26-12 : 影の枝
「…………」
――『…………』
エレンローズの一切の声が止まる間が、数秒あった。
「うふふっ……ロラン様ったら、双子の姉の
高ぶる感情が腹の底から
夜空に
そして身体を
無数に枝分かれした、ただ濃い影のように暗いだけの存在がグニリと
「……っ」
エレンローズが、動かない左腕と左側面を
その不気味で理解の及ばない存在をまじまじと見ると、やはりそれでも、それはどこまでも影と闇と暗がりでしかなかった。
空中に、空間に木の枝のような影が浮いている。ただそれだけである。影を映し込む媒介もなく、影を発生させている本体もなく、ただ影だけがそこにある。生物なのか無機物なのか、物理的な現象なのか魔法の類いなのか、そもそも本当にそこに存在しているのかあるいはただの目の錯覚なのか――そんな基本的なことすら、判然としなかった。
そんな“何か”の得体の知れなさに判断が鈍ったことと、影の枝が何の前触れもなくグネリと新たな枝を伸ばしたことが重なって、エレンローズは次の身体の反応が一拍遅れた。
右腕に、新たに枝分かれした細い影が
「ぅ……っ!」
何も感じなかった。感触も気配もない。熱も冷気もない。ただ何か、とても弱い力で引っ張られるような感覚があった。その感覚にしても、身体の外側から受けている力というよりも、体内から自分の意思とは無関係に身体が勝手に動こうとしているような、言葉にし
反射的に、本能的にエレンローズは影の巻きついた右腕を振り払う。影の枝は何の手応えもないまま空中にできた影法師を千切らせて、その断片が風もないのにヒラヒラと舞って夜空の暗闇の中に溶けていった。
痛がっているのか、それとも怒っているのか、影の枝がグネグネとのたうち回り、そして次の枝を伸ばす。それに合わせてエレンローズが
がくり。と、急激に全身から力が抜けていくのを感じたのはそこからだった。
手応えもないまま小さな断片に千切れて、
「ぁ……かはっ……」
いつの間にか、ぜぇぜぇと息切れを起こしていた。空気が薄くなったであるとか、首が締め付けられたというようなことではなく、エレンローズ自身が呼吸することを失念していた。必死に空気を吸い込むという行為を意識してみるが、今までどうやってその生命を維持するための基本的な動作をこなしていたのか、全く思い出すことができなくなっていた。
辛うじて窒息しない寸前のところで、ヒューヒューと効率の悪い呼吸を繰り返す中、エレンローズは自分の胸元に手を当ててみる。違和感を確かめるように、手のひらに意識を集中する。
鼓動が不安定になっていることに、まず気がついた。そして次に、自分の心臓がどうやって動いていたのかが分からなくなり、小さな恐慌状態がやってくる。完全に無意識下で血を全身に送り出していたはずのその臓器に対して、今は「動け動け」と全神経を注力して念じ続けなければならない有様だった。
そして、その違和感に戸惑い、あるべき状態を意識している自分自身の自我そのものが、虫食いにあった羊皮紙のようにぶつ切れになり始めていることを、エレンローズはぼんやりとした思考の中で確認し、確認したはずのその認識自体を忘却することを繰り返し始める。
五感と、それを統合する意識、さらには無意識の部分まで溶けていく。意味を失っていく。
それがこの
「アははははははっ。
興奮した笑い声を上げながら、右目を手のひらで隠したままのローマリアがうっとりと影の枝の幹と思われる箇所に頬ずりする。
「それがわたくしの“星の
魔女が左手を伸ばし、誘惑するように指を踊らせる。
「ぁ……かっ……?……?」
全身に付着した影の胞子に侵食され、力の入れ方が分からくなった肉体を抱えたエレンローズは、
「うふふっ……さぁ、ひとつになりましょう? λιλι……」
……。
……。
……。
……――■◆□。
「……!」
瞳孔が開き切り、何も写し込んでいなかったエレンローズの灰色の目に、一瞬だけ理性の光が戻った。
「……あら……?」
その変化に勘付いた魔女が、
ダンッ。と、“第3概念”の
「また、わたくしの
ふっとローマリアの顔から嘲笑が消え、代わりにそこには興醒めしたとでも言いたげな冷たい無表情が現れた。
興味をなくした
そしてエレンローズは――魔女の横をすり抜けて、影の枝の幹へと、意識を溶かす暗がりの中へと自ら飛び込んだ。
「!
影の枝の中に消えていく直前、魔女の白い手の下で開かれた“星の
……。
……。
……。
――『……ロラン』
……。
……。
……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます