26-6 : 大義なき言葉

 ――。


 ――。


 ――。


 ……。


 ……。


 ……。



「……おもてを上げよ」



 “少女の姿をした何か”のその声を聞き、そこに会した一同が、ゆっくりと顔を上げた。



「……宵と明けの均衡は、いまよどみ、乱れておるな」



 誰に向けるというでもなく、リザリアがぽつりと独り言のように口を開いた。



「夜にの昇るようなことがあってはならぬ。昼に月の光がそそぐようなこともあってはならぬ。余は淵王……“くらき淵の者”……何故なにゆえ、明けの光に生まれた子らが宵闇を欲する……。余には、分からぬ」



 ゆっくりとまばたきをした“淵王リザリア”に感情はなかったが、その仕草はかすかに何かを憂いているようにも見えた。



「……。陛下」



 そう口火を切ったのは、東の守護者“魔剣のゴーダ”だった。



「何か」



「早急に、お耳にお入れいただきたいしらせがございます」



「よい、申せ」



「は」



 ゴーダの脳裏に、“烈血れっけつのニールヴェルト”の狂人のようなわらい顔がぎった。



「“明けの国”が、人間が、“宵の国”領内に踏み入ったようにございます。恐らく少数ではありますが、南方のまもりを突破されたものと」



「っ……!」



 背後で、シェルミアが思わず息をむ小さな音が聞こえた。



「……カースはどうなっておる」



「こちらで把握している情報の限りですが、カースが破れた訳ではないでしょう。“森”への侵入者を討ち損じたものと思われます」



「ならばよい。要のまもりが崩れておらぬならば、それでよい」



 眉一つ動かさず、リザリアは相変わらず頰杖ほおづえを突いた姿勢のまま、淡々とゴーダと言葉を交わした。“むしばみのカース”の守護する南方、“暴蝕ぼうしょくの森”が健在であることを確認すると、“宵の国”へ人間が侵入した件については大した関心を示してはいないようだった。



「越境した残党については、こちらに御一任いただきたく」



「任せる。全権はうぬの望むようにすがよい」



「は、では――」



「――待って下さい……!」



 ……。



「……待って下さい、ゴーダ卿……“宵の国”の王……」



 謁見の間の後方から発せさられた“明星みょうじょうのシェルミア”の声が、ゴーダとリザリアの交わす言葉の間に割って入っていた。



「シェルミア……」



 淵王の前にひざまずいたまま、ゴーダがシェルミアを制止するように、後ろを振り返りながら言った。その視線の先に、絶対君主の玉座を前にしながら自分の足で直立している姫騎士の姿を目にして、暗黒騎士は兜の奥で目を丸くした。



「……なんじに物申してよいとは、言っておらぬが」



 その金色の瞳でシェルミアのあおい瞳をじっとのぞき込みながら、リザリアが無機質な声で言った。



「……っ」



 作り物のように生気のない淵王の視線を一身に受けながら、しかしシェルミアは“少女の姿をした何か”から片時も目をらさず、ただじっとそれを見返し続けた。



「……エレン……これは私の勝手です。貴女あなたまで巻き込むような真似まねはしたくありません」



「…………」



 淵王とシェルミアの間に分け入るようにして、エレンローズもその場に立ち上がっていた。まるで自分の身を盾にするように右腕を横に広げて目の前に立っている女騎士の背中に、シェルミアが半ば懇願するように言葉をかけたが、エレンローズはその場から1歩たりとも動こうとはしなかった。



