22-11 : 清算の刻

 地殻の落下の勢いが渦巻く嵐に殺されてゆき、質量の塊が空中でピタリと静止する。そんな不自然な光景の中で、ニールヴェルトのわらい声が一際大きく木霊こだました。



「ひはははははははあぁあぁぁっ!!!」



 ゴリゴリ。ガリガリ。と、無数の真空の刃と雷撃の破砕が、頭上の地殻を削り落としていく音が聞こえる。粉砕された岩石を取り込んだ嵐がそれを衝突させて地殻を砕き、更に力を増していく。そうして加速度的に威力を増していく嵐は、渦巻く黒い塊となって、既にゴーダの落とした岩塊の3分の1を消失させていた。


 質量を減らしていく地殻がとうとう嵐の力に押し負け、重力を振り切って浮上を始める。



「これを押し返すか……! 何という……」



 元の大きさの半分以下にまで削り落とされ自分の元へと押し戻されてくる地殻を目の当たりにして、ゴーダが思わず息をんだ。


 バゴッ。と、聞いたことのない音がして、嵐にむしばまれた地殻に大きな亀裂が走った。岩塊が3つに裂け割れて、更に質量の減ったそれらが木片のように軽々と宙を舞う。



「逃げ場はねぇぞぉ、ゴーダぁあ! 地面に降りてきて嵐にすり下ろされるかぁ! そのまま空中で岩に押し潰されるかぁ! 好みの方を選べぇ! ひははははっ! 終わりにしよぉぜぇ! 全部! ぜぇんぶなぁ! ひはははははははぁっ!!」



 舞い踊った岩塊が、獲物を喰らい潰す巨大なあぎとのように口を開き、宙に立つ暗黒騎士に襲いかかる。渦を巻く風は寒気がするほどに冷えていて、嵐に取り込まれ粉砕された石の粒子が甲冑かっちゅうを打つパチパチという音が凶兆を告げているようだった。



「全く……大したものだ……」



「ひはははっ! きひひっ、あははははぁっ!!」



「この私に、“魔剣”を3つも使わせたのは、シェルミアに次いで貴様が2人目だ……」



「ひぃはははははははぁぁっ!!!」



「あのときは、私の完敗だった……。数百年ぶりに敗北を経験したが……不思議と怒りは湧いてこなかった。今振り返っても、むし清々すがすがしくさえ思えてくる……“明星のシェルミア”という女は、貴様にはない“そういうもの”を持っている、希有けうな人間だ……」



「あははひははははっ!!」



「ああ、その通り……終わりにしよう……」



 ……。


 ……。


 ……。



「この“魔剣のゴーダ”に届き得る一手……それは貴様の思っているよりはるかに、やすくはない」



 ……。


 ……。


 ……。


 ピタリ。と、砕かれ嵐の中を舞っていた岩塊が、再び空中に静止した。


 ズ……。


 ズズ……。


 そして地殻の残骸たちが、暴風を抑え込み落下軌道を取り始めた。



「あぁ? 苦し紛れの力比べかぁ? きひひっ、いいぜぇ! 俺もまだ出し切れてないからよぉ!」



 ニールヴェルトの両腕で腕輪が光を強め、それに呼応して嵐がうなり声を上げていく。原生林の間を吹き抜ける風切り音は、まるで姿の見えない巨大な魔物の咆哮ほうこうのようだった。


 風が、その勢いを更に数段強める。強めたが……岩塊の軌道は何故なぜか変化せず、ゆっくりとした速度で落下を続けた。



「あ゛ぁ゛?! ちっ、うざってぇ……ならもう、粉々にしてやるよぉ!」



 ゴリゴリ。ガリガリと、嵐と飛礫つぶてと雷が、落下する岩塊を砕く音が聞こえる。しかし、それだけだった。破砕音がするばかりで、肝心の地殻の残骸たちはその形状を変えぬまま、ニールヴェルトの頭上めがけて落ちていく。


