23-4 : “そういうもの”
――。
それから何時間か黒馬を走らせ続けた後、一行は小さな水辺のほとりで少しばかりの休息をとっていた。
駆ける馬上から見た太陽の位置から、ゴーダが北へ進んでいることが分かった。
頭の中に、地図の
“明けの国”側からは遠巻きに何度も目にし、1度は雪に覆われたその地の一角に踏み込みもした巨峰の群れ――その姿をエレンローズは今、“宵の国”側から目にしていた。
それはつまり、北方国境線“ネクロサスの墓所”が間近に迫っていることを示している。
馬上で揺られている最中に現在位置と移動していく方角に見当がついてしまってから、エレンローズは胸騒ぎが収まらなくなっていた。
木陰の下に座っているエレンローズから少し離れた水辺に口をつけて、黒馬がゴクゴクと水を飲む。それに寄り添うようにして立っているゴーダが、愛馬の身体にブラシをかける。その様子をじっと見守っていた彼女だったが、しばらくすると胸騒ぎに耐えられなくなり、抱えた膝に頭を埋めて身を震わせるようになってしまっていた。
「…………」
……。
……。
……。
ドサッ。
目を閉じ顔を伏せたエレンローズの傍らで、物音が聞こえた。
……。
……。
……。
「……いい天気だな」
固く閉ざした視界の外で、ゴーダの声が聞こえた。
「風もない。この辺りは地形も悪くない。馬を走らせるには絶好の環境だ」
「…………」
その声に、エレンローズは何も反応を返さない。
「争いの影なんぞ、どこにもないな」
「…………」
……。
……。
……。
「……“渇きの教皇”という通り名を、知っているか?」
「…………っ」
膝を抱えたまま固まっていたエレンローズの肩が、北の四大主の名を聞いてピクリと引き
「……。そうか、やはり……北の戦線の生存者だったか」
「…………」
「よほどの地獄を見てきたのだな。リンゲルトを相手にしたのであれば、無理もない」
「…………」
「お前たちは、我ら四大主を見くびりすぎた。危害を最初に加えた非は“宵の国”側にあったが、その報復に全面攻勢という手札を切ったお前たちの王と騎士団の長の判断は、悪いが愚かだったと言わざるを得ん……魔族の私が言えた口ではないのかもしれんがな」
「…………」
「……ここからはもうすぐ北方地帯、リンゲルトの治める領域だ……そのままでいい、私の言葉を適当に耳に入れておけ」
エレンローズは、ただじっと顔を埋めたまま暗黒騎士の話に耳を傾けた。兜を外したのだろう、ゴーダの声が先ほどよりも幾分はっきりと聞こえ始める。
「…………」
「我らの王、リザリア陛下は、争いを好まん。陛下は、
「…………」
「だが、リザリア陛下はそれと同時に、“宵の国”が侵されることを決してお許しにはならない。その
「…………」
「私の治める東方でも、“明けの国”との大規模な戦闘があった。知っているだろうがね。結果は……まぁ、ここで言うようなことではないな」
「…………」
「ここからが、本題だ。“神速の伝令者”という術式を知っているか?
「…………」
エレンローズが、耳をそばだてる気配があった。
「“渇きの教皇リンゲルト”が、“明けの国”への反転攻勢に打って出た、と」
「っ!」
顔を上げたエレンローズが、青ざめた表情で兜を外したゴーダの顔を見やった。
「もしや、あの“伝令者”を書いたのは君だったのでは、と思ったのだが――」
「…………」
……。
……。
……。
「……っ…………っ」
ゴーダの見ている前で、
「……。知り合いか何か、か。……っふぅ……」
ゴーダが眉間に手をやって、重い
「……こんなことを言うのは違うのかもしれんが、“伝令者”を届けたその人物に、敬意を表そう。その“彼”が私をここに導いて、君と巡り合わせたのだ。それが“彼”の、意地だったのだろう」
「……っ……ぐっ……うぅ゛……っ」
声を押し殺して
「……。そうだ。泣けるときに、泣いておけ。別れにはそうしてケリをつけておかないと、未練に絡め取られてしまうからな……“向こう”もそんなことは、望まんよ」
そう言うゴーダの横顔は、どことなく物憂げだった。自分には“それ”ができなかったと、その顔は言外に語っていた。
――。
――。
――。
「……私がここにいる目的は、3つだ」
エレンローズがひとしきり涙を流して落ち着きを取り戻したのを見てから、更にしばらくの間を開けて、ゴーダが沈黙を破って話を切り出した。
ゴーダが、人差し指を立てる。
「1つ目は、君を“明けの国”に送り届けること」
エレンローズの見る先で、暗黒騎士が2本目の指を立てた。
「2つ目は、リンゲルトを――リザリア陛下の臣下として、その御意志に反した同族の過ちを止めること。そして3つ目は――」
……。
「――“明星のシェルミア”と、今一度、話がしたい」
「…………」
涙の止まったエレンローズが、ゴーダの目をじっと見つめた。
「風の
「…………」
その言葉に、エレンローズは
「……。もう、幾らかのことは手遅れなのかもしれん。だが……やはり私は、シェルミアに直接確かめなければならん。王たる器を持って生まれたあの女の目に、この状況がどう映っているのか。それを見極めなければ、私の気が収まらんのだ……」
「…………」
エレンローズの真剣な目が、ゴーダを
――それで……それで
「そんなことをしてどうするつもりか、と言いたいのか? 正直なところ、私にも自分がどうしたいのか分からん……。そうだな、強いて言うなら……ただ、納得したいだけなのかもしれん」
1人物思いに
「人間というものに、何ができて、何ができないのか……そういうものが、知りたいだけなのかもしれん」
考えていることの半分も言葉にできないまま、立ち上がったゴーダが振り返り、エレンローズに手を差し伸べた。
「さぁ、話は終わりだ……そろそろ行くぞ」
「…………」
何だか……すごく人間臭い人だ――その手を握り返しながら、エレンローズはそう思った。
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