24-8 : この命ひとつ

「はあぁっ……はあぁっ……っ!」



 仁王立ちしたシェルミアが、肩を激しく上下させて呼吸を繰り返している。



「はあぁっ……はあぁっ……う……くっ……!」



 息苦しそうにしていたシェルミアが、辛抱できなくなり被っていた兜に手をかけ、脱ぎ捨てたそれを地面に放り投げた。



「……はぁ……はぁ……」



 兜を脱ぎ捨てることで幾分呼吸がしやすくなったのか、うつむいたまま息を荒らげているシェルミアの様子が次第に落ち着きを見せていく。



「……」



 そして息が整ってゆらりと顔を上げたシェルミアの、にらみ付けるような鋭い瞳は、元のあおい色を失って、不気味な発光を伴う赤に染まっていた。



「カカッ……なるほど。己の身に術式をかけたか」



 合点がいったと、リンゲルトがうなずいてみせる。



わしは、我欲にちたあの魔女ほど魔法の知識に詳しくはないが……“赤く光る眼”というのは、古くより凶兆と相場が決まっておる。随分と古い時代の術式を引っ張り出してきたと見えるがのう、小娘……それは、一時の力と引き替えに、己の命を削る類いのものぞ」



 シェルミアの猛犬のような瞳をじっと見返して、リンゲルトがつぶやいた。その声の調子には、わずかにあわれむような声音が含まれているようにも聞こえた。



「……はぁ……はぁ……この命、ひとつ……削る程度で済むのなら……安いものです……!」



 超人的な闘気をみなぎらせながら、赤く光る瞳を宿したシェルミアが喰らい付くように言った。



「カカカッ……カカカカッ! 自ら罪人つみびとと名乗っておきながら、よくも飽きずにえるものよな……。祖国に裏切られてもなお、なぜそうまでしてあらがう? 小娘……カカッ」



 蔑みと愉悦に満ち満ちた空っぽの孔越しに、リンゲルトが問うた。



「知れたこと……!」



 命を燃やしてその身の内を駆け巡る力の業火に歯を食いしばり、シェルミアが1歩前に踏み出した。赤く光る眼孔が、ゆらりと宙に筋を描く。



「私は、“明星のシェルミア”……! たとえこの身が祖国に裏切られようと……! それが……私が民を裏切る理由などには、なりません……!」



「……なるほど……。小娘、貴様……王族の系列か。殊勝なものじゃ……民を率いる立場にあった者が、このように孤独に身を削りゆくなど。その気高さは嫌いではないが……好意には値せんな。愚かしい……」



 そうつぶやきながら、リンゲルトが腕を水平に伸ばす。するとその手の動きに命じられるように、ピタリと各々に立ち止まっていた“青銅器の骸骨兵団”が敬礼の姿勢に居直り、隊列を整えた。



「皇たる者は、民をまもためにあるのではない……民を従え、その上に立ち、使役するためにある……このようにな」



 パチン。と、“渇きの教皇”の骨の指が鳴った。それに合わせて巻き上がった風が“青銅器の骸骨兵団”を包み込み、太古の戦士たちが無言のまま灰へとかえり、どこへともなく吹き消えていく。


 それと入れ替わるようにして、炭のように黒く濃密な灰が風に乗って流れ込んできて、“不毛の門”に影を落とした。



「……っ」



 不穏な気配を察知したシェルミアが剣を構え、大地に刻んだ境界線の上でザッと踏み込みを効かせる。


 黒い灰が風の中で濃淡を描き、そこに一瞬、巨大な髑髏どくろのような像が浮かび上がり、き消えた。そして風がみ、灰が晴れたその先には、“不毛の門”の狭く曲がりくねった地形に適応した縦長の隊列を組んだおびただしい数の“鉄器の骸骨兵団”があった。



「っ……!」



 シェルミアの、はっと息をむ気配がした。



「――“遡行そこう召還:帝国歴”。かつて滅んだ魔族の国……強き指導者の出現を焦がれ続けた臣民たちの渇望……その積層こそが、この“教皇”である……。民に奉ずる孤独な者よ……我が支配と君臨の前に、ひざまずけ」



 リンゲルトがすっと腕を前に伸ばしたのを合図に、“鉄器の骸骨兵団”が進撃を開始した。統率の取れた軍団に、先ほどのように転倒して隊列が乱れるような気配は一切なく、不気味な地鳴りの音がシェルミアただ1人を踏み砕くためだけに驀進ばくしんする。



「……たとえ……! 愚かと罵られようと……! 孤独の内に果てようと……! 私は……! 退きません……っ!」



 赤く光る眼で眼前に迫る“鉄器の骸骨兵団”をにらみ付けながら、シェルミアが右手にエレンローズの長剣を、左手にロランの大盾を引っ提げて、“明けの国”へと続く門に、番人のように立ちはだかる。



「私がここにいるのは……誰かに命じられたからでも、誰かにすがり付かれたからでもない……! これは、私の意思……! 私の、望みです……! “明けの国”の民に、手出しは、させないっ!!」



 シェルミアの赤く染まった瞳がその魔的な光を一層強め、立ち上る闘気がその小さな背中を何倍にも大きく見せた。



「カカカッ……! 小娘一匹が! 我ら亡国の“歴史”に! 立ち塞がれようものか!」



 ……。



「ここは――通さんっ!!」



 ……。



 地鳴りをとどろかせ、“鉄器の骸骨兵団”の黒い雪崩が、シェルミアの引いた境界線へと押し寄せた。



「あぁぁあぁぁああぁあぁぁぁっ!!!」



 耳をつんざく金属の擦れる甲高い音が、連続して巻き起こる。び付いた鉄器の破片と亡者たちの骨片が舞い散り、火花が飛び、砂埃が視界を曇らせた。



「はぁああぁぁぁぁああぁぁぁっ!!!!」



 亡者の波で埋め尽くされ、それ以外に何も見えなくなった“不毛の門”の只中ただなかに、シェルミアの上げる雄叫おたけびだけが聞こえる。


 “明けの国”の古い禁呪によって、人の身をはるかに超える力を爆発させたシェルミアは、雪崩なだれ込む“鉄器の骸骨兵団”とかち合ったその数十秒間、たった独りでその亡者の群れと互角以上に渡り合って見せた。



「カカカッ! 愉快! 愉快ぞ小娘! よくもたった独りで我が“帝国歴”にあらがうものよな! カカカッ! カカッ! カカカカッ!」



 うつろなあぎとをぐわっと広げて、リンゲルトが高笑いする。その眼窩がんかには高揚の余り暗い光がともり、戦装束いくさしょうぞくまとった骨の身体は蹂躙じゅうりんの興奮にカタカタと音を鳴らして打ち震えていた。



「カカカカカカッ!!」



 “渇きの教皇”が手のひらを前にかざし、それに呼応して風が舞う。黒い灰が再び吹き渡り、その中でリンゲルトの黒い眼孔が死神のように浮かび上がった。



「もっとあらがうがよい! もっと足掻あがくがよい! もっと! もっとっ!! 藻掻もがくがよいっ!! さすれば壮絶な死をくれてやろう! 小娘ぇえ!!」


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