 そこまで来て、幾度も生存への道を示してきた動物的な勘が理性にささやきかけてくる声を、ニールヴェルトは脳裏に聞いた。



「……! てンめぇ……まさか……!」



 ……。


 ……。


 ……。



「――“魔剣五式:朧重おぼろがさね”。まずは1つ……。暴力の残像に、貴様は幾つ耐えられる?」



 ……。


 ……。


 ……。



「――あぁぁああぁぁああぁぁあぁぁっ!!!」



 ニールヴェルトが力の限りの叫びを上げて、嵐が更に激しさを増していった。少しずつ、少しずつ、岩塊の落下速度が弱まっていく。



「……2つ」



 ズンッ。


 空中に転位した膨大な質量の地殻。そしてゴーダの魔剣によって作り出された超重量の見えない残像。その2つ目が、実体を持つ最初の岩塊の上に重くのし掛かる気配があった。


 岩塊の落下速度が、嵐を振り切り加速していく。



「あ゛ぁ゛あああぁぁぁああ゛あ゛あ゛っ!!! うらあ゛ぁぁあ゛あぁぁあ゛あ゛あ゛っっ!!!!!」



 落ちてくる天そのものを支えようとでもするかのように、ニールヴェルトがえた。



「……3つ」



 ズズンッ。


 それに相反するように、容赦なく地殻の残像を落とし重ねていくゴーダの声音は、恐ろしく冷ややかだった。



「……4つ」



 ……。



「……5つ」



 ……。


 一体幾つ、その見えない質量の残像が作り出されていたのか。それを知る術はない。ただはっきりしていることは、“烈血れっけつのニールヴェルト”にはもう、その落下を食い止める手段はないということだけだった。



「きひっ……ははっ……はははっ……ひはははははははっ! ここが! ここがっ!! 俺の! 死に場所かぁあっ! あははははははっ! ひははははははははっ!!」



 眼前に迫る岩塊を前に、ニールヴェルトは己の最期を悟った。闘争の享楽の代償としていつか支払うものと割り切っていた清算のときが――“死”がやってきたのだと理解して、その者は狂喜した。


 殺戮さつりくを積み重ね、その愉悦に溺れ続けた果てに、いつからか“烈血れっけつのニールヴェルト”は己の死さえ悦楽の対象と考えるようになっていた。そしてその最後の未開の快楽に手が届く瞬間に至って、その者は歓喜したのだ。



「あはははははははっ!! ひははははははははぁっ!!!!!」



 嵐を完全に振り切って、積み上げられた超重量が、狂騎士の頭上に、無慈悲に落ちる。


 “形あるもの全てを押し潰す一撃が打ち下ろされた瞬間、ニールヴェルトの背中に付着していた誰の物とも知れない血痕が、ズルリと動いた”。



 ***





「……消えた……いや、転位したか……」



 原生林の只中ただなかは、東の四大主の“魔剣”によって地殻がえぐり取られ、更に空中から落下した超重量の一撃で地盤が陥没していた。その大地に降り立った“魔剣のゴーダ”が見渡す周囲に、“烈血れっけつのニールヴェルト”の死の痕跡はなかった。



「“古いカース”が討ち取られたのもうなずける……狂戦士とは奴のためにある言葉だな」



 ……。



「“烈血れっけつのニールヴェルト”……この場で奴を止められなかったのは、失態だ……」



 “宵の国”領内への人間の侵攻を確認した現在、その潜伏場所の特定は急務だった。


 しかし、それ以上に。



「しかし、それ以上に……リンゲルトの攻勢を止めなければ、“明けの国”の崩壊が先になる……」



 自らの行き先を定めた暗黒騎士が指笛を吹く。その甲高く澄んだ音は曇天の下にはるか遠くまで響き、それに応じた黒馬がひづめの音を立てながらゴーダの下へと姿を現した。



口惜くちおしいが、“明けの国”の侵攻に関しては、今は泳がせておこう。相応に手傷は負わせた……奴もすぐには動けまい」



 黒馬の背にまたがったゴーダが、北方国境線の方角を見やる。


 細雨が、ゴーダの黒い甲冑かっちゅうらす。この国のどこかで、ニールヴェルトの銀の鎧もまた同じように雨に打たれているのだろうと、暗黒騎士は思いを巡らせていた。

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