25-3 : 怨恨

「子守の真似事まねごとは終わったか? ゴーダよ」



 コキリと首の骨を鳴らしながら、“渇きの教皇リンゲルト”が断崖絶壁を見上げてつぶやいた。その声音は、存在してきた歲月にいてはるかに下である“魔剣のゴーダ”にあしらわれた屈辱と苛立いらだちとで冷え切っていた。



「ああ、今終わったよ、リンゲルト……“お陰様でな”」



 すた、すた。と、そこを登ったときと同じように壁面に水平方向に直立した姿勢で、ゴーダが崖をゆっくりと歩き降りていく。



「カカッ……。……ふん。貴様が出しゃばらなければ、子守などするよりも、あの小娘はもっとずっと大人しく眠っていたろうにのう」



 シェルミアの藻掻もがあらがう姿を脳裏に呼び起こしながら、リンゲルトが鼻で笑った。



「違いないな……だが生憎あいにくと、私は少々小うるさい女の方が好みでね。“死人”のようなのは趣味ではないのだ……そう、何というか、そんなものが生に執着しているような様を見せつけられでもすると、無性にムカムカとしてしまうのだよ」



 ゴーダが、何でもないというようにリンゲルトにそう言って返した。



「…………」



「ん? ああ、これは失礼。別段、貴公らのことを言ったわけではないのだよ? だがまぁ、気分を害したというのなら、一言びでも入れるべきかな?」



「……。そのペラペラとしゃべる口を半分でも閉じよ、青二才が……」



 リンゲルトのその声音は冷静さを失ってはいなかったが、座の肘掛けをコツコツとしきりにたたく指先の動きが、教皇の苛立いらだちようを物語っていた。



「善処しよう。と言いたいところだが……貴様とは山ほど話さなければならないことがある……口を閉じるわけにはいかんな」



 ……。



「……」



「……」



 リンゲルトとゴーダが、同時に突然黙り込む不気味な間があった。


 ――コキリ。



「よかろう……わしも、貴様には用があったところじゃ……」



 そう言いながら、リンゲルトが戦装束いくさしょうぞくの下から骨の指をのぞかせて、ゴーダに向けてそれをちょんちょんと振ってみせた。その指の差す先で、暗黒騎士は依然として崖の壁面に直立したまま教皇を見下ろしていた。



「……降りてこい、若造……そんな奇天烈きてれつな体勢のまま対話しようなど、無礼にもほどがあろう……それともそれが無礼とも分からぬか?」



 リンゲルトが子供をあやすような声の調子で、鼻で笑いながら言った。その渇いた声は明らかに相手を挑発する類のもので、それを聞いたゴーダは崖に足の裏を貼り付けたまま、顎を上げて教皇を見下みくだすようににらみつけた。



「……無礼だと? どの口が言う……そういう言葉は、その地面の下にうじゃうじゃと潜ませている亡者どもを引き下がらせてから言え、リンゲルト……」



 ……。


 ゴーダのその言葉に射抜かれたように、“不毛の門”の乾いた地面の下で、亡者たちの気配がざらりとうごめく気配があった。



「…………」



 ……チッ。リンゲルトの小さな舌打ちの音が、聞こえたような気がした。


 パチン。と、教皇が骨の指を鳴らすと、細い旋風つむじかぜが巻き上がり、それに乗って黒い灰が天に向かって上昇し、やがて吹き消えた。


 “不毛の門”に立っているのは、“渇きの教皇リンゲルト”と、それが座す輿こしを担ぎ上げる従者の亡者たちと、皇をまもるように円陣を組んだ数十体の“鉄器の骸骨兵”だけとなる。



