23-5 : 生きている限り

「“神速の伝令者”のしらせの通りなら、明日にでもリンゲルトの痕跡が見つかるだろう。好戦的になった奴は、派手に移動するのでね」



 1日目と同じようにき火を起こしたゴーダが、昨夜と同じように炎を挟んだ向かい側に座るエレンローズに語りかける。昨日と違っていることといえば、ゴーダとエレンローズの距離が縮まっていることだった。



「…………」



 ゴーダの言葉に耳を傾けながら、エレンローズがじっとき火を見つめている。



「……怖いか? “渇きの教皇”が」



「…………」



 しばらくの間、エレンローズは微動だにしなかった。そして、随分と長い間を開けて――。



「…………」



 彼女は小さく1度だけ、暗黒騎士の前でこくりとうなずいた。



「恐怖を認めることは、臆病ではない。闇雲に命を捨てようとするのを、勇敢とは言わないのと同じだ」



 そう言うゴーダの声は、昨日よりも穏やかに聞こえた。



「“死”というものに、過度な価値を求めない方が良い。自分の命なら、尚更なおさらだ。誰かの死を嘆くのも、命をかけてすべきことを見つけるのも、それは全て、生者の特権だ。生きている限り、生きることを考えろ。死について考えるのは、死んでからで十分だからな」



「…………」



 何故なぜか、涙が込み上げた。自分でも驚くほど、熱い涙だった。



「ふむ、正直で結構。安心しろ……道連れの女1人ぐらい、この“魔剣のゴーダ”がまもってやる」



「…………」



 ……。


 ……。


 ……。


 その夜、エレンローズは、深い深い眠りに就いた。悪夢も幻覚もない、溶けてしまいそうな、泥のような眠りだった。



 ***



 山脈の輪郭が白み始め、3日目の朝の兆しがあらわれていた。


 のこぎりの歯のように鋭い凹凸の連なったいただきを縫って、そこから漏れ出たの光が夜の闇をぼんやりと照らし出していく。


 積み上げたたきぎはほとんどが灰になっていて、そこに残り火がわずかに踊っている。そのき火の残骸を前に、横になって布を被り、その下で身体を丸めたエレンローズが静かな寝息を立てていた。


 ゴーダは木の幹に背中を預け、座った姿勢のまま顔をうつむけて眠っている。樹木を挟んだ反対側では、黒馬が立ったまま目を閉じてじっとたたずんでいた。


 平野に差し込むの光はまだ弱く、眠りを覚ますには至らない。


 ……。


 カサリ。と、音を立て、残り火のともる灰の山が崩れた。


 ……。


 ……。


 ……。


 カタ、カタ。


 ……。


 ……。


 ……。


 カタカタ、カタ。


 ……。


 ……。


 ……。


 太陽の光が、大地に人影を投射する。浮かび上がった甲冑かっちゅうの影はひどくくたびれていて、猫背になってだらりと垂れた細い腕が持つ剣は、その影の非力な細さのために見かけ以上に重そうに見えた。


 ……カタ、カタカタ。


 山陰やまかげから浅い角度でに照らされた影が、いびつにゆがみ、細長く引き延ばされる。ゆっくりと持ち上がった剣の影は、所々欠けていた。


 ……。


 そして欠けているのは剣だけなく、地面に投影されたその頭部も一部が欠け落ち、あばらの数箇所から光が透けて見えていた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ベキリッ。


 振り上げられたびついた鉄剣が、意識の水底にまで沈んで静かに眠るエレンローズに向かって振り下ろされるより先に、ゴーダの一撃が“鉄器の骸骨兵”の背骨を砕き折る音がした。



