24-4 : 明かりのない窓辺

 ――“明けの国騎士団”、兵舎。


 あかりが消され、静かな月夜の影に溶け込んでいる兵舎の数ある窓の1つから、蝋燭ろうそくの小さな光が漏れ出ている。その1室の内側で、口ひげを蓄えた恰幅かっぷくのよい中年の男が、空になったグラスを小さな丸テーブルの上に勢いよくたたき付けるガタンという音が響いた。



「……ええい! くそ……くそっ……!」



 小さな丸テーブルの横に据えた椅子に腰掛け、男が腹立たしげにうめき声を上げながら瓶を傾けて、グラスの中に薄茶色をした酒をなみなみといだ。男は既にかなりの量の酒をあおっている様子で、顔は真っ赤に紅潮し、半開きになった目は据わっていて、口ひげがもぐもぐとうごめいている。



「あのひょろ長と年寄りめ……! 敗走の責任を、このわしに押しつけおって! 陛下も陛下だ……なぜああも彼奴等あやつらの言うことを鵜呑うのみにするのだ! くそっ、こんなことなら、わしが先にでっち上げていれば……!」



 恨みつらみをき散らしながら、そうして北方戦線から引き揚げてきた口ひげの参謀官は再びグラスをぐいとあおった。その中にがれているのは相当に強い酒らしく、口に含みきれなかった分が半分以上残っている状態でグラスがテーブルにたたき付けられ、そこから周囲に液体が飛び散った。


 悔やみきれない屈辱にさいなまれ、参謀官が痛む眉間を指で挟む。素面しらふでなどいられるものかと、泥酔したその顔が物語っていた。



「……むぅぐ……お終いだ……出世の夢も、何もかも……!」



 参謀官が酔いの回った目でちらと首を回した先には、寝台の横に放られた大きな四角い革のかばんがあった。


 部屋の中を見渡すと、そこはひどくこざっぱりとしていて、物と呼べる物はほとんど何も残っていなかった。



「……ふんっ、せいぜい、わしを踏み台にしてつなぎ止めた権力にすがっているがいい! この期に及んでまだ武勲を上げようなどと……! が昇ったら、わしは先に身を隠させてもらうぞ! せいぜい奮闘するがいい、強欲者どもめ!」



 ……。



「強欲者どもめ……むぅぐ……どいつもこいつも……」



 誰かに怒鳴り散らすように独り言をまくし立てた参謀官が、眠れない目を閉じて、口ひげをもぐもぐとさせながら、酩酊めいていして混濁した意識の中に沈みかけたときだった。


 トントン。と、部屋の扉が外から小突かれる音が聞こえた。



「……むぅぐ……」



 トントン。



「うるさいぞ……立ち去れぃ」



 トントン。



「立ち去れと言ったのだ! このわしをあおり立ておって! ただでは済まんぞ!!」



 酔いの回った頭にかっと血が上り、参謀官が扉を小突く音に向かって怒鳴り上げた。


 ……。


 音がむ。



「えぇい、どいつもこいつも憎たらしい……むぐむぐ……」



 呂律ろれつの回っていない声でぶつぶつと文句を垂れながら、参謀官がうとうととし始める。


 ……。


 ……。


 ……。


 トントン。


 トントン……トントントン。トントントントン。


 間を置いて再び始まった扉を小突く音に混じって、参謀官は自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。そしてその反動で充血した目をかっと見開き、怒りの勢いに任せて椅子から立ち上がった。壁に立てかけられていた勲章付きの剣に、さっと手が伸ばされる。



