26-23 : “呪い”
ザリザリ……ザリザリ……。
剣先が大地に引き
ザリザリ……ザリザリ……。
それが歩き進む道の後方に、どこまでもどこまでも、1本の
その剣は、自ら
抜かれる必要もなく、収められる必然もなく、ゴボリと泡立つ自らの外皮に
すなわちそれは、片割れだけの身で生まれ落ちたもの。生まれながらにしてあらゆる存在に刃を向ける、安息から見放されたものである。
呪いそのものが形を成したかのような剣。それを従える者もまた、呪いを
――ゴボリ。
もう何度目かも知れぬ、呪剣が泡を吐き出す音が手元に聞こえた。
“人造呪剣ゲイル”。その真紅の刃がズチャリと水音を立てて波打ち、悪夢に見るような
呪いに
ズチャリッ。と、水風船がぶつかり合うような気味の悪い音がして、アランゲイルに牙を向いた呪いの実に、別の枝から生まれ落ちた呪いが喰らいついていた。
「ギギィ!」
「ギシャァッ!」
「ギャァァ!」
人間でも獣でもない叫びと悲鳴、そして断末魔が響き渡り、やがて背後には呪いが呪いを喰らうグチグチという
“人造呪剣ゲイル”――貪り従えるもの。それは魔族も人間も、生者も亡者もあらゆる者を喰らって無数の呪いを生み出す、癒えない飢えに
昼夜を問わず、その生まれながらに呪われている剣は、どこかの伝承に残る自食の蛇のようにのたうち回り続けていた。
「……うるさい……」
ザリザリ。と、
「うるさい……うるさい……うるさい……
“人造呪剣ゲイル”だけでなく、自らの足も鉛の塊のようにずるずると引き
頬は
「うるさい……うるさいぞ……。誰ぞ……誰ぞいないのか……さっさとこの畜生を黙らせろ……」
アランゲイルの
「誰ぞ、返事をしろ……次の王となる、この私の声が……聞こえんとは言わさんぞ……」
……。
……。
……。
王子の、次代の王の背中には、誰の声も聞こえてはこなかった――“明けの国騎士団”のわずかに残った銀の騎士たちの喝采もなければ、“特務騎馬隊”の人ならざる
聞こえるのは、ただ知性も理性も野生すらなく、ただ内に宿した呪いのままに叫ぶ音だけ。真紅の醜い果実が立てる、ズチャリズチャリというおぞましい水音だけだった。
「……ああ……そうか……」
1歩、また1歩と足を踏み出しながら、アランゲイルが思い出しように独り言を
「皆、“そこ”にいたのだったな……」
熱に浮かされた眼がゆらりと手元を見やると、そこにはただ、一振りの真紅の剣があるだけである。
「ゲイル……この醜く飢えた剣の腹を少しでも満たせば、この
宵闇の中を、そうして“王子アランゲイル”は、たった1人で歩き続けているのだった。
呪われた産声を上げる
そしてその果て、ここにあるのは、孤独のみ。
「……くく……くくく……」
アランゲイルが、髪をくしゃくしゃに
「ああ……実に、身体が軽い……」
眠りを忘れ、呪いを背負い、歩き続けるより他にない孤独な人間に成り果てた王子の身体は、岩の塊のように重い。しかしアランゲイルの心の内は、これまでにないほど軽くなっていた。
「……世に、このゲイルと同じく、目に見える呪いがあるとすれば……あの場所こそ、呪いそのものだった……」
深く暗い脳裏に、王子が“呪い”と呼ぶ情景が浮かび上がる。それは
――。
――。
――。
幼い少年の目に焼き付いた、1人の父――“明けの国”の王の姿。そして、2人の母――どちらもが“母”と名乗る、2人の女。
“2人の母”の内、1人は少年を生んだ母であり、もう1人は少年の乳母としての母だった。
少年は、どちらの母も嫌いだった。
生みの母は、少年に話しかけているときも、彼を見てはいなかった。少年はいつも、母が自分の背中越しに立っている見えない何かに話しかけていることを知っていた。愛想良く語りかけてくるときほど、少年が
生みの母が大事にしていた銀の縁の鏡を割ってしまったとき、その女は少年のことを
乳母としてのもう1人の母の瞳には、生みの母よりも頻繁に少年の姿が映り込んでいた。いつも自分のことをじっと見つめてくれるその女のことを、少年は生みの母よりは幾分か慕ってはいたが、なぜか心を開くことまではできないまま、年月だけが過ぎていった。
肌寒い夜、少年を寝かしつけた後、乳母がよくベッドを抜け出して肩のはだけた薄着姿のままどこかへ消えていくのを少年は知っていた。少年は1度だけ、そのことを乳母に尋ねたことがあったが、それを聞いたあの女の引き
生みの母が、少年の見ている前で乳母に花瓶を投げつけて、何かを叫んだ後にふらりと倒れ、侍女たちに運ばれていったのは、夜どこに行っていたのと尋ねた少年に、乳母が引き
乳母と同じ
生みの母のひっそりとした国葬の最前列で、少年は大人たちの目に奇妙に映らない程度に悲しそうな表情を浮かべて
シェルミアは――
――シェルミアを、
――。
――。
――。
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