26-21 : 250年の、清算

「……いや……何でもない」



 随分な間を置いて、ゴーダがようやく言葉を返した。



「ふふっ、わたくしが拒否すると思っていましたのね?」



「……」



「うふふっ、可愛かわいい人……。わたくしの転位魔法で、後方支援――正確に言えば、中央と東方への長距離精密転位。それがお望みなのでしょう? 別に、わたくし自身が前線に出ても構いませんのよ……貴方あなたがそうしろとおっしゃるのなら、援護もいりません。独りは、慣れていますもの」



「……」



貴方あなたが望むのなら、わたくしは何だってして差し上げます――例えば魔法を学びたいと言うなら、一から教えてあげますわ。」



 ……。



貴方あなたの知らない古代文字を、その秘密を伝えることもできます」



 ……。



「わたくしの身体が欲しいのなら、いつでも貴方あなたの好きにしてくださっていいのよ」



 ……。



貴方あなたが私に、貴方あなたのことを恨めと言うのなら、その通りにします……」



 ……。



「死ぬまで戦えと望むなら、わたくしは誰であろうと喜んで殺してみせますわ……世界の全てを滅ぼすまで。それだけではありません――」



「――やめろ!」



 無表情のまま淡々と言葉を並べていくローマリアを、ゴーダがたまらず制止していた。



「……えぇ、やめますわ。それが貴方あなたの願うことなのね?」



 ゴーダの言葉に従うように、ローマリアがぴたりと口を噤んだ。



「……どうした……ローマリア……」



 思い悩むように片手を額にやって、ゴーダがぶつぶつと言った。



「どうもしませんわ……250年前のあの日から、わたくしはずっと、貴方あなたの言葉に従っているだけです」



「違う」



「違いませんわ」



「違う!」



 語気を荒らげたゴーダが、思わずテーブルに拳をたたき付けた。



「そんな、とってつけた理由で自分を偽るな……私とお前のこれまでを、無意味にするな……!」



「……」



「私は……お前のことが嫌いだよ、ローマリア」



 ……。



「だが、私が嫌いなのは……いつも周りを見下すようにわらっている、250年前に私の気持ちを裏切った、かつて私の師匠で憧れの人だった、“三つ瞳の魔女”だ」



 ……。



「今のお前は……私が大嫌いな、“翡翠ひすいのローマリア”の成れの果てですらない……ただの空っぽな人形と同じだ」



「…………」



「答えろ、ローマリア……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「……むなしく、なってしまいましたの」



 ふわりとした微笑の隙間から、“三つ瞳の魔女ローマリア”の声が聞こえた。



「異界からの魂の召還をして、わたくしの転位魔法の研究は完成の域に限りなく近づきました。それから取る気のなかった“弟子”を取り、その“弟子”のお陰で諦めていた治癒魔法の知識を得ることもできました」



「……」



「わたくし以外の誰の立ち入りも許してこなかった“鐘楼”に、初めて人を招き入れ、胸が高鳴る経験もしましたし、とても穏やかな時を過ごしもしました。特別な、感情を……抱いたこともありましたわ」



「……」



「そしてその“弟子”の“師匠”であり続けるためにと、この眼と身体を、理を外れたものたちへささげました……。そうして、全てを――わたくしが大切にしていた全てを……その全てを失ってでも欲しかった、たったひとつの気持ちまで――失う絶望も知りました」



「…………」



「ふふっ」



 魔女が、じっとテーブルの上に両手を置く暗黒騎士の兜に、その頬に左手をやり、何度目かのあのはかなく美しい表情でふわりと笑ってみせた。



「ここに残ったのは、思い出――わたくしの脳をのぞき込むこの“星の”が見せる、正夢のように色せない思い出……。それと、消えない後悔と憎しみと……貴方あなたも傷ついたという、わたくしと同じように傷ついてくれたという、ゆるされようのない、無価値な救いだけです」



 ……。


 ……。


 ……。


 沈黙が、胸を締め付ける。


 ……。


 ……。


 ……。


 次にローマリアが口を開いたのは、暗黒騎士の兜に触れるその白い手に、ゴーダが手を近づけたときだった。



「――それでもいいと、思っていました……それだけで十分だと、信じていました」



 ゴーダの手が、ローマリアの手と重なろうとしたその瞬間、その静かな声が、暗黒騎士の身体をぴたりと金縛りのように凍り付かせていた。



「人間の、女――わたくしと同じように、他者の特別な感情に絡め取られた女。その女が、過去を断ち斬る瞬間を見ました……“ここ”に250年もいるわたくしの、ずっとずっと先へ進んでいくのを、見せつけられました」



 ……。



「……ねぇ? ゴーダ」



 ……。



「あれが、成長する、ということですの?」



 ……。



「そうであるなら、“ここ”に残ったわたくしの……“ここ”から動けないわたくしの……ローマリアという女の中でうごめいている“これ”は……この感情は、何ですの……?」



 ……。


 ……。


 ……。



「ねぇ、ゴーダ……“答えて?”」



 魔女の瞳に映る夜空よりも暗い感情が、焦げ付いた貸しの代償を要求していた。


 ……。


 ……。


 ……。



「…………」



 魔女のその問いかけに、暗黒騎士は沈黙を返すことしかできなかった。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――私には……それに答える、資格がない……。



 ……。


 ……。


 ……。


 ――ズッ。


 そうして気づいたときには、ナイフが手甲も肉も骨も貫いて、ゴーダの左手をテーブルにくぎ付けにしていた。



「……っ……」



 ギリッ。と、ゴーダが兜の奥で歯を食い縛った。ローマリアの転位魔法によってその空間に出現した1本のナイフは、あらゆるまもりを跳び越えて暗黒騎士の手に突き立っていた。どくりとあふれ出た紫色の血が、テーブルの上に生暖かい血溜まりを作り、石畳の床に滴り落ちる。



