26-22 : 酷い人

 ――ズルッ。


 転位魔法をまとったローマリアの右手の指先が、ゴーダの甲冑かっちゅうの中に音もなくめり込んだ。


 胸当ての装甲を越え、魔女の指が暗黒騎士の胸に直接触れる。


 ――ズリッ……。


 皮膚に触れられ……血管をでられ……肉と骨にまで、ひやりとした感触があった。



「ハッ……ハッ……。……っ!」



 胸部に、体内にズブズブと沈んでくるローマリアの手の感触に、ゴーダは息をすることも忘れていた。はりつけにされている激痛すら消え、異様にはっきりとしている意識はただ、ゆっくりと身体を侵してくるローマリアの手だけを捉えている。



「……ゥ……や、め゛ろ……ロー、マ゛リア……っ」



 ……。


 ……。


 ……。


 ――ズロッ。


 胸の奥深くに食い込んだローマリアの冷たい手に、直接心臓をつかまれたのが分かった。



「!……ァ゛……ッ」



嗚呼ああ……貴方あなたの心臓……とても、暖かいのですね……熱くて、火傷やけどしてしまいそう……」



 テーブルを越えたローマリアが、椅子に串刺しになっているゴーダの胸の中に、凍えた小鳥のように身を寄せる。転位魔法を応用して暗黒騎士の体内に侵入した魔女の手は、肉と骨と鎧とに一体化していて、どこからが男の肉体で、どこからが女の身体なのか、境界線が分からなくなっていた。


 ゴーダの心臓を文字通り物理的に鷲掴わしづかみにしたローマリアの手に、ギリギリと次第に力が込められていく。脈動が阻害され、血流が細くなり、爪先からだんだんと身体が冷えていくのが分かる。それに反比例するように、暗黒騎士の心臓は懸命に血を巡らせようと、バクバクと脈拍数を上げていく。


 目を閉じたローマリアが、警戒心を完全に解いて、ゴーダにふっと身を委ねた。



「ゴーダ……こんなに近くに、貴方あなたを感じます……貴方あなたの身体、貴方あなたの熱、貴方あなたの鼓動……。ずっと、貴方あなたとこうして、身体を重ねて温め合いたいと思っていました……ひとつになりたいと、思っていました……」



「……っロ゛ー……マ、ッリ゛ア……っ」



 朦朧もうろうとする意識の中、ゴーダが唯一自由の利く無傷の右腕を上げ、胸の中に身体を預けているローマリアの肩にそれを回した。


 そして魔女の折れてしまいそうな身体をぐっと抱き寄せた先で、暗黒騎士のその右手は、腰につるした刀の柄を握り締めていた。



「……ふふっ……えぇ、そうです……貴方あなたのその刃で、わたくしを殺して下さい……わたくしも、貴方あなたのことを、殺してあげますから……」



 ズッ。と、身体の奥深くで、心臓にローマリアの爪が食い込む感覚があった。



「っ……ゴぶッ……」



 どこから噴き出したのかも分からない血が、口の隙間からボタボタとあふれ出していく。


 その血の滴る音に混じって、刀がさやの中を滑るサァーっという静かな音が聞こえる。



「一緒に、死んでください……わたくしを、この呪いから解き放って……そして自由になった魂で、貴方あなたそばに、ずっと寄り添わせてください……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……あ……ァ゛……そう、ダな……」



 月光を受けて、“蒼鬼あおおに・真打ち”のあおい刃が、うっすらと紫色に輝いた。


 ……。


 ……。


 ……。



「ゴーダ……ずっと、貴方あなたのことを――お慕いしています……」



 ……。


 ……。


 ……。



嗚呼ああ……最期に、やっと……素直に、なれました……――」



 ……。


 ……。


 ……。


 そして、魔女の手に肉を握り潰すほどの力がぐっとめられ、ドクリと最後の脈動を打った暗黒騎士の心臓が、鼓動を止めた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――カタン。