「……亡者風情ふぜいが。この私を出し抜けると思い上がるな……」



 ――。


 ――。


 ――。



「…………?」



 エレンローズが目を覚ます頃には、骸骨兵もび付いた鉄器も、すすけた灰となって風に舞って消えていた。



「よく眠れたか?」



 そう言うゴーダの声音は、少しだけこわばっていた。



「…………」



 信じられないほど深く眠り込んでいたエレンローズが、寝ぼけ眼をこする。



「目覚めたばかりのところ悪いが、すぐに出立する。準備しろ」



「?」



「リンゲルトだ。近いぞ」



「!!」



 ゴーダの口から“渇きの教皇”の名を聞いて、“運命剣リーム”を握るエレンローズの手に思わず力が入り、顔が青ざめた。


 黒馬を引いてきたゴーダが、残り火のくすぶるき火跡を見やる。



き火にめた“気配遮断”の術式はまだ効いている……とすると、さっきの奴はたまたまこの場に迷い込んだだけのはぐれ者か」



 ぶつぶつと独り言を漏らすゴーダが、状況を確認しながら残り火を踏み消した。



「まだ、リンゲルトはこちらに気づいていない。立てるか?」



 黒馬にまたがったゴーダが、背をかがめてエレンローズに手を伸ばす。



「…………」



 暗黒騎士の差し出した手を見つめて、しかしエレンローズは首を横に振って見せた。



「…………」



 そして次の瞬間には、彼女は誰の手も借りずくらの上に飛び乗って、ゴーダの前に座っていた。



「……よろしい」



 ゴーダが兜の奥で、口許くちもとを緩める気配がする。エレンローズの背後から暗黒騎士の腕が伸びて、彼女を挟み込むようにして黒馬の手綱がつかまれた。



「決して生き急ぐな。ここまで来て死に急ぐ真似まねはするな。これは我ら四大主の問題。手出し無用だ……」



 東の四大主、“魔剣のゴーダ”が手綱を強く引き絞る。



「お前のすべきことは、他にある。その剣、シェルミアに必ず返してみせろ」



 その背中をゴーダに預け、“運命剣リーム”を抱き締めたエレンローズが、はっきりとうなずいた。


 後ろ足で立ち上がった黒馬が雄々しくいななき、2人と1頭がひとつとなって、朝陽あさひの中を駆けていった。



 ***



 ――同日。“明けの国”北北西。


 奇岩の連なる山脈のふもとに、その深い渓谷はあった。


 気の遠くなる過去に大河がそこを流れていた痕跡が、左右に険しくそびえ立つ断崖絶壁に刻み込まれている。かつてその地を満たしていた水の気配は今となっては見る影もなく、乾いた冷たい風が砂埃を巻き上げて岩々を風化させていくばかりの不毛な光景が続いていた。


 太古の濁流によって山脈に切り開かれたその地は、魔族領“宵の国”と、人間領“明けの国”との間に穿うがたれた天然の城門だった。


 左右を断崖に閉ざされた1本道の幅は、場所によっては人間が10人も並んでは立てないほどの狭さにまで引き絞られている。そこは高地に万年雪をたたえた山脈が吹き下ろす風の通り道になっていた。


 渓谷を吹き抜ける寒風が乾きをもたらし、草木が根付くことを拒む。そこには魔物も獣も寄りつかず、魔族の営みも人の往来もない。文字通りそこは、不毛の地だった。


 ゆえにいつの頃からか、その地は“不毛の門”と呼ばれるようになっていた。


 ――ザリッ。


 土色だけに満たされた“不毛の門”を、くぐる者があった。


 冷たい渓谷の中に、足音が幾重にも反響する。その音は何百・何千という数に聞こえたが、その実そこにあるのはたった1人の人影だった。


 その背中に従える者たちの影はなく、魂を鼓舞する喝采の音も、その身を案じて帰還を促す声もない。


 ただその人影は、“不毛の門”の只中ただなかで前に進むこともせず、後ろに下がる素振りも見せず、ただただ仁王のように立っていた。


 まるで自分こそが、この地の門番であるというように。


 ――ガツン。と、剣先が乾いた大地に突き立つ音がした。


 “不毛の門”を吹き抜ける風が、1本にった長い金色の髪をなびかせる。孤立無援の静寂の中で瞑想めいそうするように閉じられていた目が開かれると、そこには研ぎ澄まされた意思の宿るあおく透き通った瞳があった。


 ……。


 ……。


 ……。



「――ここから先は、通しません……!」



 ――反逆者“明星のシェルミア”、北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”……会敵まで、あと数刻。

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