「……ええぇいっ!! いい加減にしろ!!! このわしを……このわしをっ、侮辱しおって!!!」



 片手にむんずと剣をつかんで、参謀官が力任せに扉を引いた。



「そこになおれっ!! 無礼者が!!!」



 参謀官が扉を開けた先、あかりの消えた騎士団兵舎の通路に、白いローブを目深に被った人影がふわりと一瞬よぎったように見えた。



「――ええ、それは、お互い様です」



 参謀官が気づいたときには、ローブを被ったシェルミアはするりとその背後に回り込んでいて、尊大な恰幅かっぷくをした男の首元にナイフの冷たい刃を当てていた。



「な、何をするさ――」



「幾らか話を聞きに来ました。応じるならば何も危害は加えません。抵抗する場合は……覚悟していただくことになります」



「なっ……その声はまさか……シェ、シェルミア殿下?!……どうやって……!」



「回答を、まだ聞いていませんが?」



「う……っ」



 参謀官が握っていた剣から手を離し、両手を上に上げ、抵抗の意思がないことを示した。



「ありがとうございます」



 シェルミアが、参謀官の首からさっとナイフを下げた。



「……随分と、気を荒らしているようですね」



 肩越しにちらと振り返った先の、やけ酒の跡を目にめて、シェルミアが平坦へいたんな声で言った。



「ぐ……っ。……。……。ふ、ふんっ。今の貴女あなたに、とやかく言われることではありませぬ」



 シェルミアのたしなめる声に参謀官は一瞬狼狽うろたえたが、目の前に立つ元騎士団長に下された罪状を思い出して、その声に元の強気な調子が戻る。



「ならばどうします。私を――脱獄した反逆者を、このまま騎士団に差し出しますか?」



 そう言うシェルミアの顔は驚くほどりんとしていて、あおい瞳が参謀官をじっと見据えていた。逃げようとする素振りも見せず、隠れようとする様子もないその態度が、その女の固めた覚悟の強さを体現していた。



「……。……そのようなことは致しませぬ」



 参謀官が観念するようにめ息を漏らし、書類もペンも処分されて何も置かれていない事務机の椅子にどかりと腰を下ろした。恰幅かっぷくのよいその身体に押されて、椅子がギシリときしむ音を立てる。



「わしのこの身は、そういった権限を失った立場ゆえ……。それに、騎士団に差し出そうにも、その騎士がいないのでは話になりますまい」



 参謀官のその言葉を聞いて、シェルミアが1歩前に踏み出した。



「それについてです。この状況はどうなっているのです――」



 更に1歩、足が前に出る。



「兵舎は、どこももぬけの殻でした。騎士団は……この国は、の国とどうなっているのですか」



 元騎士団長のその問いかけに、参謀官は自嘲気味に首を振り、鼻で小さく笑った。



「何も御存じないか。無理もありませんな、あのような地の底に幽閉されていたのでは」



 ……。



「腰を下ろされてはいかがですか、シェルミア殿下」



 参謀官が部屋の反対側に指を向け、先ほどまで自分が酒を飲むために掛けていた椅子を指し示した。



「無用です」



 シェルミアが、冷たい声を返す。



「左様でありますか……。……では、お話しいたしましょう……殿下が騎士団を去られてからの、一部始終を……」



 それから参謀官は、更に酔いが回って饒舌じょうぜつになりでもしたように、ぺらぺらとしゃべり始めた。


 ……――。


 ……アランゲイルが、シェルミアに替わり王位継承権を得たこと。


 ……その実兄が更に騎士団長の座に就き、妹の有していた権能を全て掌握して間もなく、宰相ボルキノフの助力を受けて“宵の国”へ向け全面攻勢をかけたこと。


 ……“宵の国”の東方・南方・西方・北方、その全てで“明けの国”は破れ、甚大な損害を出したこと。


 ……――。



「“明けの国騎士団”は……全兵力の過半数を失いました。特に、北方戦線の被害は未曾有みぞうの有様で……その責任を負い、この身は全てを失ったという次第……酒にすがらねば、どうしようもありませぬ」



 参謀官が、自虐的にクックと笑った。



「……」



 参謀官が言葉を切るまで、シェルミアは片時も目をらさず、じっと話を聞いていた。その表情はぴくりとも動かなかったが、固く握り締められた拳からは、わずかに血がにじみ出ているのが見えた。



「……アランゲイルとボルキノフは、何処どこにいますか」



 シェルミアが、不気味なほど落ち着いた声で参謀官に問うた。


 その問いかけに、自暴自棄になっている参謀官はゆっくりと首を横に振った。



「分かりませぬよ……。アランゲイル様は南方戦線の指揮を執られておりましたが……それからは音信不通……。ボルキノフ閣下に至っては、戦端が開いてから城の者は誰もその姿を見ておりませぬ」



「……。ならば、現在の指揮を執っている者は? 民の間に混乱が広がるようなことがあってはなりません」



 シェルミアが更に参謀官に詰め寄って、厳しい声音で言った。



「…………」



 参謀官は口を噤み、元騎士団長の顔を直視できないその目は横にすっと流されていた。


 気まずげにしている参謀官の頬に、汗が流れる。



「どうしたというのです。このようなことになって、いまだに過ちを認められないほど、騎士団は愚かではないでしょう。一刻も早く事態を収めなければ――」



「――シェルミア殿下!」



 目を固く閉じた参謀官が、意を決して重い口を開き、シェルミアの言葉を遮った。



「……?!」



「シェルミア殿下……王都から、お逃げ下さい……」



 参謀官が、一語一語を喉から絞り出すようにしながら、そう言った。



「……どういうことです」



 シェルミアは変わらず冷静な声で問いただしたが、その顔の隅には不穏な予感から来る影が差していた。



「……。……。……“宵の国”が……北の四大主が、こちらに向けて戦線を移動させておるのです……」

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