 その音は、抜きかけの柄から手を離された刀が、さやの中に滑り戻った音だった。



「……」



「……っ」



 “蒼鬼あおおに・真打ち”から離れたゴーダの右手はローマリアの頭をつかみ、ぐっとその顔を引き寄せた先で、吐き出した血に塗れた唇が、魔女の口を黙らせていた。



「……」



「……」



「…………」



「……ン……」



 その強引さに抵抗するように、ローマリアの指がゴーダの心臓に食い込むゴリッという音が身体の内側から聞こえた。


 喉元を上ってきた血が、押しつけた唇を通してローマリアの中に流れ込む。



「んっ……」



「……」



 重なり合った口許くちもとからこぼれた紫血が、魔女の首筋をらして、真っ白なローブに染みを作っていった。



「…………」



「…………」



 意識が、遠のいていく。ゴーダの目の焦点はとっくに合わなくなっていて、ぼやけた視界の隅の方からだんだんと暗い影が広がってきて、視野をどんどん狭めていった。


 自分が何をしているのかも分からなくなり、ただ柔らかく湿った人肌の感触だけが浮遊している。


 まぶたが重くなり、ローマリアを抱き寄せていた右腕からもとうとう力が抜け、それが重力に引きられるままだらりと落ちていく。


 ……。


 ……。


 ……。


 ゴーダの意識がぶつりと途切れたのと、ローマリアの脱力した手がズルリと暗黒騎士の体内から抜け落ちたのとは、全く同じ瞬間の出来事だった。



「――……――……。…………ッ!」



 心臓がドクンと一際大きく脈打って、その1回の脈動で送り出された血が、ゴーダの消えかけていた意識をつなぎ止めた。



「……う゛っ……! はぁっ!……はっ!……はぁっ!……っ!!」



 肺が空気を求める余り、全身がはじけ飛びそうだった。動き出した心臓が狂ったように激しく鐘を打ち鳴らし、それに合わせてこめかみがズキズキと痛んだ。


 青い顔をしたゴーダが荒い呼吸で肩を上下させながら視線を上げると、そこには両肩をすとんと落として呆然ぼうぜんとしているローマリアの姿が合った。



「?……?……え……?」



 ローマリアが、湿った自分の唇に指を伸ばす。ゴーダの心臓に爪を立てたその手は、血塗ちまみれになっていた。



「……え……?……何を……? 何を、なさるの……?」



 何が起きたのか理解できないといった顔で、魔女がぽつりとつぶやいた。



「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……こ、れが……」



 いまだ呼吸と脈拍の落ち着かないゴーダが、息の切れる合間に途切れ途切れの言葉をつないでいく。



「……こ、れが……はぁっ……二百、ごじゅ、うねん……ぶんの……っ……“俺"の……清算だっ……たわけ……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「……嗚呼ああ……――」



 ローマリアが顔をうつむけて、前髪の下に目を隠す。それだけでは足りない様子で、魔女は両手を目元に当てて細い身体をふるふると震わせた。


 250年前に見たのと同じ、女の涙が、頬を伝い落ちていく。



「……ひどい人……ひどい人……! ひどい人! ひどい人っ!!」



 涙に声を震わせて、ローマリアが叫んだ。



「――貴方あなたひどい人ですわ! どうしてこんなことをなさるの?! こんなことをされたら……わたくし……わたくし……!……――もう、貴方あなたのことを……殺せないではありませんか……」



「……。お互い様だ……俺だって、今まさに、お前にひどい目に遭わされてるんだからな……」



 串刺しにされた左手と両脚に目をやってから、ゴーダがローマリアをじっと見つめる。



「……決戦前、だというのに……お前のお陰でボロボロだ……責任、とってくれるんだろうな……?」



「……貴方あなたは……貴方あなたの方こそ、どうですの……――」



 目の上にかぶせた指の隙間から、ローマリアが上目遣いにゴーダを見た。



「わたくしを、夢から引きり下ろした貴方あなたは……わたくしを、

また“ここ”に縛り付けた貴方あなたは……どう、責任をとりますの……?」



 ……。


 ……。


 ……。


 じっと見つめ合ったまま、2人はそこから一言も口を利かなかった。


 ……。


 ……。


 ……。



「……。“不毛の門”で、亡者どもの人影の間に、幻を見たよ……」



 その沈黙を破ったのは、ゴーダの声だった。



「“そいつ”には、言っていたんだが……ああ、“お前”には、言っていなかったな……」



 ……。


 ……。


 ……。



「俺は……お前のことが、嫌いだよ、ローマリア……お前のことが、何よりも1番嫌いだ……。俺は、生涯……お前のことが、他の誰よりも、大嫌いだ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ふふっ……うふふふっ……」



 ゴーダの言葉を聞いて、ローマリアが顔をうつむけたままクスクスと笑い始める。



嗚呼ああ、本当に……どうしてわたくしは、こんな男のことを……」



 呼吸を整えるように深く息を吸い込んで、ローマリアが涙を拭いて、目元から手をどける。そしてそこから上げられた顔には、先ほどまであったあのはかない少女のような表情は消えていた。



「ゴーダ……わたくしからも、貴方あなたに言いたいことがありますわ――」



 ――。


 ――。


 ――。


 出逢であった記憶は忘れはせずとも色せて、穏やかに過ごした日々は暗い過去に塗り潰れている。裏切られた憎しみは癒えず、置いていかれた恨みが消えることもない。


 思い出と感傷に絡め取られて、やがてそのゆがんだ枝先に空っぽの実をつけたまま腐り落ちていくならば、いっそ殺してしまいたい。いっそ、1度は焦がれたその手でもって殺してほしい。


 しかし、それでも満たされない何かがあった。この身をき尽くす男と女の感情が、死しても足りぬと暗い底からささやきかける。


 250年。この怨恨、誰にも分かりはすまい。


 恨み続けた250年――それは誰の手も届かない、2人にしか分からない、2人だけの250年なのだから。


 その静かにくすぶり続ける暗い炎を前にすれば――千年の恋すら、生ぬるい。


 ゴーダを見つめるローマリアの顔が、グニャリとゆがむ。そこには、あの見慣れた、見下すような嘲笑が満面に浮かんでいた。



「わたくしも、貴方あなたのことが――この世界で1番、大嫌いです……」


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