにらみ返す騎兵の眼光が見える。そこには紫炎の光がゆらゆらと揺れていて、ボルキノフへの抵抗心がいまだ燃え盛っていることを物語っていた。



「大したものだね……だがさすがに、しゃべることまではもうできないようだ。それはそうだろうね。胸部の器官を全て摘出しているのだから」



 ボルキノフが顎に手をやり、思案を巡らせる。



「次は……そうだな、意思の疎通に重点を置いて“解体”してみよう。痛覚の反応を見ながら時間をかけて解剖していけば、未知の臓器の機能について推測できるかもしれない……“試料”はまだ100体近くある。“石の種”の手掛かりをつかむには十分な数だ。焦ることはない」



「ふぅーっ……ふぅーっ……」



 その間も絶えることなく、紫炎の眼光が愚者をにらみつけていた。



「…………」



 その眼光を、ボルキノフがごみを見るような目で見返す。



「君はもう……用済みだ。取り出した臓器も、じきに腐敗する……“処分室”に捨てに行かなくては……」



 冷淡な目が、“解体”され尽くした騎兵の目をじっとのぞき込んだ。



「……ふむ……こうして見ると……なかなか面白い目をしているね……」



「はぁぁー……はぁぁー……!」



「……そういえば、この部位に関してはまだ、“解体記録”を取っていなかったよ……」



 ランプの光が目の前に掲げられ、大机に縛りつけられたたかの目の騎士の視界に、ボルキノフの指がゆっくりと近づいていった。


 ――。


 ――。


 ――。



「……綺麗きれいな眼球だったな。さぞ、よく見通しが利いていたのだろう」



 窓という窓に光を遮る処置が施され、暗闇に落ちた通路を歩きながら、“廃棄”作業を終えたボルキノフが次の実験内容を頭の中で巡らせている。


 ふと、目の前の通路上に、うっかり閉め忘れたカーテンの隙間から月の光が差し込んでいた。


 カーテンを閉め切ろうと、ボルキノフがその場へ足を進めていくと、月の光がゆらりと揺れた。


 何か、窓の外でうごめいているものがある証拠だった。



「ああ……今日は、少し雲が多いからね。月も星も、余り良くは見えないかもしれないな」



 独り言をつぶやきながら、ボルキノフがカーテンの開いた窓辺へ近づいていく。



「――ははっ。そんなことはないさ。君はいつだって神様にお祈りしているじゃないか。今晩はたまたま運が悪かっただけだよ。君の行いが悪いせいなんかじゃないさ」



 物音ひとつしない空間に向かって、愚者が何かを語りかけていた。



「――ん? どれ、どの星座のことだい? 今の季節によく見える星座と言えば、きっと“騎士座”のことだと思うよ」



 窓辺に辿たどり着いたボルキノフが、開きかけのカーテンに手をかける。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――シャッ。


 カーテンの開かれる音が、無音の“イヅの城塞”に大きく響いた。


 ――バサッ。


 窓の外から、何かのはばたく音が聞こえた。



「……ああ……」



 思わず、胸の前で手を組んだボルキノフの頬に、涙が流れた。


 ……。


 ……。


 ……。



綺麗きれいだよ……すごく、綺麗きれいだ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ユミーリア……私の、私だけの、天使様……」



 ……。


 ……。


 ……。


 月の光を遮るように、無秩序に肥大を繰り返した“災禍の娘ユミーリア”の肉体は、今や“イヅの城塞”よりも巨大な姿に膨れ上がっていた。


 機能を持たない出来損ないの臓器が、熱帯植物のような形状の基幹部分の内側で膨張と収縮を繰り返し、時折膨れ上がり過ぎたものが破裂して、濃緑色の体液を地面にき散らしている。


 腕のようなもの、くちばしのようなもの、長い尾のようなもの、蜘蛛くもの脚のようなもの、形状を成す前に体外に飛び出した軟体生物のようなもの……そういった無秩序な部位が、その巨大な花のような存在の核となっているユミーリアの体内から無尽蔵に生成され、それが生え出しては腐り落ちる。そんな悪夢のような光景を前に、時折何かの発作のようにバサリと翼のようなものを生やす、ベルクトを捕食した“ユミーリアの花”を、ボルキノフは「美しい」と呼ぶのだった。



「……早く来たまえよ、“魔剣のゴーダ”……。私は、是非、君のことも“解体”して調べてみたい……」


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