「これで……満足か……? 暗黒騎士よ……」



 暗黒騎士をにらみつける教皇の空虚な眼窩がんかに、暗い光がぼぉっと浮かび上がった。



「ああ、そうだな……私も貴様も、この状況でよく堪えている方だ……。これ以上の譲歩は、互いに望めまいよ……」



 紫炎の眼光をゆらりと揺らしながら、“魔剣のゴーダ”が“不毛の門”の大地に降り立ち、“明星のシェルミア”によって刻まれた宵と明けの境界の上に構えた。


 暗黒騎士のその姿を、暗い光をともした眼窩がんかで“渇きの教皇リンゲルト”がじっと見やる。


 ……。


 ……。


 ……。



「さて……リンゲルト……何故なぜ貴様が、こんな所にいる?」



 東と北の四大主が向かい立ったその場で、まず問いを投げかけたのは、ゴーダだった。



「……見て分からぬか? 何、ひとつ“明けの国”を、人間を、この期に滅ぼしてしまおうと思い立ってな……」



 リンゲルトのその言葉は、それが意味する内容とは裏腹に、ひどく素っ気ないものに聞こえた。



「……。それは、リザリア陛下の御意思か?」



 ゴーダが、努めて冷静な声でリンゲルトを問いただす。暗黒騎士はその声音こそ平静を保っていたが、ゆらゆらと揺れ続けている紫炎の眼光と、思わず剣の柄に触れている手の動きは、明らかに怒りの感情をはらんでいた。



「否……これは、わしの一存じゃ」



 リンゲルトが、きっぱりと言って返す。



淵王えんおう陛下おわすこの“宵の国”への、此度こたびの人間どもの出過ぎた真似まねは、相応の代価でもって支払わせねばならぬ……そしてその代価は、それの滅びをもっしかるべきよ……」



「陛下のお言葉を忘れたとは言わさんぞ、“渇きの教皇”……。“宵の国”の地を侵させず、また“宵の国”が他を侵すことを禁じられた、リザリア陛下のお言葉を……」



 ゴーダの全身から、抑えきれない感情が闘気のように立ち上っていく。それと真っ向から対峙たいじするように、リンゲルトの紫色の戦装束いくさしょうぞくが渇いた風にふわりとなびいた。



「忘れるものか、たわけが……」



「ならば何を血迷って――」



「――今回の人間どもは……やり過ぎた……」



 ゴーダの言葉を遮ったリンゲルトの感情がたかぶり、それに呼応して“鉄器の骸骨兵団”が一斉に姿勢を正して大地を踏み込む地響きが聞こえた。



「人間は……“明けの国”は、思い上がり過ぎた……力を欲する余り、手を出してはならぬものでその血を染めた……」



 教皇がわなわなと震える手で、白骨化したその頭部に頂く針のようにとがった冠をで付けた。



「……リンゲルト……?」



 その様子を見たゴーダが、兜の内側でいぶかしげに眉をひそめた。



「あの真紅の尖兵せんぺいども……あれは、人間ではない……魔族ですらな」



 思い出すのも忌々しいとでも言いたげに、リンゲルトが首を振る。



「あれは、人のむくろの姿を真似まねてこそおったが……あの屍血には、確かにあの憎きものたちの、“災禍の血族”の匂いがあった……おぉ……っ!」



 ゴーダの存在を意識の外に置き去りにして、“渇きの教皇”が天を仰ぎ見て、堪え切れずに怒りの叫びを上げた。



「おぉっ……! あの忌まわしきものどもの、あの血の匂いが! 我らが祖国、ネクロサスを灰に帰さしめた禍々まがまがしきあの気配が! 今! 人間の手にちたのだ! ならぬ! ならぬ! 断じて! ならぬ!! あれは封じられておらねばならぬのだ! 滅ぼされなければならぬのだ! その“災禍”に人間が手を伸ばしたのだ! ならば“明けの国”は! その災厄とともに滅びなければならぬ!! このわしの手によって! 臣民の怒りによって! かつての我らと同じように!!」



 歴史の断層に沈み消えていった数え切れない怨嗟えんさの念が一斉に声を上げたように、“渇きの教皇リンゲルト”は激情に身を任せてまくし立てた。かつてその身に滅びを味わった“北の四大主”と呼ばれるその存在は、人の言葉を話しこそしていたが、そのうつろな中身は幾千万の怨念と怒りにまれていた。


 北方戦役のあの灰に満ちた大地の上で、串刺しにした真紅の騎士の血をすすったその瞬間から、うつろに揺れる“意思を持った歴史”は、自らの内によみがえった怨恨の記憶に毒されて、とうに我を失っていたのだった。



「……“そういうことか”……リンゲルト、貴様はとっくに……ただの怨霊に成り果てていたというわけだな……」



 “渇きの教皇リンゲルト”の、その妄執の声を眼前に聞いて、“魔剣のゴーダ”は北の四大主の乱心を理解した。



「シェルミアの声は元より……私の声も、淵王陛下のめいさえも、もうそのうつろに届きはせんと、そういうことだな……」



 ゴーダが苛立いらだちの中、剣の柄に添えていた手をどかす。そしてゆっくりとした動作で、東の四大主が、改めてその柄をぐっと握った。

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