26-7 : 古巣へ

うぬらの方から他に申すことはあるか」



 玉座の上から、“淵王リザリア”が問うた。


 “宵の国”の絶対君主を前にして、口を開こうとする者も、立ち上がろうとする者も、もういなかった。



「ならばよい。此度こたびは騒がせた。大儀である」



「「は」」



 リザリアのねぎらいの言葉に、ひざまずいたままのゴーダとローマリアがおごそかに返礼した。


 心なしか、謁見の間に下りる沈黙と重圧が軽くなっているように感じられた。



 ――全く……今回ばかりはいよいよ肝が冷えたぞ、シェルミア……。



 ゴーダが張り詰めていた気を解きながら、思いを巡らせる。



 ――本当に、とんでもないお姫様だ……。



 ――大したものだよ……これが、王の器を持って生まれた者の執念か。



 ――人間とは、強いものだな……。



「ゴーダよ」



 淵王の金色の瞳が、こうべを垂れた暗黒騎士の姿をすっと見やった。



「! ここに」



 思いがけずリザリアが声をかけてきたことへの驚きを仕舞しまい込みながら、ゴーダが冷静な声で応えた。



うぬのこれよりの働きに属目しょくもくしておるぞ……余の与えた東の守護者たるその位にかなう役割、全うしてみせよ」



「は」



 ――……何だ……?



 リザリアに返答しながら、ゴーダは違和感を感じていた。



 ――どういう意味だ……? そんな分かりきったことを、わざわざ口に出されるお方ではないはずだが……。



「…………」



 ゴーダの視界の外で、リザリアがじっとこちらを見ているのが分かる。淵王の言葉の意図をみ取りきれない、不気味なもどかしさがあった。



「……ローマリア」



 ふいに、淵王の注意が魔女の方へ向き直った。



「お呼びにございましょうか」



 これまでただじっと黙していた魔女が、優雅な声音で淵王の声に応じた。



「“先に命じた通りである”。手引きの仕様はうぬの好きにするがよい」



「はい。お任せ下さいませ、陛下」



 ゴーダがちらとローマリアの横顔に目をやると、それに気づいた魔女の口許くちもとに、ニヤァと不吉な嘲笑が浮かんだ。



 ――ローマリア……陛下と2人で、何を話していた……?



「用は終えた……――」



 リザリアが、人払いをするような仕草で右手をゆっくりと挙げていく。



「……っ」



 状況を飲み込めないゴーダが、淵王を呼び止めようと声を出しかける。



「――下がれ」



 ……。


 ……。


 ……。


 ――リィーン。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ガチャリ。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――。


 ――。


 ――。


 小さな鈴の音と、何かの閉まる鍵の音が聞こえて――そして彼らの眼前には、“不毛の門”の乾いた土色の大地が広がっていた。



「……ふふっ」



 ……。



「ふふふっ……うふふふふっ……」



 ……。



「……説明してもらおうか、ローマリア……」



 ……。



「どうなっている……何が起きている……」



 ゴーダがにらんだその先で、ローマリアが顔面をグニャリとゆがめて、ずっと堪えていたのであろう満面の嘲笑を浮かべていた。



「ええ、順を追って教えて差し上げますわ……ゆっくり、たっぷり、時間をかけて……――アはっ」



 高揚した頬でうっとりとゴーダを見つめながら、ローマリアがなまめかしく言った。暗黒騎士の知らない――本来知っていなければならないはずの情報を、自分だけが持っているという状況が、愉快でたまらないという様子だった。



嗚呼ああ、ですけれど……此処ここは味けないですし、雰囲気もまるでありませんわね……ふふっ、そぉですわ……――」



 魔女の翡翠ひすい色の左目がギョロリギョロリとうごめいて、ゴーダとシェルミアとエレンローズの姿を品定めするように順番に見ていった。



「――あなた方……わたくしの所へいらっしゃいませんこと……? 歓迎いたしますわよ……ふふっ、うふふふっ……」





 ***



 ――“宵の国”、西方。“大断壁”。魔族軍西方要塞跡地。


 西の守護者“三つ瞳の魔女ローマリア”の治める巨大な塔、“星界の物見台”から目と鼻の先に、その要塞跡地はあった。


 ローマリアの眼帯の下、濁った翡翠ひすいの右目の裏側に宿る禁忌、“星の”によって壊滅し、放棄されてから200年以上経つ要塞内部は荒れ放題になっていた。一切手入れも整備もされず風と水に浸食された要塞は、所々でそれを構成する岩壁が崩落していた。しかしとりわけ頑丈な断層をくり抜かれて建造された区画は、当時の面影をいまだ維持しているのだった。



