23-3 : 何かを重ねるように

「傷の経過をよう」



 夜明けの太陽の光が差し込む中、昨日までと変わらない口調でゴーダが言った。昨夜の出来事など、まるで覚えていないとでもいうようだった。



「…………」



 泣き腫れた目元の下にくまを浮かべたエレンローズが、ぐったりと仰向あおむけになっている。その右手には相変わらず、さやに収まった“運命剣リーム”が握り締められている。


 夜中の間中、ぐちゃぐちゃに混ざり込んだ感情の噴き出すままに泣き続けていたエレンローズがようやく眠りを得たのは、地平線上の空が白み始めた頃になってからだった。足りない眠りと目覚めていない頭でぼんやりと暗黒騎士の顔を見上げる彼女の顔は、実際の年齢よりもずっと幼く見えた。


 バサッ。



「!?」



 ひどい疲労感と眠気で、まぶたを半分も開けることのできていないエレンローズだったが、麻のシャツをふいにゴーダにまくり上げられると、その目は途端に驚きと戸惑いで丸くなった。1枚しか身につけていない服の下から、白い肌とへそあらわになる。



「ふむ……腹の傷の経過は良さそうだな」



 ズルッ。



「!!?」



 何でもないというふうに、ズボンの左脚の裾を脚の付け根までずり上げられ、左脚の傷跡にもゴーダの視線がまじまじとそそがれた。抵抗しようにも疲弊しきったエレンローズの身体は言うことを聞かず、言葉をくした口からは息をむ音しか出てこなかった。



「脚も、特には問題ないようだ」



 グイッ。



「!!??」



 最後に襟元を開かれ、左肩の傷をあらわにされた。



「ひぅ」



 ゴーダの指先がたまたま鎖骨の上をなぞり、エレンローズの口から思わず裏返った声が漏れる。



「……。すまん」



 暗黒騎士の、ばつの悪そうな声がぼそりと応えた。



「……」



 左肩の傷跡を触診しながら、無言になったゴーダが神妙な顔つきになる。



「全ての傷口は塞いだ。塞いだが……左腕は動くか?」



「…………」



 ゴーダの言葉に促されて、エレンローズが左腕に力を入れてみる。左手は、指先の1本に至るまで、ぴくりとも動かなかった。



「……触られている感覚はあるか?」



 エレンローズの視界に入るように、ゴーダがその左腕を軽くつかんで持ち上げて見せた。二の腕から指の付け根まで、順にほぐしていくように暗黒騎士の手が触れる。



「…………」



 エレンローズが目を閉じて、そしてゆっくりと首を横に振った。



「……。そうか……」



 脱力しきっているエレンローズの左腕をそっと地面に下ろしながら、ゴーダが低い声でつぶやいた。



「……。複雑な神経の修復までは、どうしようもできなかったか……。……。……。……。……すまんな……」



 暗黒騎士のその声は、どこか悔しがっているようにも聞こえた。



「…………」



 ――何で、そんなこと言うんだろう? この人……。



 東の四大主が、何故なぜ自分のことをそこまで気にかけるようなことを言っているのか、エレンローズには、よく分からなかった。



 ***



 太陽が次第に天頂に向かって昇っていく中、2人を乗せた黒馬は平野を風のように駆け抜けていた。全身甲冑かっちゅうに身を包んだゴーダが手綱を握り、暗黒騎士の前に座ったエレンローズがその両腕の中に挟まれる体勢になっている。動かすことも感覚も失われてしまった彼女の左腕が振動で暴れないよう、そこには布があてがわれ、首からり下げる格好がとられていた。


 平野に散り散りに自生している背の低い木々たちが、目まぐるしい速度で後方に流れ去っていく。耳元をかすめていく風がうなり声を上げ、髪が後ろに流れ、目が渇く。


 その間、エレンローズの後ろに座したゴーダは終始無言だった。黒馬の向かう先も、暗黒騎士が彼女のことを連れ回す目的も、何も分からないままだった。


 ただ、後方からエレンローズの身体を左右から挟むように前に伸びて手綱を握っているゴーダの腕から、つかまる物のない彼女が馬上でバランスを崩さないように気にかけている気配が伝わってくるのは確かだった。



 ――『今日は飛ばす。少々揺れるが、くれぐれも落とさないようにしっかり持っていろ。それぐらいはできるな?』



 脳裏に、出立前のゴーダの言葉がよぎった。残された右腕1本で、エレンローズは“運命剣リーム”を改めてぎゅっと胸に抱き寄せる。胸にいた風穴に風が流れ込んで、身体の内側から熱を奪い、やがて極寒に凍り付いた血と肉と骨に亀裂が入り、粉々に砕けてしまいそうだった。


 ふいに、脇を締めたゴーダの腕がエレンローズを強く挟み込んだ。背中に暗黒騎士の甲冑かっちゅうが密着する感触があって、全身を黒い鎧に包み込まれる。


 直後、ふわりとした浮遊感があって、一拍を置いて下から突き上げる衝撃があった。


 進路上を横切るように流れていた小川を一息に跳び越えた黒馬が再び風を切り、それと同時に暗黒騎士の堅い抱擁が解ける気配があった。



「休息はしばらく先だ。文句は受け付けん」



 背後で、“魔剣のゴーダ”がぼそりと言った。


 東の四大主の態度と言葉は素っ気ないものだったが、不思議とそれに不安は感じなかった。

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