「……貴方あなたおっしゃった通りです……」



 突き立ったナイフに指をわせながら、ローマリアがあの穏やかな表情でささやきかける。魔女の指先にすっと細い傷が付き、それが冷たい刃を伝って暗黒騎士の血と混じり合っていく。



「ローマリアという女は、この250年の間、空っぽだったのです……わたくしは、それを思い知らされてしまった……」



 ナイフの柄に、うっすらと血にれた魔女の白い指先が触れ、ふわりと優しくそれを包み込んだ。



「“翡翠ひすいのローマリア”は、こんな女ではありませんでしたわ……。“あの女”は、もっとずっと、自分にしか興味がない女でしたもの……」



 ――グリッ。



「そうですわね……“変化”を“成長”と捉えるならば、貴方あなたにいつからか心奪われていた“あの女”は、確かに成長していたのでしょうね……」



 ――グリッ……グリッ。


 ゴーダの左手に突き刺さったナイフを指先で弄び、その傷口をえぐりながら、ローマリアが自分の記憶をまるで他人の身に起こったことのように言った。



「……っ」



 神経に刃が触れると、ピリっと全身を駆け抜けるような鋭い痛みが走る。そのたびに、5本の指先が自分の意思とは無関係に、ピクリピクリと出鱈目でたらめに動き回った。



「わたくしは、空っぽなのです……わたくしの中には、誰もいないのです……“あの女”は、貴方あなた此処ここを去ったときに、貴方あなたと一緒にわたくしから出て行ってしまったのです……」



 ……。



「……っ……ロー……マリア……っ!」



 ……。



「ねぇ……ゴーダ……?」



 魔女が、再びはかない表情で暗黒騎士に問いかける。



「250年は、永すぎました……わたくしは、成長したい……“ここ”よりもずっと、その向こう側へ……」



 ……。



「ゴーダ……“そこで、見ていて”……わたくしのことを……」



 そしてローマリアがふわりと笑い、ティーカップがその口許くちもとに持ち上げられていく。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ガシャン。


 はじき飛ばされたティーカップが、石畳の上に落ちて真っ二つに割れる音が響いた。



「…………」



 ローマリアがゴーダに横顔を向けて、石畳の上に飛び散った茶の染みをじっと見つめる。



「……何をなさるの?」



 正面を向き直った魔女が、夢を見ているようなぼんやりとした顔をかしげて、暗黒騎士をじっと見つめた。



「目の前で……っ……自分に毒を盛って……死のうとしている奴を止めるのに……理由がいるのか……っ………」



 左手をナイフに貫かれた痛みに耐えながら、ゴーダが糾弾するように言った。



「……嗚呼ああ……」



 ローマリアがすっと目を細めて、大して関心もなさそうにテーブルの上に置かれたままのティーポットに目をやった。



「……気づいていましたの……」



「“無味無臭の致死毒”とやらが入っているのは……その茶の方だろうが……!」



 そう言い終わるより先に、ゴーダの右手にむんずとつかまれたティーポットは、床の上にたたき付けられ、粉々に砕け散っていた。



「……」



「……」



 くぎ付けにされた左手が、ぐっと拳を作った。



「そんなことが……! “成長”であるはずがないだろう……愚か者……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ふぅん……」



 魔女の冷たい目と、はかない微笑が、暗黒騎士の目を射貫く。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ですけれど……死ぬことと、“ここ”に残り続けること……そこに、どれだけの違いがあって?」



 ……。


 ……。


 ……。



「わたくしは、ただ、“見ていて”と、貴方あなたにそうお願いしましたのに……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……そう……そうですか……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……なら……」



 ……。


 ……。


 ……。



「この250年の清算……貴方あなたが、返して……?」



 ……。


 ……。


 ……。



「――ローマリアっ……!」



 ガタッ。と、激情したゴーダが椅子から立ち上がり――。


 ――ズォッ。


 否。立ち上がろうとしたその瞬間、暗黒騎士の両脚は、それを貫いた2本の剣に串刺しにされていた。



「っ!!……ぐっ……ぁぁ゛……っ!!」



 ローマリアが紫血にれたテーブルの上に身を乗り出して、椅子にはりつけにされたゴーダに顔を寄せた。



「……駄ぁ目。動かないで下さいまし……」



 突き刺さった剣先が、見る見るうちに血で染まっていく。左手と両脚を無残に固定され、ゴーダは身じろぎひとつできなくなっていた。


 白く細い両手が兜に伸び、ゆっくりとそれを持ち上げていく。あらわになった暗黒騎士の素顔に向けて、魔女が無垢むくな少女のように微笑ほほえみかけた。



「はぁっ……はぁ゛っ……!」



 痛みをみ殺し、額に脂汗を浮かせたゴーダが、ローマリアをにらみ返す。


 魔女の冷たい指先が、頬に直接触れた。



「ゴーダ……わたくしは……“ここ”から先へ、進みたいの……」



 ……。



「250年前……貴方あなたはわたくしを殺してくれなかった……ほら、今だって、右腕だけは自由なままにしてあげていますのに、貴方あなたは何もしてこない……何も、してくれない……」



「はぁっ……はぁっ……っ!」



 ……。



「それなら……せめてわたくしが自分で命を絶つところを見ていてほしかったのに……貴方あなたはそれも許してくれない……」



 ……。



「それは、つまり……貴方あなたが、わたくしのために――」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



貴方あなたが、わたくしのために……死んでくれる。そういうことよね……?」


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