「……」



 内部の構造が保たれている区画、その通路を歩く東の守護者“魔剣のゴーダ”の足取りは、重かった。



「懐かしいですかしら?」



 ゴーダの前を歩き、道案内しているローマリアが静かな声で言った。



「以前、わたくしの所へ“偽装の指輪”を探しにいらしたときにも、この要塞へは立ち入らなかったのでしょう?」



 隣接する区画の居住空間でシェルミアとエレンローズに手当てを施してから、ローマリアはゴーダだけを呼び出してこの通路を歩き進んでいた。風化した岩の窓辺から夕陽ゆうひが差し込み、かつて多くの魔族兵が生活していた空間を赤く照らし出す。



「わざわざ昔を思い出す必要もないからな……忌々しいだけだ、こんな場所は」



「あらあら……ふふっ。そうですか」



 前を行くローマリアが、口許くちもとを指先で隠してクスクスと嘲笑あざわらった。



「そうですわね。わたくしにとっても、ここは思い出したくなんてない場所ですもの……貴方あなたがわたくしを置いて東へっていった、恨めしい恨めしい、思い出の場所……。ですけれどね、ゴーダ……こんな場所でも、今は役に立っておりますのよ……ふふっ」



 くるりと身をひるがえしてみせたローマリアが、ゴーダの顔をのぞき込む。



「あのように凶暴なものは、ここでなくては閉じ込めていられませんもの」



 魔女の端正な顔に、それとは不釣り合いの不気味な嘲笑が貼り付いていた。



「うがぁあぁああぁぁぁぁあああっ!!!」



 ――ドォンッ。


 獰猛どうもうな獣のような叫び声が聞こえ、それと同時に大きな衝撃音がとどろいた。堅牢けんろうな岩壁で築かれた区画の地面がビリビリと震え、天井からパラパラと土埃つちぼこりが落ちる。



「……何を閉じ込めている?」



 問い詰めるように、ゴーダがローマリアに冷たい声を投げた。



「うふふっ、わたくしから説明しても良いですけれど……その目で確かめられた方がずっと早くてよ……」



 通路の脇にどいた魔女が、わざとらしく腰を折って招き入れる仕草をとってみせて、暗黒騎士に前に進むように促した。



「……」



 状況が分からないまま、ゴーダは示された方向へ歩くしかなかった。自然と、腰につるしているさやを左手で握っていた。



「あ゛ぁぁああ゛ああ゛ぁぁぁあ゛あっ!!」



 すぐ近くでまたあの叫び声が聞こえ、ドォンと爆音が響き渡った。



「……」



「――せ……出せ……ここから出せ……魔女……! あ゛ぁぁああ゛ああぁぁ゛ぁぁっ!!!」



 ブツブツと繰り返されるうめき声。そして三度みたび轟音ごうおんが区画全体を揺らす。


 ローマリアに導かれるままゴーダが立った先には、床と壁に無数のくぼみの穿うがたれた独房があった。無数のくぼみは、先ほどから続く轟音ごうおんによってできたものであることは明らかだった。それをやった存在の息遣いとうめき声が、独房の奥からはっきりと聞こえてくる。



「……ア゛……魔女……魔女、か……?」



 夕陽ゆうひに照らされたゴーダの影が、独房の奥へ向かって長く伸びる。その影の揺らめきに気がついた様子で、捕らわれた存在が影の下でゴソゴソとうごめく気配があった。



「出せ……出せ……戻せ……戻せ……! 魔女ぉおっ!!」



 独房に捕らわれた存在がダンッと床を蹴り、それから間髪入れずに、頑強なおり越しにゴーダへと拳を突き出した。


 ――ビタリッ。


 その拳がたたき付けられる爆音は、聞こえなかった。



「……ゴーダ……?」



 おりの向こう側で、人影がへなへなとくずおれていく。



「何で……何でお主が……こんなとこにおるんじゃ……」



 その人影を見やりながら、ゴーダはゾワリとした嫌な身体のしびれを抑えられなくなっていた。



「……それは、こちらの台詞せりふだ……――ガラン……」

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