「…………」



 立ち上がった2人の人間を、“淵王リザリア”が頰杖ほおづえを突いたまま見やり続ける。



「…………」



 “右座みぎざの剣エレンローズ”が、身じろぎもせず最前に立ち続ける。



「…………」



 エレンローズの覚悟を認めた“明星のシェルミア”も、それ以上は何も言わず、耳の痛くなるような沈黙と静寂が続いた。


 ……。


 ……。


 ……。



「……退屈せぬな」



 謁見の間に下りていた無音を破ったのは、リザリアの声だった。



「『気遣いは不要』と、余は確かに言った。余の言葉は絶対である……――よい。なんじらが申すを聞こう、“明けの国”の子よ」



 ……。


 ゴーダが張り詰めた意識をほっと緩める気配を感じながら、シェルミアは言葉を選び、そして再び口を開けた。



「……シェルミアと、名乗らせていただきます。これはエレンローズ――私が最も信頼を置く騎士です」



「そうか。良き騎士を持っておるな、シェルミアとやら」



「我が騎士の忠義と、御身の恩情に感謝いたします」



「よい」



 リザリアが、頰杖ほおづえを突く姿勢を変えることなく、優雅な動作で小さくうなずいてみせる。



「して、余に何用か」



「……無礼を承知の上で、申し上げる」



 シェルミアが1歩前に足を運び、エレンローズの横に並び立って、迷いを振り払った目で淵王をまっすぐに見た。



「ゴーダ卿の言う、貴国の領土を侵しているという我が国の騎士団について――その処遇を、この身に預けていただきたい」



 ……。


 ……。


 ……。



「……余に対して、世迷よまい言と知っての上での言葉であろうな、人間よ」



 リザリアの感情の欠落した顔の上で、ほんのわずかだけその目が細められたように見えた。



「余を、この“宵の国”の王と承知した上でのれ言であろうな」



「無論。先に申した通り、無礼と知ってのこと……れ者と罵っていただいて結構」



「その心は何や」



 淵王の言葉が、てついた刃のように突き刺さる。うそ詭弁きべんも、通用しないのは明白だった。


 自分とエレンローズの命は今、この作り物の少女のような存在を前に、その手のひらにすら乗るに値しないのだ。王のたった一言で、ここにいる東と西の守護者は即座に私たちを殺すだろう。友好的なゴーダであろうと、顔色ひとつ変えることなくこの首を斬り落とすだろう――シェルミアには、はっきりとそれが分かっていた。


 だからこそ、シェルミアは何も隠すことなく、全てを打ち明けた。



「貴国に踏み入った我が国の騎士団を率いているのは……我が父の血を、“明けの国”の王の血を半分に分かつ、私の兄です」



 これまでに見聞きしてきたことと、妹としての直感が、それ以外にあり得ないとささやいていた。



「続けよ」



 淵王の平坦へいたんな声が、シェルミアの言葉を促した。



「この身はかつて、騎士団を統べ、王を継ぐと約定を交わした身でした。今はそのどちらも持たぬ、ただ罪を負うだけの女の身ですが……それでも、だからこそ……身内の過ちは、この身でもって正させていただきたいのです」



「話にならぬ。その者らは既に“宵の国”の内におる。ならばそれを裁く権利はなんじにではなく余にあろう。なんじの言葉に、大儀などない」



「…………」



 そう言いながら“淵王リザリア”が顎を上げ、シェルミアを見下ろすように視線を投げた。



「答えよ……人間。その返答によっては、余への侮辱とみなす」



 金色の瞳が、魂まで見透かしてくるようだった。


 ……。


 ……。


 ……。



「……その通り。ここにはもう、大儀などとっくにありはしない……」



 ……。



「ここにあるのは……父の血だけを分かち、母を異とした片割れの兄妹の、すれ違いの果てに巡ってきた清算だけです。おっしゃる通りです、“宵の国”の王……これはただの、私の我がままです」



「…………」



 ……。



「兄と……アランゲイルと、決着をつけさせてください。その場所が“宵の国”であろうと、“明けの国”であろうと、私にはどうでもよいのです」



 ……。



「…………」



「…………」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「……人間とは、分からぬものよな」



「同感です」



「――……ふっ」



 ……。


 ……。


 ……。


 スッ。と、リザリアが視線を動かした。



「ゴーダ」



「は」



「命じた通りぞ。如何様いかようにでもするがよい」



「仰せのままに」



「うむ」



 ……。


 ……。


 ……。



「シェルミアよ」



「はい」



「聞いての通りぞ。裁定はこの“魔剣のゴーダ”に委ねた。余の言葉は絶対である」



「……重ねて、御身おんみ寛仁かんじんに感謝申し上げます」



「2度も言わずともよい。なんじの手で、人の手で収めてみせよ」



 リザリアの金色の瞳が、エレンローズの帯びた“運命剣リーム”をちらと見た。



なんじの、王に届き得なんだ器の行く末を、この目に収めておきたくなっただけのことよ」

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